第3話 体術とアリス
「はあ!? 坊ちゃんが体術を習いたい!?」
日課のランニングを終えたオレは、その足で練兵場へと訪れていた。
ここにはムノー侯爵領を守る兵士たちが大勢いる。きっと体術を専門とする兵士もいるだろう。
なぜ体術なのか。
それはゲーム『レジェンド・ヒーロー』で最強の武器が拳だからだ。
なにを言っているのかわからないかもしれないが、本当に拳が最強の武器なんだ。全武器中最速の攻撃速度を誇り、おまけに遠距離攻撃もできるまさに死角のないスキル構成なのである。
だからオレは体術を習おうと練兵場の兵士に訊いてみたのだが……。
「坊ちゃん、その体で体術は無理でしょ?」
兵士の視線に釣られて視線を下げると、そこには大きく突き出た腹があった。
たしかに兵士の言わんとしていることはわかる。
「体術の訓練をしてれば、自然と痩せると思うのだが?」
「そうかもしれませんがねぇ……」
明らかに兵士の口調が苦い。腕を組んでオレを警戒し、オレに心を許していないことが伝わってくる。
オレは前世では心理学を専攻していたからな。異世界でも通用するのかわからないが、人の機微には敏いつもりだ。
今まで散々ジルベール君が横柄な態度を取ってきた弊害だな。
「どうしてもということでしたら、お教えすることは可能です。でも、武術というのはどれも厳しいですよ? お叱り覚悟で言いますが、今の坊ちゃんに耐えられるとは思えません。それに、私たちは命をかけてこの領を守ってるんです。坊ちゃんの遊びに付き合ってる時間はありません」
キツイ言葉だな。だが、これが今のオレへの正当な評価なのだろう。
仮にも侯爵家の人間であるオレにここまで言う奴はなかなかいないんじゃないか? 貴重な人材だな。
兵士の向こうには、兵士たちと剣の訓練をしているアンベールの姿が見えた。オレはダメでアンベールはいい。以前のオレなら癇癪を起したところだが、今のオレは冷静にそのことを受け止めることができた。
オレの今までの態度を思い出せば、当然のことだ。
たぶん、命令すればゴリ押せるだろう。しかし、オレはそうしたくはなかった。
オレが諦めかけたその時、兵士が口を開く。
「ですから、坊ちゃんの本気を見せてください」
「本気?」
「そうです。まずはその弛んだ体をなんとかしてください。話はそれからです」
「……痩せれば、訓練を付けてくれるのか?」
「はい。少なくとも体術の上手い奴を紹介することはできます」
「わかった。ありがとう。がんばるよ」
「ッ!?」
兵士がビックリしたような顔でオレを見ていた。なんだろう?
それから兵士と別れたオレは、日課のランニングの量を増やすことにした。それ以外にも、日常の移動の際にも早歩きを導入する。
前世で聞きかじっただけのダイエット知識だが、なにもしないよりマシだろう。
あとはプランクだ。デブのオレがやると、腹から内臓が零れるんじゃないかってくらい辛いが、これもがんばった。
最初は辛いことばかりだし、焦りばかりが募ったが、少しずつ効果が出始めるとやる気が出てくる。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……、はぁ……」
「また走ってますね。暑苦しい」
「なんでも兵長に訓練したかったら痩せろと言われたらしいですよ」
「あの体型では武術は無理でしょうからね」
「「「ウフフフフフフフフ」」」
メイドたちの嫌味などなんのその。オレはいつものようにランニングを終えて部屋に帰って着替えていると、ノックの音が飛び込んできた。
オレに用事があるとは珍しい。何の用だろう?
「どうぞ」
「失礼いたします、坊ちゃま。エロー男爵家のアリス嬢がお見えです」
「ああ……」
そうだった。今日は婚約者のアリスがご機嫌窺いに屋敷に来る日だった。すっかり忘れていた。忘れていたかった……。
「……応接間に通してくれ。すぐに向かう」
「かしこまりました」
オレはアリスと会うのがとても怖い。だが、会わないわけにもいかない。
オレは重たい足で応接間へと向かった。
◇
「失礼します」
そう言って入った豪華な応接間には、オレと同じくらいの背丈の可憐な少女がいた。色素の薄いプラチナブロンドに青い瞳のお人形さんのようにかわいらしい少女。彼女がアリス・エロー。エロー男爵家の娘だ。
「お、お久しぶりです。ジルベール様……」
ソファーから立ち上がったアリスが、深々と頭を下げる。頭を上げたアリスの顔は歪な笑みを浮かべ、まるで能面のように表情一つ動かない。お腹の当たりでギュッと手が白くなるまで強く握っているのが見えた。
明らかな拒絶。
これまでオレがアリスにしてきたことを思えば仕方のないことだ。
アリスは、誰も自分を敬わず、命令を聞かないと嘆いていたジルベール君が、唯一自由に命令することができる少女だった。
だからジルベール君……、いや、ジルベールはアリスの胸を触ったりスカートを捲ったりやりたい放題だったのだ。
最悪だね。オレの胸の中は罪悪感でいっぱいだ。
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