第28話 日々
「おや、ジルベールじゃないか」
「げ……」
アリスのアトリエに向かおうと廊下を歩いていると、アンベールに会ってしまった。できれば会いたくはなかったな……。
「おっと、これからはフォートレル男爵って呼ばないとな」
アンベールはそれはもうニコニコだった。同じニコニコ顔でもアリスの笑顔とは全然違うな。アリスの笑みはオレの気持ちを明るくしてくれるが、アンベールの笑みは明確にオレへの敵意や侮りを感じる不快な笑みだ。
大方、自分がムノー侯爵家の次期当主に確定したことが嬉しくてたまらないのだろう。それとも、オレが名前だけのなんの実益も持たない貴族になって嬉しいのかな。それともその両方か。明確にオレを見下した態度だ。
「…………」
「おや、まただんまりですか? 悔しくて声も出せませんか?」
だがオレはそんなアンベールがむしろ道化のように見えた。彼はムノー侯爵家の未来を知らないからイキっているだけなのだ。
「まぁ、なんだ。がんばれよ……」
「なんだその顔は!? なぜお前ごときが私を憐れむ!? 不愉快だ。行くぞ」
アンベールは苛立たしそうにオレを見ると、従者を連れて去ってしまった。
アンベール、お前がもう少しかわいく見えたらお前だけでも救う未来があったかもしれないが……。残念だよ。
◇
「冒険者証を見せろ」
「ああ」
オレとアリスは、ダンジョンを囲う壁を守る兵士に首に下げた冒険者証を見せた。
「ペーパー級だな。なら一人銀貨一枚だ」
「ああ」
ペーパー級、冒険者の一番下の階級でも銀貨一枚だから高いなぁ。銀貨一枚あれば節約すれば一日暮らせるからなぁ。これじゃあ低階級の冒険者が逃げ出すわな。
オレはムノー侯爵家が順調に滅びの道に向かっているのを確認してダンジョンに潜るのだった。
◇
冒険者の姿が消えたダンジョンの中。オレとアリスは第十七階層の白い通路を歩く。相変わらず戦闘は単調だ。モンスターの懐に潜って殴るだけ。やはりタスラムの攻撃力はこの階層では少々オーバー過ぎる。
それに、アリスの存在も大きい。アリスは攻撃力という面では貧弱だが、多彩なポーションでモンスターの足止めをしてくれる。これによって、オレはモンスターと一対一の状況を作ることができ、倒すのが容易になった。
やっぱり【錬金術師】は強いな。いろいろなアイテムで敵を弱体化できるし、アリスももう少ししたら攻撃力の高いアイテムを作れるようになるだろう。
「色違いでも出ないかなぁ……」
「お兄さま、色違いってなんですの?」
「ジゼルは知らないか。ダンジョンには、通常の色とは違うモンスターが出現することがあるんだ。それを色違いって呼ぶんだよ」
オレが初期に倒したメタルスライムなんかが色違いだ。
「色違いを倒すと、大量の存在の力が手に入ったり、特殊なアイテムが手に入るんだ。その分、色違いは普通のモンスターより強いけどね」
「大丈夫でしょうか……?」
「ジゼルは心配性だね。オレたちなら大丈夫さ。それに……」
「それに?」
「もうすぐ学園が始まるだろ? それまでにできるだけ強くなっておきたいんだ」
できればダンジョンの第二十階層くらいまで攻略しておきたいな。
「ジゼル、来たよ」
「はい!」
迷路のような白い幅広の通路。その角からリザードマンとゴブリン、オークの混成部隊が顔を出す。数は六体だ。
「お兄さま、ちょっと待っててくださいね。えいっ! えいっ!」
「ん? ああ」
アリスが投げたのは、細い試験管のようなアイテムだった。それは二つとも通路の天井に当たり、粉を撒き散らす。
アリスが珍しく狙いを外したのかと思ったが、なんだか粉を浴びたモンスターの様子がおかしい。
しきりに目を擦ったり、えずいているモンスターもいる。中には涙を流しているモンスターの姿もあった。モンスターって涙を流すんだ……。
「お兄さま、どうぞ」
「ああ」
たぶん、催涙弾だな。たしかそんな錬金術アイテムがあったはずだ。
一気に無力化できたモンスターたちを、オレは一体ずつ狩っていく。六体もいたのに、モンスターはロクな反撃もできず白い煙となって消えた。アイテムのドロップは無し。まぁ、こんなものだ。
「ジゼル、ありがとう。いい判断だったね。おかげですぐに倒せたよ」
「いくら催涙弾で弱らせているからって、すぐに倒せてしまうお兄さまもすごいです!」
変装のためとはいえ、アリスにお兄さまって呼ばれると、なんだかいけない気持ちになっちゃいそうだ。オレの中のアリスへの庇護欲がぐーんと上がったのを感じる。
「アイテムもドロップしなかったし、次に行こうか」
「今回は撫でてはくださらないのですか……?」
キツネのお面をしたアリスが、なにかをねだるようにオレを見上げていた。
アリスもお年頃だし、このまま少しずつ頭を撫でる回数を減らしていこうと思ったんだけど……。アリスにねだられたら敵わない。
「おいで、アリス」
「はい!」
オレはアリスのフードを外して、ゆっくりと丁寧に頭を撫でるのだった。
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