第4話 アリスの笑顔

「アリス……。今まですまなかった……」

「ッ!?」


 オレはアリスに深々と頭を下げた。アリスから息を呑むような音が聞こえた気がした。


 無論、謝罪一つで許してもらおうとは思わないけど、それでも謝りたかった。


「あ、頭をお上げください」


 アリスに言われて頭を上げると、困惑と警戒の表情を浮かべたアリスがいた。


 うん。まるで謝罪が信じられていないね。


「オレの言うことが信じられないのもわかるつもりだ。だが、オレはこれからアリスの嫌がることは一切しない」

「…………」


 アリスからの返事はなかった。オレのことを本当に信じていいのかわからないのだろう。


 元より言葉だけでは信じてもらえないとは考えていた。これからの行動で示すしかないな。


「まぁ座ってよ。お茶でも飲みながらアリスのことを教えてよ」

「わたくしの……?」

「ああ」


 以前のジルベールは、アリスのことを気に入っていなかった。【収納】のギフトのせいで元々予定されていたこの国のお姫様の婚約がキャンセルされ、代わりに用意されたのが男爵家の娘であるアリスだ。


 仮にも侯爵家の息子であるオレの婚約者が男爵家の娘であるアリスというのは、珍しいを通り越してもはやおかしい。


 だが、自分のギフトが【収納】だと知ったジルベールは荒れていたからなぁ……。


 それまではわりと品行方正な少年だったのだが、一気に悪ガキになってしまった。


 他家の娘と婚約しても、婚約破棄されるのがオチだ。


 そこで持ち上がったのが、相手から婚約破棄されないほど権力に差のある相手というわけだ。


 それがエロー男爵家であり、アリスだった。


 つまり、アリスはジルベールに与えられた生贄なのだ。


 実際のところはわからないが、そう的の外れた推理ではないと思う。


「まずはお茶とお菓子だね」


 オレはテーブルに置かれていた小さなベルを手に取ってチリンチリンと鳴らす。


「失礼いたします。なにか御用でしょうか?」

「お茶とお菓子を用意してくれ」

「……? かしこまりました」


 メイドはちょっと不思議そうな顔をしていたが、すぐにお茶とお菓子を用意してくれた。


「ありがとう、下がっていてくれ」

「ありがとうございます」

「いえ……。では、失礼いたします」


 またメイドは困惑したような表情を浮かべていた。


 まぁ、貴族の礼儀作法的には、いちいちメイドにお礼なんて言わないからね。不思議に思ったのだろう。


 用意されたお菓子は、クッキーみたいだった。


 オレはクッキーを一つ摘まんで食べる。できれば甘いものは控えたいところなのだが、毒見の意味でも最初にオレが食べてみせるのが礼儀なのだ。


 久しぶりに食べたクッキーは、香ばしい小麦とバターの豊かな香りがしておいしかった。


 さすが侯爵家。いい料理人がいるね。


「おいしいよ。さぁ、食べて食べて」

「い、いただきます……」


 アリスが恐る恐るといった感じで少し震えた指でクッキーを一つ摘まんだ。そして、クッキーを口の前に運ぶと、これからクッキーを食べるとは思えないほど険しい顔をして、意を決したようにサクリと食べる。


 それからのアリスの表情の変化は劇的だった。アリスの険しかった顔が一気に緩むと、目を瞑って自然と口角が上がり、ぱぁっと輝くようなニコニコの表情をみせた。


 かわいい。


 思えば、アリスとはもう十回以上会っているのに、笑顔を見たのは初めてだった。


「ハッ!?」


 しかし、アリスはなにかに気が付いたような顔をして、元の警戒したような顔に戻ってしまう。


「ありがとうございます……」

「もっと食べていいよ」

「でも……」

「アリスが食べないと、このクッキーたちは捨てられてしまうんじゃないかな? だからよかったら食べてやってよ」

「え!? じゃ、じゃあ……」


 そう言っておずおずとクッキーに手を伸ばす。


 まぁ、捨てられるなんて嘘だけどね。でも、アリスが食べてくれる理由になるならこのくらいの嘘は許してほしい。


 アリスは表情が緩むのを必死にこらえようとするけど、こらえきれずに笑顔が漏れていた。


 そんな様子のアリスがかわいらしくてたまらない。


 女の子は笑っていた方がかわいいのだ。



 ◇



「坊ちゃま、朝でございます」

「ああ……」


 メイドの声に目を覚ますと、ベッドから飛び起きる。


 いい目覚めだな。だいぶ朝起きるのにも慣れてきた。以前のジルベールは自堕落な生活をしていたからなぁ。ちょっとずつ体内時計が整ってきた感じだ。


「おはよう、今日もいい天気だな」

「ええ……。おはようございます」


 毎朝オレを起こしてくれる中年のメイドは、変な顔でオレを見ていた。なんでそんな顔をするんだ? まぁ、毎朝のことだからこっちも見慣れたけどさ。


「…………坊ちゃまは変わられましたね」

「そうか? ああ、ありがとう」


 オレは中年メイドから服を受け取ると、メイドの助けを借りながら簡素な服に着替えていく。これからランニングなのだ。


「ちゃんと朝起きられるようになりましたし、以前は嫌がっていた運動も積極的にしています。メイドたちへのいたずらもしなくなりました。それに、今ではだいぶスマートになられて」

「ランニングしているからな」


 スケート事件は、オレに前世の記憶を思い出させるほど強力な衝撃だった。オレが変わったとしたなら、それは日本人だった前世の記憶のおかげだろう。


「坊ちゃまはどうして変わられたのですか?」


 このままだと将来勇者に殺されるからな。


「オレはもう人に迷惑をかけるのは止めたのだ。もう自分のギフトを呪うのは止めた。それではなにも変わらないからな。それだけだ」

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