第2話 地元の損得

「オリンピックなどのイベントは、確かに、一時期の経済効果をもたらすかも知れないが、その期間以外での損失や、一つの街を潰してしまうという弊害を考えると、本当に、それでいいのだろうか?」

 と考えられる。

 特にオリンピックが終わった後の、施設の再利用を真剣に考えないと、せっかく金を使って作ったものが、そこで終わりになってしまう。

 そして、結局、経済効果の恩恵を受けるはずの、その街の人間たちに、残像施設の維持費を負担させるということを考えると、ロクなことにならないだろう。

 今までのオリンピックを考えると、東京の前のリオでも、結局、施設は廃墟となって、その後を利用するところもなかったりする。もっというと、ギリシャなど最悪だったではないか?

 もちろん、オリンピックだけがその理由というわけではないが、アテネオリンピックをやったため、何と、

「国家が破綻してしまった」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、

「大きなイベントは、後に禍根を残すことになる」

 といってもいい。

 また、インフラ整備などもそうである。

 たとえば、

「新幹線の延伸」

 などというのもそれであり、

 そもそも、

「そんなところに新幹線はいらない」

 と思うようなところにも作るのだ。

 基本的に新幹線をつくると、今までの特急は廃止になり、しかも、在来線でも、赤字路線は、廃止となるか、団参セクターとなるのだ。

 もっといえば、新幹線というと、スピードが出るために、基本、直線である。そうなると、海岸線などを、クネクネ走っていた路線に新幹線は作らない。

「トンネルをつくってそこを通してでも、直線にする」

 ということにしないと、

「新幹線を作っても、そんなに便利ではない」

 ということになる。

「特急電車でも、二時間半ほどで行くところに新幹線をつくる」

 といって今。途中まで開業しているところがあるが、

「実際に新幹線を作っても、結局、最後には、20分くらいしか変わらない」

 ということになるのだ。

 新幹線をつくると、確かに、新幹線が停車する駅は、少なからずの経済効果はあるだろう。

 しかし、ここでデメリットを、どうして考えないというのだろう?

 たとえば、

「直線にするために、それまで在来線として通っていて、それなりに賑やかだったところは、特急もなくなり、挙句の果てに、第三セクターなどということになると、観光客が来るはずもない。どこかの駅からバスで来るとしても、だったら、

「せっかく新幹線ができたのだから、新幹線沿いの観光地にいく」

 ということになるだろう。

 そうなると、その場所は、寂れてしまうということになるのは、必定なのだ。

 しかも、

「工事に掛かった費用は、その土地の住民の税金になるのだ」

 ということである。

 市県民税が高くなるということだが、これは、自治体が、金を出すということだ。

 ただ、もっと言えば、新幹線開業ということになると、

「国の補助も結構ある」

 しかし、この、

「国の補助」

 というのはどういうことか?

 国の財産というのは、基本的に、血税である。

 ということになると、新幹線が通る街の住民からすれば、

「まずは国に取られた税と、さらに、自分たちの自治体に取られる税とで、二重課税ということになるのだ」

 だから、新幹線を引くというと、必ずあるのが、

「住民による反対運動」

 である。

 せっかく今賑わっているところとしては、新幹線がもし、別のところを走ったり、線上にあっても、

「駅がなかったりして、通過してしまう」

 ということであれば、当然、反対に回るはずだ。

 さらに、今利用している人としては、第三セクターになどなったら、通勤通学として、電車が機能しなくなったら、完全に死活問題となるだろう。

 そんなことを考えていると、

「新幹線なんかいらない」

 ということになるのだ。

 税だって、工事費の負担だけであれば、すぐに終わるかも知れないが、その維持費などを考えると、永遠に続いていくものだったりする。

 完全に、鉄道会社は、

「儲かるところ以外は、すぐに切り捨てていくのだ」

 ということになると、

「どうにも、うまくいかないに違いない」

 ということは目に見えているのだった。

 さて、そんなインフラ整備というのも、結局は、

「何かのイベント」

 のためか、

「地元の利益のため」

 なのだろうが、その末路がどうなるのか>

 本当に、皆分かっているのか?

 ということである。

 特に、バブル時期から、バブルが弾けるくらいまでの間に、どれほどのものが作られ、消えていったか?

 例えば、テーマパークなどがそうであっただろう。

 ほとんどの県に、いくつものテーマパークのようなものができた。

 最初は、

「地元名産や、地元の祭りなどのテーマパークが多かったが、そのうちに、

「地元とはまったく関係のないもの」

 などが作られたりした。

「宇宙をテーマにしたもの」

「アニメキャラクターをテーマにしたもの」

 そんなものが、遊園地と一緒になって、できたりしたのだ。

 バブルの時代などは、

「事業を拡大すればするほど、いくらでも、儲かる」

 という時代だったのだ。

 そういう意味で、建設ラッシュだったのは、

「空港」

 であろう。

 もちろん、地元の反対というのもたくさんあったはずなのだが、それだけでなく、その反面、

「地元の誇り」

 あるいは、

「他のライバル関係にあるところとの、意地の張り合い」

 ということでもあったのだ。

「他の県には、皆空港があるのに、自分の県にはない」

 という理由だけで、空港をつくったとしても、

「本当にその需要を考えてのことだろうか?」

 ということである。

 実際に、

「隣の県に、日本でも有数の、空港があるのだから、何もわざわざ、便数の少ない地元の空港に行かなければいけないというのか?」

 ということであった。

「高速バスなら、1時間もかからずにいける隣の空港、しかし、地元の空港は、、バスでも同じくらい、だったら、自家用車で?」

 ということになると、そこで考えたのが、

「駐車場無料」

 ということであった。

 だったら、

「こっちの空港を利用してくれるだろう?」

 と思っていたようだが、そうは甘くはない。

 出発する時はいいが、出張にしろ、旅行にしろ、帰りの便は予定が立たないということで考えると、帰りは、便数の多い空港に帰ればいいと思っても、

「車は、乗った空港のところにしかない」

 となるのだ。

 便数が圧倒的に少ないので、

「一便乗り過ごすと、次の便までどれだけ待たなければいけないか?

 ということになると、

「最初から、大きな空港からくればよかった」

 ということになるのだ。

 そうなると、

「地元の空港の存在意義がまったくなくなってしまう」

 ということになるのだ。

 そんな空港が、バブルの時代にどれだけ作られたか?

 開業しているだけで、赤字ではあるが、いまさら、

「だったら、潰せばいい」

 というわけにもいかないのだった。

「盛大なムダ遣い」

 ということになり、

「実際にそのことを思い知ったのは、バブルが弾けてから」

 ということになったのだ。

 空港は、そういう意味では、新幹線と同じ、

「インフラ」

 であるが、事情という意味では、大いに違う。

 贅沢という意味でいえば、

「空港」

 ということになるが、

「生活に密着している」

 ということになるのは、

「新幹線の方」

 だといえるだろう。

 バブルが弾けてからというもの、時代は、コンピュータの時代に入っていった。

「人件費の節減」

 という意味でも、今まで人海戦術で行っていたことを、コンピュータであれば、すぐにできてしまうということで、

「高度な知識や経験がなくとも、パソコン操作ができれば、事務的な仕事はこなせる」

 ということである。

 学校でパソコンの基礎くらいは教えるようになったので、就職には、

「ワープロや表計算ソフトができて当たり前」

 ということになっている。

 そうなると時代は、責任を負わせる人は一人だけにして、

「後は、パートや派遣社員に、やらせる」

 という時代がやってきたのだった。

 そうなると、事務的な仕事はパートや派遣社員に、そして、

「責任が伴うような仕事」

 あるいは、

「苦情係であったり」

 などを社員が行う

 ということになるのだ。

 しかも、派遣やパートが基本的に、

「定時までで、残業はさせない」

 ということであると、残った仕事で、その日のうちに終わら差なければいけない仕事は、正社員に任されることになる。

 そうなると、正社員の仕事はどんどん増えていき、責任も大きなものになってくる。

 しかも、

「残業はしない」

  ということになっている場合、

「できませんでした」

 というのは、許されないとなれば、

「一人で、こっそりと、残業をしていないことにして、終わらせるしかないではないか?」

 しかも、途中から、

「個人情報保護」

 というものが言われ始めると、

「仕事をうちい持って帰る」

 ということもできなくなった。

「もし、途中で、資料の入ったカバン、パソコンの入ったカバンを置き忘れたり、さらには盗まれでもしたら」

 と考えると、恐ろしくてできないだろう。

 しかも、かなりの疲労困憊の状態で、電車に乗ったりすると、椅子の上に置き忘れるということも十分にありえると思うと、

「忘れてしまうことだって、十分にありえる」

 と考えられる。

 そうなってくると、会社に泊まって仕事などということも出てくると、完全に、ストレスによって、身体や神経をやられるということも当たり前に出てくることである。

 会社とすれば、

「人件費は抑えられる」

 ということで、

「よかったよかった」

 ということなのかも知れないが、実は、知らない間に、社会問題となってくることが、徐々に押し寄せてくることを、誰が知るというものだろうか?

 確かに、派遣やバイトというと、給料は安いし、

「いつでも首が切れる」

 ということで、雇う側にとっては、ありがたいということが多いように見える。

 しかし、パートや派遣というと、最初は、主婦の人が多かったりしただろう。

「共稼ぎをしないとやっていけない」

 ということである。

 そうなると、問題なのは、

「子供がいる場合」

 である

 特にその子供が小さかったりすると、保育園や幼稚園から、電話が掛かってきて、

「お子さんが熱を出したみたいなので、急いで病院に連れて行ってください」

 ということになる。

 保育園には、数人の保母さんがいるのだろうが、一人だけが熱を出しただけならいいが、数人一緒に熱を出してしまったりすると、病院に連れていくのも、大変で、人が足りなくなる。

 そうなると、親御さんに来てもらわないと、保育園が回らなくなる。

 ということで、

「すみません、子供が熱を出したと保育園から連絡があったので今から、行きますので、今日は、これで上がらせてください」

 ということになる。

 正社員であれば、またちょっとは違った言い方をできるのだろうが、相手が派遣やパートであれば、強くはいえない。

「自分が大変なことになる」

 ということは分かっているとしても、ここで、

「それはダメだ」

 と言わるわけもないし、そこまでの立場でもない。

 ただ、それでも、まだまだ派遣やパートがそんなに流行り出す前であれば、言い出す方も、かなり遠慮気味だったことだろう。

 会社の人の目もかなり、偏見の目を持っていたに違いないからだ。

 そんなことを考えていると、

「パートや派遣というのは、それぞれの現場の立場とすれば、これほどやりにくい」

 というものもないだろう。

 それでも、共稼ぎの子持ちの奥さんとすれば、この制度は、

「働き口がある」

 という意味ではありがたいのだろう。

 そのうちに、どんどんと、そういうシステムが確立していき、いよいよ、世間では、

「派遣や、パートが、会社の事務をこなす」

 という時代がやってくるのだった。

 それに伴って、

「コンビニや、ファーストフードの店員」

 などに増えてくると、街のスーパーやいろいろなところに、広がってくるのだった。

 そんな時代を経て、今度は、アメリカで、

「リーマンショック」

 などという問題が起こり、今度は、企業が、

「派遣切り」

 などということをし始めたのだ。

 確かに、派遣先の都合で簡単に、派遣社員の派遣を、3カ月くらいの期間で契約を更新するようになっているが、派遣先から、

「次は更新しない」

 と言い渡されると、派遣元とすればどうすることもできず、そこにいた派遣社員を、どこか他で募集しているところがあれば、そこに回すということもできるのだが、この時は、何といっても、

「ほとんどの会社が、契約解消」

 といってくるのだから、他に回すところか、そうなると、派遣社員には、

「契約をしない」

 と言い渡すしかないだろう。

 これも、契約書で、

「一か月前に、更新の意思のないことを言っておけば、お互いに契約を無理強いすることはできない」

 ということになるのだ。

 それを考えると、

「派遣切り」

 というのは、ものすごく、理不尽ではあるが、

「会社が生き残るためには、仕方がない」

 ということになるのだろう。

 さすがに、ここにいたって、

「今までの日本企業の特徴であったことが、完全に崩壊してしまった」

 と言えるのではないだろうか。

 それは、二つあり、一つは、

「年功序列」

 というものだ。

 基本的に、何か重大な失敗などがなければ、年齢とともに、給料や階級が上がっていくという制度で、アメリカやヨーロッパなどの

「実力主義」

 ということではないという考えである。

 もう一つは、

「終身雇用」

 という考え方である。

「一つの会社に就職すれば、定年まで勤め上げる」

 というのが、日本の昔からの考え方だった。

 しかし、

「実力主義」

 ということを考えると、アメリカなどは、

「たくさんの会社を経験した方が優秀な社員だ」

 ということになる、

「引き抜き」

 というのもあるからだ。

 しかし、年功序列であれば、

「いろいろな会社を渡り歩いたというのは、その会社では人間関係であったり、なかなか我慢できない性格だったりして、それで、たくさんの会社を渡り歩いている」

 と考えられるのだ。

 それだけ、まったく欧米と日本とでは、会社、社員というものに対しての考えが違っているということである。

 それを思うと、今は、どんどんと日本も実力主義の会社も増えてきているが、

「それでいいのだろうか?」

 と思わずにはいられないのだった。

 そんな時代になると、結局、企業側も、

「使える人材」

 を抱えていたいという気持ちも当たり前だろう。

 昔のように、

「年功序列」

「終身雇用」

 ということであれば、

「新卒で優秀な人材を取ってきて、会社で育てる」

 ということが当たり前だった。

 だから、会社でいろいろな部署を経験されるために、部署替えも頻繁に行ったり、転勤もたくさんさせるというのが当たり前だった。

 特に、大企業で、

「海外支店などを展開している」

 というようなところの社員が、

「2、3年の海外勤務」

 と言われると、

「戻ってきたら、出世コースまっしぐら」

 ということで、まわりからは、

「エリートコースじゃないか? 栄転だよ」

 と羨ましがられたものである。

 特に、昭和の高度成長期など、海外勤務というと、ほとんどの社員が、憧れたものだっただろう。

 その頃のドラマというと、

「海外勤務=出世街道」

 というのが当たり前で、

「せっかく、大企業に入ったのだから、出世街道に乗るのは当たり前」

 という時代であった。

 学校も、大卒か、高卒か?

 ということで、その頃は、専門学校というのは、あまり多くはなかった。

 もちろん、専門的な知識や技量を持つためには、専門学校というよりも、専門の大学というレベルの、例えば、

「看護学校」

 などが存在するくらいだった。

 今では、職業も、多種多様で、最初の頃の専門学校というと、

「システムスクール」

 などが主流だっただろう。

 しかし、そのうちに、介護や、語学、さらには、タレント養成スクールのようなものまで、専門学校ということで認知されていることであろう。

 中には企業によっては。

「大卒よりも、専門学生」

 というところもあり、ハッキリとは分からないが、

「給与水準が、大卒よりも抑えられたからなのかも知れない」

 と感じるほどだった。

 しかも、今では、正社員というよりも、派遣社員の需要が高かったりするので、大卒よりも、専門的に学んでいる人の方が、重宝されるのではないだろうか?

 正直、

「総務」

「人事」

 ではないので、詳しいことは分からないが、専門学生を優遇するところも、実際には結構あるのかも知れないのだ。

 大学生を必要としないわけではないが、専門的な知識を持っている方が、

「そのうち辞められることを思うと、使えるうちに使おう」

 という考えがあったとしても無理もないだろう。

 そんなことを考えると、

「会社が社員を育てても、しょせんは、出ていかれてしまっては同じ、会社は学校ではないんだ」

 ということである。

 それは、プロスポーツ界にもあることである。

 分かりやすいところでは、プロ野球というものである。


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