第29話 ラフィエル~とある父親の悲劇について~
「ラフィエル、お前は本当にクズね。何の役にも立ちはしない」
貴族家の正妻の息子として生まれたはずのラフィエルの人生は、母親が幼くして亡くなり、継母が正妻に繰り上がった事で、非常に不幸なスタートを切った。
正妻となった継母は、なぜか女の子しか生む事が出来なかった。
そのために家を継ぐ男児を生む事が出来ず、家を継ぐことになっているラフィエルにとても辛く当たった。
父親も、継母と継母の実家の強権に怯えているのか、あまり自分を守ろうとはしてくれない。
殴られながら3歳になり。
罵られながら4歳になり。
虐められながら5歳になった。
その結果――
その頃にはラフィエルは立派な女性恐怖症になっていた。
ラフィエルは通りを歩いていて、女性が近くを通るだけで、
「ひっ……!」
と物陰に隠れようとするほどに、大人の女性を恐れるようになっていた。
そして同じくラフィエルにとって恐怖の対象だったのが、継母が産んだ姉や妹達だった。
彼女たちはラフィエルが家の中でいかに弱い立場なのかを敏感に察知し、ことあるごとにラフィエルを苛めた。
ラフィエルの分のお菓子が残っている事などなく。
ラフィエルの父からプレゼントされた想い出のおもちゃはあっけなく壊され――
家庭教師にはラフィエルの恥ずかしいエピソードを吹き込まれ、笑いものにされ――
――極めつけには、少しでもラフィエルが逆らう素振りを見せたら、すぐさま継母を呼び出した。
継母の裁判は簡略式で、ラフィエルが何を言おうとも「口答えするんじゃないよ!」と手に持った乗馬鞭でラフィエルを虐待した。
その鞭は、信じられないほど強い痛みを与えてきて、ラフィエルは一撃入れられただけで全ての逆らう気力を失う。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
それ以上ぶたれないように、必死に謝るラフィエルの身体に、容赦なく追撃の乗馬鞭が振るわれる。
痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!
ラフィエルはただ、嵐が過ぎるのを待つことしか出来なかった。
心がバラバラになっていくような痛みだった。
――いや、事実、ラフィエルの心はバラバラになっていた。
ある日、ラフィエルは、自分に身の覚えのない悪口などを、メイドや侍女などが囁いているのを壁越しに耳にする。
怖くて、慌てて外に出てみると、そこには誰もいなかった。
またある時、父親と話す貴重な機会があった時、突然父親の罵倒する声が聞こえて、びくりと身体が震える。
だが次の瞬間、父親は「どうかしたのか?」と不審げにラフィエルの事を訝しむのだった。
そう、ラフィエルは、精神を病んで、不可思議な幻聴に苦しむようになっていた。
ラフィエルは次第に、自分の周り全てが自分の敵で、自分を貶めようとしていると思い込むようになっていく。
そして、それら全ての原因は自分の悪にあり、自分が悪いから、みんな自分の事を虐めるのだと、そんな歪んだ信念が深く深く根付いていく。
幻聴はますます酷くなり、太陽の光が自分を殺すような幻視を視たりして光が怖くなり、水の中に溺れるような妄想をして水が怖くなり、食べ物の味すらも毒のような味に感じられて食べ物が怖くなり……
ラフィエルはがりがりに痩せていき、病的に引きこもるようになった。
その頃には、継母もラフィエルを虐める事に飽きていて、娘達と平和にティーパーティを楽しむ事に勤しむようになっていたが、ラフィエルにとっては変わらず恐怖の象徴である。
ラフィエルは、継母とすれ違うたびに、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
と心の中で、小声で謝り続け、自分をこの地獄から解放して欲しいと懇願するのだった。
だが、ラフィエルの人生は、そんな地獄のまま終わりを迎えるわけではなかった。
救いの手は、突然現れる――
――それは幼い女の子の形をした救いだった。
その女の子――アミィという名だった――は、わずか3歳の段階で、ラフィエルの婚約者として、屋敷に送り込まれてきた。
当時、ラフィエルが14歳だったので、およそ11歳差のカップル。
女の子が、どう考えても健全に育っているとはいいがたいラフィエルの婚約者として送り込まれてきたのは、完全に捨て駒、厄介払いとしての体だった。
その女の子は『鬼子』、つまりは呪われた子として教会に判定された、忌み子だったのだ。
鬼子は、家にいるだけで不幸をもたらすと言われており、相手の家はそれを隠してラフィエルと婚約を結ばせ、女の子は鬼子であることを隠したままラフィエルの家に送り込まれてきた。
すでに、ラフィエルが当主になる事などあり得ないと考えていた継母は、アミィを無視する方針を取り、姉や妹もそれに倣った。
その結果として、ラフィエルと、アミィは、狭い個室の中で、長い長い時を共に過ごす事になった。
ここで、『鬼子』という存在についてもう少し説明しておこう。
この時代における『鬼子』とは、度が外れて歪んだ人間性を遺伝的に持っている種類の子供であり――
また、度が外れて優れた才能を持った、世を乱す天才児であった――
アミィも、その例に漏れず、度が外れて歪んでいて、そして天才的な女の子だった。
アミィはその圧倒的な知性で、3歳にして自分が置かれた立場を理解し、ラフィエルの家における状況を理解し、ラフィエルの精神状態を理解し、自分がどう行動すれば最適な立場を得られるかを計算し終えていた。
アミィは、まず、ラフィエルを『修復』する事から始めるのがいいと結論づける。
ラフィエルの精神を『修復』するため、アミィはあらゆる手管を用いて、ラフィエルを篭絡し、魅了し、洗脳し、浄化した。
アミィは、まず、ラフィエルが大人や同年代の女性に恐怖感を持っている事を利用して、『自分のような幼い女の子は怖くない、純粋で自分に優しくしてくれる、癒される存在だ』というイメージを刷り込んだ。
さらに、ラフィエルが思春期で極めて強い性欲を持ちながら、女性への恐怖からそれを発散できずに悶々としている事に気づき、『自分のような幼い女の子を性のはけ口にしてもいいんだ』と歪んだ性癖へと開花させるように仕向けていく。
そして、アミィはラフィエルの欲望を上手にコントロールし、ラフィエルの我慢の限界まで我慢させて、アミィに服従し、言う事を聞いた時だけ欲望を発散させる、といった手法で、狭い個室の中でひたすらにラフィエルを洗脳していき、自分の奴隷に成り下がらせた。この時、アミィはわずか4歳、ラフィエルは15歳であった。
その結果、ラフィエルはアミィの命令通りにアミィのセラピーを受け、アミィの命令通りに筋肉や体力のトレーニングを行い、アミィの命令通りに食事をとる生活を送っていく。
ラフィエルは少しずつ心身の健康を取り戻し、顔色が明るくなり、妄想に取りつかれた生活が終わりを迎える。
相変わらず部屋に閉じこもっているラフィエルのそんな変化に、継母と姉や妹達は気づいていなかった。
さて、アミィの計画はようやく次の段階を迎える。
アミィが6歳、ラフィエルが17歳となったタイミングであった。
アミィは、次にラフィエルの父親に向けて、工作を始める。
それは純粋な殺意――
――アミィは、毒を少しずつ、ラフィエルの父親の食事に混ぜ込んだのだ。
ラフィエルの父親は衰弱していき、やがて亡くなる。
その時、継母は喜んだだろう。
これで、姉が婿に取った男を当主に据えれば、自分の天下だ――
貴族家を一つ、思うがままにできるようになる――
だが、それは単なる妄想のまま、突然の終わりを告げられる。
アミィの鍛え上げたソルジャーとなったラフィエルが、その健康でしなやかな肉体で、家に飾られた宝剣を手に取って、殺人を開始する。
妹を刺し殺し、姉を貫き殺し、ついには因縁の継母を、逃げる背中を袈裟斬りにして、殺す。
ラフィエルはただ無心で、それがアミィの命令だからと、感傷を感じる事もなく、淡々と殺人を行った。
これでアミィにご褒美を与えてもらえる――
そんな事を考えながら。
そうして、少々のお家騒動がありながらも、ラフィエルは無事当主として貴族家を継ぐことになる。
アミィはその正妻としての座に収まった。
それから、アミィは我が儘放題に自分の野望に向けて好き勝手に貴族家の金を使い、ラフィエルはお飾りの当主として、アミィの命令されるがままに振る舞い、ご褒美を乞う。
そんな日々が、7年ほど続き。
アミィは、13歳にして身籠り、14歳にしてシェリという名の赤子を生む。
この時、二人に、人生最初にして最後の喧嘩が訪れる。
アミィは、忌み子ゆえの性質か、シェリを愛する気持ちが一切湧かず、シェリを殺そうとする。
ラフィエルは、幼い女の子が殺される事への忌避感からか、本能的にシェリを守り、アミィに逆らう。
それは、アミィの性的な支配が、アミィが大人になりつつあることで、終わりを告げていたという意味でもあった。
ラフィエルは、13歳になったアミィを性的な目で見る事が出来なくなりつつあり、また恐怖を感じ始めていたのだ。
アミィは、そんなラフィエルを自分ではどうする事も出来ないと悟り、多額の財産をもって、家を去る事を決める。
それは二人の別れであり、シェリとの親子生活の始まりだった。
「シェリ……二人っきりになったけど……大事に育ててあげるからね……」
その時は、ラフィエルのそんな純粋な笑みが、シェリに向けられていた。
だが、アミィと別れてほどなくして、ラフィエルは自分の性欲の処理に苦しむ事になる。
アミィによって刺激的なプレイの数々を経験していたラフィエルは、自力では全く欲求を抑える事が出来ず、目をぎらつかせて、あちこちを徘徊して回るようになる。
夜、貧民街に紛れ込んだ孤児を襲い、欲求を満たしたりしていたラフィエル。
だが、家に帰れば、シェリを大切にする優しい父親の顔を取り戻していた。
ラフィエルは、心底、自分の子供を大切にするつもりだったのだ。
自分は散々、親に蔑ろにされ、虐待されたからこそ。
自分の子供くらいは、幸せで、真っ当な人生を過ごさせてあげたい。
そんな想いがラフィエルには芽生えていたのだ。
だが、結局の所、それは明らかに無理をしている想いで、長続きしない。
歴史は繰り返す、というが、それは人間の精神も同じだった。
人間はされた事を、自分もするようになってしまう性質を持っている。
ラフィエルは次第に幸せそうに暮らすシェリに嫉妬してしまい、また欲情し始める。
そうして、シェリが幸せなままならいいよな、と自分に言い訳しながら、シェリの性の知識を歪めて、『儀式』を行うようになる。
それは抑え続けていた欲求にとってたまらない快楽で、すぐにラフィエルはシェリに夢中になった。
だがそれと同時に、幸せそうにしているシェリへの嫉妬はどんどん抑えきれなくなっていく。
なぜシェリだけ――
俺はあんなに辛かったのに――
シェリにもあんな目に遭ってほしい――
次第にラフィエルの思考は歪んでいく。
それでも、シェリが性的な対象であったことから、ラフィエルは表面上はシェリを大事にし続けるが、ついに時は来る。
シェリに、欲情できなくなってしまったのだ。
ラフィエルは新しい妻を見つけて、今度こそシェリを不幸にしてやろうと、ほくそ笑んだ。
奴隷商を見つけて、シェリを売る手続きを済ませ、新しい妻を買ってきて、蹂躙した。
シェリの絶望した顔を見るのは、とても気持ち良かった。
長年の、積年の心の傷が、繰り返し自傷されたような気持ちよさがあって……
あれ……
俺は、シェリを幸せにしたかったはずじゃ……
皮肉な事に、シェリがいなくなって初めて、ラフィエルはシェリが自分の大切な子供であり、絶対に幸せにしたかった存在なんだと思い出した。
ラフィエルは、年甲斐もなく、泣いた――
泣きわめいた――
――自分の宝物が、自分の大切な娘が、愚かすぎる男の一時の感情的な行動で、永遠に失われてしまった……!
ラフィエルは嘆き悲しみ、自分のような愚かな男に救いなどあっていいはずがないと、自殺した。
ラフィエルの全財産は、結婚した当時7歳の娘の物になった。
これが、シェリ・アドゥルテルの前世の父親、ラフィエルの人生の顛末であった――
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