第5話 螺旋階段
プロ球団を簡単に辞めたのは、フロントとしても、少し拍子抜けしていたのではないだろうか?
下手に執着することはないとも思っていたと思うのだが、フロントとの交渉に及んで、「ああ、いいですよ。俺辞めます」
とでも言わんばかりの簡単な辞め方は、きっと、
「今までの選手、コーチ、監督で、ほとんど見たことがなかったのだろう」
と感じた。
「こんなに簡単に君が辞める決断をするとは」
と、交渉が、秒で終わったので、時間まで少し世間話をしていた。
その日は、誰とも交渉がなかったということでもあったが、この球団の方針なのか、契約交渉などに使う時間を決めておいて、終わるまでは、世間話ということも多かった。
後ろに交渉がつかえていると、必要以上に時間をかけるわけにもいかない。
というのが、フロントの考えだった。
しかも、結構交渉がうまくいくことの方が多く、その時にフロントは選手の口から、チームの雰囲気などを聞いていた。
「こんな時くらいしか聞けないからな」
ということであった。
それだけ、ここのフロントは物分かりがいいのだが、それが人柄なのか、選手たちもそんなに、年棒交渉えもめることはないのだった。
「今年は、これくらいで」
と提示した時点で、
「わかりました」
といって、即決で決まることが多いのだった。
だから、交渉が決裂し、
「自費でキャンプに参加」
などということは、この球団ではないことだった。
これは後から聞いた話だったが、この球団を包む、
「見えない壁」
というようなものは、どこか皆同じで、
「他人事精神」
というものが醸し出されているようだった。
その元祖は、霧島で、
「霧島を見ていると分かるというもの。だから、霧島は、簡単に追い出せないという球団事情があった」
ということであった。
実際に、球団に対しての、不信感というようなものがあったのも。事実だった。ただ。それは年棒であったり、人の人選などの人事であったりという、
「見えているもの」
というわけではなかった。
どちらかというと、
「他人事で見ないと分からない」
というところで、少なくとも、
「自分が中心選手だ」
ということを考えていれば、分かるようなところではないということである。
しかも、若い時期のように、
「球団のフロントであったり、監督、コーチと、上の人がたくさんいるような場合であれば、
「遠慮などから、全体を見渡すことなどできない」
と言えるのではないだろうか?
だから、
「他人事の境地」
に達した霧島は、すぐに、
「退団」
という意思を固めたのだろう。
もちろん、他から誘いがなければ、成立するものではないので、これこそ、
「タイミングがよかった」
というものであろうが、この結果が、
「よかったのか、悪かったのか」
というのは、まだまだ、分かっていないはずであろう。
「死なないと、何も分からない」
と考える人もいるくらいなので、本当に、難しい考えだといえるだろう。
実際に、独立リーグというものを、今まで意識したことがなかっただけに、実際に、独立リーグで、
「監督、コーチ」
の経験のある人に話を聴いてみることにした。
すると、その人の話では、
「結局は、その人が向いているかどうかということなので、それはやってみないと分からない」
という。
そのうえで、
「その決断をするのも、本人なので、人の話を聴くのはいいが、最終的に、決めるのは、本人でしかないということを、しっかりと認識しておく必要がある」
ということだった。
実際の居心地なども聞いてみたが、それも、プロ球界と同じで、あくまでも、
「成績次第。成績が悪ければ、監督が責められるのは、プロの世界でも、どこでもいっしょだ」
ということであった。
確かに、成績が悪いチームの監督が、
「へらへら笑っている」
というようなチームであれば、そのチームの実力というものは、すぐに分かるというものである。
「成績が悪ければ、首の皮一枚で繋がっている」
といってもいい状態で、ヘラヘラ笑っているなど、ありえないということである。
「選手だって、監督、コーチに威厳があるから、その指示を忠実にこなそうとする。だから、命令違反は、罰金だったりするのだ」
ということである。
監督というものが、それだけの人物でないと、罰金を取られると、それは選手もたまったものではない。
「あの監督に、罰金を言われたのだから、こっちに落ち度があったのだろう」
というほどに思うのが、当たり前だというものだ。
「だから、コーチの中に、参謀と呼べるような、ヘッドコーチがいるわけで、ヘッドコーチのいうことを聞かずに、独裁の監督というのは、あまり、いい成績を収められない」
と言える。
それだけ、
「選手は、見ているのだ」
ということである。
とりあえず、スカウトに来た球団のウワサと、今の球団の処遇や、まわりの環境を考えると、
「独立リーグの道」
を選んだ。
決めてとなったのは、
「プロを目指す選手を育ててみたい」
という気持ちだった。
プロ野球の二軍コーチというのも、一軍に上がろうとする選手を、
「育てる」
ということであるが、そおそも、その、
「育てる」
ということが違っているのだ。
プロの二軍は、あくまでも、
「這い上がる」
ということが使命となっている。一度、
「プロ」
という世界に入ったのだから、今では、独立リーグという道は残っているが、再度プロとして這い上がってくるというのは、年齢的にも、よほどの活躍をしないと望めないということになるだろう。
しかし、最初から独立リーグから、プロを目指す人は、
「ドラフトにも罹らず、球団から誘いもなかった選手で、ひょっとすると、スカウトが見逃していただけの、掘り出し物なのかも知れない」
ということもいえる。
そんな選手が、いっぱいいるかも知れないが、基本的に、大学を卒業し、社会人野球といっても、最近は、不況のせいもあり、クラブチームが減っていっているというではないか?
昔の都市対抗野球の賑わいがなくなってきたことで、出てきたのが、
「独立リーグ構想」
と考えれば、
「この考えは、将来を見据えているといえるだろう。
そこで、霧島は、独立リーグのコーチを引き受けた。
その仕事も、今年で、4年目になる。
「コーチ、監督は、選手のように、寿命が短くない。それに、年を重ねれば重ねるほど、円熟味を増してくる」
というものだ。
「今年は、何人、プロ野球の世界に送り込んだ」
ということが、モチベーションとなり、それによって、
「この球団に、入団したい」
という、
「ダイヤの原石」
が、増えることだろう。
「まるで、予備校だったり、学習塾のような感じだな」
と思えてきた。
何といても、
「プロ野球」
という夢に手が届くかも知れない。
という感覚と、
「ひょっとすると、以前、プロのスカウトから、ドラフトに指名するかも知れないので、その時はよろしく」
というくらいの挨拶はあったかも知れない。
それまでは、
「自分が、まさかプロ野球?」
というくらいに思っていたのが、よもやのプロのスカウトの来訪で、
「夢が現実になるかも?」
という淡い期待を経たのだが、実際には、指名されなかった。
淡い期待を掛けていただけに、
「まあ、こんなものか」
と口ではいいながらも、悔しい思いはあるだろう。
ただ、その反面。
「俺くらいの実力で、プロに入ったとしても、エリートの集まり。そんなところで、実際に選手として、やっていけるわけはないよな」
というものであった。
高校受験の時に、自分は、スポーツ推薦だから分からなかったが、友達の中には、必死に勉強をして、神学校に入ったやつがいた。
なるほど、必死に勉強しているのも分かっているので、実際に成績も、クラスでトップクラスから、常連の首席になっていたのだ。
しかし、受験校は、本当に、
「有名国立大学入学で、全国でも有名なとこrだったのだ」
そんなところに何とか入学できたのだが、実際には、彼程度の学力では、それこそ、
「レベルが違ったのだ」
小学生、いや、幼稚園の頃から英才教育を受けてきた、
「筋金入りの秀才」
と言われる中に、いきなり、中学の頃から勉強を始めた人間が入るのだから、最初から、まったく違っているといっても、無理もないことであろう。
そんなことを考えると、
「入学した時点で、すでに圧倒された」
といってもいい。
特に、入学式の日に、
「秀才どもが雁首並べているのだから、圧倒されないわけはない」
ということで、その時点で、
「こんな連中の中に、放り込まれるのか?」
ということになるのだ。
実際に、授業に入ると、その秀才ぶりは恐ろしかった。
「高校一年生で、すでに、2年生までのカリキュラムは済んでいて、夏休みに入るまでに、高校三年間をマスターする」
ということらしい。
「じゃあ、それからの二年以上は何をするんだい?」
と聞かれたので、
「そこから先が本当に大学受験の勉強さ」
という、
「じゃあ、他の人が、三年生になってからやり始めたって、すでに、差はついているということか?」
と聞くと、
「ああ、そうだ、しかも、あいつらは、それをずっと小さい頃からやっているんだ。受験勉強が苦しいとか、きついなどという状況ではないのさ。完全に、その状態を自分の生活リズムに組み込んでいるので、気が散ることもない」
という。
「まるで、ロボットみたいじゃないか?」
と聞くと、
「そうだな、ロボットと一緒だな」
「じゃあ、そいつらのゴールってあるのかな?」
と聞いてみると。
「果てしないんじゃないか? きっと、あいつらのことだから、人生終生勉強だっていうに違いないだろうな」
というではないか。
確かに、そんな言葉を聞いたことがあるが、そんな生活が同じ年齢で、しかも、身近にいるなんて、誰が想像したというのだろう?
しかも、
「果てしなう勉強なんて、一体どういうことなんだ? 勉強に果てはない。無限なのだということなのか?」
と考えさせられてしまう。
「そういえば、人間は、脳のほとんどを使っていないというが、それをすべて使うということができるとすれば、どうなってしまうのだろう?」
その時、思い出したのが、その友達が言っていたことだった。
「しょせん、競争したって叶うわけはない。だったら、無視しようと思ったんだよ」
ということであった。
友達というには、
「他人事で考えようと思うんだ。つまり、あいつらはあいつら。俺は俺って感じなんだよな」
ということであった。
「他人事」
という言葉、前にも何か感じたことがあったと思ったが、この時のことだった。
他人事と思うことで、人が成績がいいからといって、自分が焦る必要はない。そもそも、人間の質が違っているのかも知れないし、やり始めた時期も違う。
それは、しいていえば、まわりの環境が違っているのである。
「自分には、逆立ちしたってできないことを、無理にやろうとしなければいい。それこそ、背伸びというものだ」
と考えると、気が楽になったという。
成績は確かに下の方だったが、それでも、最下位ではない。
「このクラスで、最下位はなければ、御の字で、他の学校だったら、普通に主席だったかも知れないな」
と感じるほどだった、
成績の良し悪しもそうだが、気の持ちようで、ここまで違ってくるのかと考えた時、
「他人事」
という考えは、まるで、
「紙が与えたもうたものだ」
と言えるのでないだろうか。
成績が実際に悪くはなかった。ただ、上には上がいるだけだったのだ。
だから、順位が下の方だからといって、十分に及第点であり、
「赤点」
などというものには、実にほど遠いのだ。
だから、この学校では、テストで、教科の3つ以上赤点を取ると、停学、次回にも、赤点の数が3つ以上あれば、その時点で退学処分という厳しいものがあった。
しかし、テスト問題は、実際に難しいものではない。学校で普通にしていれば、赤点を一つでも取るなどありえないことだ。
といってもいいだろう。
だから、先生の中では、いや、生徒の中にも、
「3つなんて、この学校も甘いな」
といってもいいだろう。
下手をすればm一つでも、赤点を取った時点で、生徒の中には、
「恥ずかしくて、学校にいけない」
というほどの劣等感を感じ、自分から、退学していく生徒もいるというくらいだったのだ。
そんなことを考えると、
「高校と一言で言っても、学校のレベルが、ピンからキリまでということになるのだろう」
ということであった。
高校の中には、入学試験で、
「自分の名前さえ書ければ、入学できる」
というような学校もあるという。
停学処分はあるが、、
「学業や、成績が悪いからといって、停学になるということはなく、退学というのも、基本的に、学校から辞めさせるということはない」
というような。まるで夢のような学校があった。
しかし、そんな学校なので、どんな生徒が集まってくるか?
ということである。
とんでもない生徒が入学してきて、
「まるで治安のない。無法地帯のような学校になった時期があった」
というのである。
だが、彼は運が良かったのか、考え方がしっかりしていたからなのか、他の生徒からも、一目置かれていたようだった。
先生からも、
「彼は信頼できる」
と言われていたようで、一触即発に近かった学校でも、普通に乗りこえられたという。
彼は、どこの団体にも関わろうとしない。
それが最高のやり方で、様子見をしたり、ちょっとした助言くらいはしただろうが、だからといって、そこに与するということはなかった。
それを、皆が分かっていたということが、彼にとって幸運だったのだろうが、それだけ、「人間ができている」
といっても過言ではないだろう。
そんな彼とは、今でも交流があった。
そもそも、スポーツ推薦で何とか、とりあえずプロ野球選手にまではなれたが、それが、
「成功だったのか?」
と言われると、そこは難しいところである。
友だちは、霧島が、プロ野球に入った感じたことを、高校時代に感じていたのだ。
こうやって文章にすれば、そこまで感情が入ってこないが、実際には、その間の気持ちの上での、
「紆余曲折」
というのは、かなりのものだったことであろう。
高校時代というと、思春期が終わっての多感な時代だった。その三年間を乗り切ると、彼は、無理のない大学に進学したのだが、それでも、一流大学として十分に知られているところであった。
大学時代には、部活をしていたわけではない。アルバイトをして。必要なお金は自分で稼いでいた。
そして、そのお金で、結構海外旅行をしたというのだ。
「大学生活の中で、半分近くは、海外に行っていたな」
ということであった。
留学してもよかったのだが、一か所に留まるよりも、世界各国を探しまわる方がいいということで、結構、いくつもの国にいったものだった。
極端な話。
「授業に出なくても、ノートなど人から借りて、毎年の試験の傾向と対策だけで、単位は普通に取れる」
と言っていたが、まさにその通りで、三年生くらいまでに、ほとんどの単位は修得していた。
成績は、目立つものではなかったが、面接で、
「海外を飛び回っていた」
ということをいうと、面接官はほとんど目を輝かせて、質問をしてくる。
しかも、その質問が、まるで判で押したように、皆似たり寄ったりの質問なので、
「一つ模範解答を用意しておけば、それだけでいい」
ということであったのだ。
そんなこんなで、彼は、金融関係の会社に就職した。
他にもいくつもの一流企業から、内定をもらっていたが、
「俺は金融関係にいく」
ということだった。
理由を聞いてみると、
「俺は将来、起業したいと思っているんだ。そのために、金融の勉強をしておきたいと思ってな」
というではないか。
他の連中が、社会人になるだけで、大変な思いをしているというのに、彼は、さらに先を見ているようだった。
ちなみに、高校時代の秀才連中は、まさに、
「末は博士か大臣か?」
と言われていたように、
「大学院に進んで、研究の道」
を歩んでいたり、
「国家試験に合格し、弁護士などの司法の道や、政治家や官僚を目指している」
というような連中ばかりであった。
高校時代に、
「治安が悪い」
と言ったが、暴力が蔓延っているというわけではなく、優等生同士の派閥の問題などがあり、そこに、その家が抱えている、
「暴力団」
のような組織が暗躍しているのが分かるからで、実際には何もなく、ただの一触即発だったというわけだ。
彼らも、
「手を出した方が負け」
ということは重々分かっていたので、にらみ合いという、そう、戦後の政治体制にあったような、
「東西冷戦」
ということだったのだ。
まるで、
「マイナスにマイナスを掛け合わせると、プラスになる」
という発想を思い起こさせるのだ。
もっというと、
暴力団の内部抗争のようなものが、混ぜ合わさった時、警察の公安などは、たまにであるが、
「相手が、潰し合いをしてくれているのを待っているのではないか?」
と感じることもあった。
そもそも、三すくみでもない限り、三つの頂点があった時、
「相手が潰し合ってくれるのが一番ありがたい」
と思うだろう。
どうして、
「三すくみがまずい」
というのかというと、
「三すくみというのは、それぞれで潰し合うことで、力の均衡を守っているといってもいい」
のである。
つまりは、
「ヘビは、カエルを丸呑みする、カエルは、ナメクジを食べる、ナメクジは、ヘビを溶かしてしまう」
という関係である。
要するに、
「一方向から、グルリと回る関係が、永遠に続く」
と言えばいいのか、まるで、
「負のスパイラル」
が形成されているということである。
一方向からずっと、流れていき、結果、それが終わらないということであれば、
「平面であれば、この理屈は成り立たない」
ということになる。
まるで、
「メビウスの輪」
のような関係だといってもいいだろう。
「メビウスの輪」
というのは、
「短冊のような紙テープの切れ端のようなものを、丸くしてそれぞれの両端を結ぶ形になるのだが、その時、途中を一回転させるように、錐もみさせるような形で、結ぶのだが、その時、短冊の中心から、なぞるように、紙に平行するように鉛筆で描いていくと、錐もみが掛かっているのだから、上下逆さまということになり、線は永遠に表裏のままで、交わることはない」
という考えなのだが、それが、交わる形として出来上がるものがあるというのが、
「メビウスの輪」
というものであった。
そのメビウスの輪と同じように、
「一方向から、ずっと円を描いていくと、果てることなく永遠に力関係が途切れることがないはずなのに、見えている縁の大きさは同じだ」
ということである。
普通であれば、このような関係の例としては、
「合わせ鏡」
であったり、
「マトリョシカ人形」
のように、
「永遠に続いていくものだ」
ということになると、最終的には、どんどん小さくなっていき、結局それでも、ゼロになることはない。それが、
「限りなくゼロに近い」
というものであり、これも、
「メビウスの輪」
と同じに感じられるのだ。
しかし、三すくみの場合は、平面で見ているから分からないのだが、これを立体として、
「まるで、螺旋階段のようだ」
と考えれば、発想として思い浮ぶのが、
「負のスパイラル」
という発想なのだ。
「三すくみ」
というものは、
「実によくできている」
と思うのだ。
三つ巴の時には、それぞれに抑止が効いていると、相手を攻撃はできないものだ。
例えば、
「核開発競争」
などを引き合いに出した時、
「二匹のサソリ」
という言葉を耳にしたことがある。
つまり、二匹とも、確実に相手を殺せる力を持っている。その二匹を密室の檻の中に閉じ込めた時、戦闘型の性質を持っているとすれば、普通であれば、
「先制攻撃をかますのであろうが、サソリは頭がいいのか、それとも、本能で分かっているのか。自分が動けば確実に相手を殺すことはできるが、それは、逆に、自分の死を意味している」
ということになるのだ。
だから、二匹とも動くことができない。お互いに手を出すことができないということに似ているというのだ。
三すくみの場合は、さらにそこに輪を掛けている。
例えば、
「ヘビがカエルを飲み込もうとして動けば、ナメクジに近寄らなければいけない。そうなると溶けてしまう可能性が高い」
ということになる。
今度は、
「カエルがナメクジを食べようとして、ナメクジに近づくと、今度は、ヘビに飲み込まれてしまう」
さらに、ナメクジがヘビを溶かそうとすると、カエルに食べられてしまう」
ということは、こういうことになる。
もし、自分が先に動いて、自分の方が強い相手を葬ることができたとしよう。
そうなると、残ったのは、自分が劣勢になっている相手だけだ。
ということは、結局、自分に強い相手にやられるのを待つだけだということになるのであった。
ということは、さらにどういうことになるのかというと、
「先制攻撃をしようとして動けば、結局、自分が生き残ることはできない」
ということになる、
ここで、法則のようなものが生まれてくるわけで、まずは、
「先に動けば、生き残れない」
最後に残るのは、
「最初に動いたやつを劣勢に感じている方だ」
ということになるのだ。
それが、
「負のスパイラル」
と結びついて、これらの法則が生まれる
ということになるのであった。
「これが三すくみの関係」
というものだが、
「実際に、これを戦法であったり、戦術として用いることはかなり難しいだろう。
それを考えると、前述のような。
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
という発想であったり、
「平面では見えないが、立体として、補助線のようなものを一つ引くだけで、見えていなかったものが見えてくる」
ということになる。
というものであった。
それを考えると、いかに、螺旋階段を、真上からだけではなく、正面や側面から、あらゆる方向から見えるようにして、平面でも立体でも。線を引こうとすれば、そこには、同じ、
「無限」
という言葉でも、
「違う種類のものになる」
ということになるのであった。
そんな霧島が、友達の会社に入社したのは、独立リーグのコーチを2年間やって、
「成績不振」
を理由に、
「来年のコーチは、辞任していただく」
と、球団から解雇通告を受けたからだった。
さすがに霧島も、
「そろそろ、潮時か?」
という意識はあった。
年齢的には、まだまだなのだろうが、現役を引退してから、1年間の二軍コーチ補佐を経て、2年間の二軍コーチ、そして、退団し、かねてから連絡が来ていた、独立リーグでのコーチを2年やって、年齢としては40歳。
「野球界を去るには早すぎる」
という意見もあったが、本人としては、
「さらに将来を考えると、この年がちょうどいい」
ということで、もう、野球界への未練というよりも、将来のことと、
「コーチという職」
に対しての、意識を考えると、
「ここらが潮時か?」
と考えたのだ。
そんな霧島に、
「待ってました」
とばかりに声を掛けたのが、中学時代からの友達で、秀才畑を歩んできて、今は、起業に成功した、宮崎だったのだ。
宮崎は、秀才であったが、それだけに限らず、
「いや、それだけになのだろうか。彼の才能は、閃きと思い切りにあったのだ」
ということであった。
誰かを抜擢すること、人心諸悪術などに関しては、一定の評価を超えるものがあった。
人によっては、
「神がかっている」
という人もいるくらいで、その発想にこそ、
「普通では考えられないような奇抜なものがあり、そのセンスの良さに、舌を巻く人もいた」
というくらいであった。
「まるで、現代の秀吉のようだ」
と比喩する人もいたが、秀吉のようなワンマンではなく、
「そのオーラのすごさに、ビックリさせられる:
というところであろうか。
そんな霧島を引っ張り、自分の参謀として、任せられると思ったのは、
「霧島が、自分に似ているからだ」
と思ったからだった。
「思い切りのよさと、その選択に間違いはない」
と思ったことだった。
「俺なら、こうするな」
と思うことを、霧島も考えていて、そして、それが必ずいい方に的中する。
もちろん、的中させるだけの力と素質、そして、何よりも、自分なりの努力ができているということが前提にあるのだ。
それを考えると、
「霧島という男、参謀が似合っている」
と思ったのだ。
しかも、
「似ているといっても、それは性格が似ているという意味で、考え方が一緒だというわけではない」
さすがに一緒であれば、それ以上の先があるわけではない。政治の世界、
「与党」
というものに、
「野党」
という反対勢力、いや、
「監視役」
というものが存在してこその問題だったのだ。
それを考えると、
「霧島は、軍師にもなれるし、野党にもなれる」
ということになるのだ。
だから、ちょうどいいといってもよかった。
そんな、ずっと野球畑だったことから、新たな世界んい飛び込むのは、本当は恐ろしいのだが、本当にスター選手か、名監督でもない限り、
「永遠に野球界にいることはできない」
ということを感じていたのだ。
実際に、野球界を引退した人で、金がある人は、店を開いたりしている。
食事処であったり、飲み屋、スナックなどが多いのだが、それも、選手、監督として、それなりに名を残していることが必要だろう。
「かつての名選手の店」
ということになれば、ファンが集まってくるというもので、中途半端な選手であれば、
「最初は来てくれるかも知れないが、継続してきてくれるという保証は、どこにもないといってもいいだろう」
ということであった。
しかし、今の霧島は、有名選手というわけではなかったし、ファンはそれなりにいただろうが、
「いぶし銀」
であったり、
「あの選手にしかできないキャラ」
というわけではなかった。
少なくとも、目立つわけではなかったので、
「ファンになってくれても、すぐに、他の選手に鞍替えするんだろうな」
ということであった。
だから、
「自分が、独立リーグのコーチになって、今年引退した」
ということを知っている人がどれだけいるだろう。
「プロ野球界を去った2年前で、野球生活が終わった」
と思っている人ばかりであろう。
だいぶ知名度は上がってきたとは言っても、
「独立リーグ」
というのは、まだまだその程度なのだ。
ただ、独立リーグを、
「地元球団」
ということで贔屓にしていたファンは、
「霧島コーチ」
というと、元プロの選手から、二軍コーチをしていた、あの霧島さんだよな」
ということで、認知をしているだろう。
チームの編成が決定した時、あるいは、シーズン前の必勝祈願などをおこなっていた、
「新チームのお披露目」
あるいは、
「シーズン前の壮行会」
などで、
「まるで内閣発足時の写真撮影」
とでも言わんばかりの、必勝祈願をこめた写真は、それなりに力強さがあり、その中でも、
「元プロ」
ということで、他のコーチ、監督に比べても、そこに写ったオーラというものは、ハンパではなかったのだろう。
そんな霧島という男を引っ張ることができたのは、宮崎にとって、正解だったといえるに違いない。
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