第20話 シェリの不安

 わたし、シェリ・アドゥルテルは現在、どんな魔法芸術をわたしと一緒に作り上げようかと思案を巡らせるクロウさまの相貌を眺めている。


 どこか眠たげな印象を受ける、ハンサムで端正なお顔。先程わたしが直してあげたおかげで寝癖などはなく、後ろに流された爽やかな髪型が維持されている。


 格好いい。わたしの友達は最高に格好いい。わたしはそんな賛辞をクロウさまに送ってあげたくなる。


 この格好いい友達は、わたしのために、わたしへの恋心や欲求をすべて抑え込んで、素敵な友達としてわたしと接してくれている。


 わたしはその苦悩を思うと、申し訳なくなって、いっそクロウさまの恋人になってあげた方がいいのではないかとすら考えてしまうことがある。


 だが、それはだめなのだ。

 わたしが求めるのは、恋魔法が作り上げた恋心のおかげで一緒にいてくれるだけの男の子ではない、というのも理由の一つではある。


 だが、それ以上にわたしは怖いのだ。

 わたしには、なぜかはわからないが、男性を、正確にはその性的な部分を、本能的に恐れているところがある。

 その恐れは恋魔法をその身に宿したことで加速的に高まっていき、もはやわたしにとって、友達以上の付き合いを男の子とするのは想像もつかない事だ。


 だから、わたしはクロウさまの優しさに甘えて、どうしようもない苦しみをクロウさま一人に押し付けて、自分はぬくぬくと友達の喜びを楽しんでいる。


「シェリ、天使人形を使ったお話を考えてみたんだけど……」


 そう話すクロウさまは、いまも優しげな眼差しで、わたしのことを見つめてくれている。それは大切な友達に向ける、親愛の眼差しそのもので、その視線一つをとっても、わたしはつい嬉しくなってしまう。


「クロウさまっ! わたくしのために、早速おはなしを考えてくださったのですね! いったいどのようなお話でしょうか?」


 わたしはクロウさまがどんな素敵なお話をしてくれるのだろうと、ワクワクしながら続きを待つ。


「そうだな……むかしむかしあるところに、一人の女の子がいました。女の子は村で虐められている孤児で、いつも一人ぼっち。寂しくて、寂しくて、毎日泣きながら眠りについている、そんな女の子でした」


「はい……! はい……!」


 わたしはありありとクロウさまが語る情景を想像することが出来た。

 可哀想な孤児の女の子は、まるでわたしのようだと、そんな事を思い、あっという間に女の子に感情移入した。


「女の子はその日も、一緒に遊びたいと勇気を出して女の子たちに話しかけますが、すげなく無視されてしまいます。その末に『お前みたいな汚いやつと友達になるやつなんているわけない。お前みたいなやつは、一生一人だね』と冷たい言葉をかけられてしまいます。女の子は、その言葉が悲しくて、悲しくて、一生一人でいる自分を想像してしまって、わんわん泣きながら家に帰りました」


「可哀想です……わたくし、この女の子に幸せになってほしいです……このままは、嫌です……!」


 わたしには、その女の子の物語は、まるで自分の話であるかのように痛切なものとして感じられた。女の子の悲しみが、心の痛みが、ひしひしと伝わってくる。


「家に帰り、その日も泣きながら眠りについた女の子は、ある夢を見ます。それは、自分の所に、不思議な天使の女の子がやってきて友達になる夢。目覚めた女の子は、自分が眠る布団の枕元に、一体の天使の人形が存在している事に気づきます」


「はい……! 天使ちゃんですね……!」


「……女の子は天使の人形と会話をしながら、少しずつその心を癒していきます。天使の人形は、優しく、朗らかに、女の子の心を包んでくれました。次第に、元気になった女の子は、天使の人形の癒しの魔法で、その服装や身なりも綺麗に整えられていき、ついには街を通りがかった貴族の少年に見初められて、貴族家の従者として働けることになりました」


「へぇ……! 貴族の少年が物語の王子様のような役割を担うのですね……!」


「女の子はそのまま成長し、優しい貴族の少年と結ばれ、豊かで幸せに暮らしていきました。天使の人形は、いつの間にか話さなくなってしまいましたが、今でも女の子の部屋の片隅で、女の子を見守っています。めでたしめでたし」


 わたしは話が終わって感動を覚えながら、クロウさまが話を終えて、わたしに向き直ってくれるのを見つめていた。


「すごいです……! これがわたくしとクロウさまの手で作られる魔法劇の脚本なのですね……! 感激いたしました……! ――わたくし、頑張って作ります! わたくしの魔法で、女の子の幻影や、女の子を虐めた女の子の幻影を作って動かします! クロウさまは、天使ちゃんを、天使人形の幻影を作って動かしてくださいませ!」


「ふふ、こういうお話を考えるのはあまり経験がなかったけど、うまく語れたみたいで良かったよ。この話は、どことなくシェリをイメージして作ったんだ。だから、最後には幸せになってほしいなと思って、自然とハッピーエンドになっていた。俺はシェリにも、この女の子と同じように、幸せになってほしいなと、そう思っているよ」


 じーんと、深い感動にわたしは包まれていた。

 自分の幸せを祈ってくれる存在がいる。

 それがこんなにも、深く甚大な幸福感をもたらしてくれるのだと、わたしは二度にわたる人生で初めて知ったのだった。


 わたしは感動しすぎて嬉し涙を流しながら、クロウさまに感謝の意を伝える。


「ありがとう……ございます……! わたくしなんかのために、何度も何度も素晴らしい言葉を紡いでくださって……素晴らしい物語も紡いでくださって……わたくし、クロウさまが大切で、大切で、しょうがありません……!」


 だが、わたしの二度にわたる人生の呪縛は、こんな素晴らしい感情にすら、泥を投げかけてくる。


 わたしは喜びを越えて、いつかクロウさまを失うかもしれない事に、強すぎる恐怖感を持つに至っていた。


「ですがクロウさま、だからこそ、わたくしは怖いです……クロウさまが素晴らしすぎて、わたくしなど、クロウさまに釣り合わない存在なんじゃないかって……クロウさまと友人で居ていい存在ではないのではないかって……いつか見捨てられてしまうのではないか、って……怖いのです……」


 クロウさまは、素晴らしい、神様のような方だ。

 それがいつまでもわたしだけのために一生懸命になってくれると考えるのは、恐れ多い事だ。


 それでなくても、クロウさまはわたしの恋魔法による誘惑を必死に耐えて、いまここにいる。


 ――だからこそ、いつか、クロウさまはわたしと友人でいる事を、諦めてしまうのではないか。

 ――わたしなどのために必死に欲望を我慢して、友人でいてくれる事など、続かないのではないか。

 ――わたしに、クロウさまの友達で居続けられるような価値など、無いのではないか。


 そんな心理が、わたしを次々と襲い、わたしは気づけば不安に取りつかれて、クロウさまに縋っていた。


「……クロウさま……! わたくし、どうすればクロウさまに捨てられないで済むでしょうか? わたしに、クロウさまに御恩を返せるような価値などありません……わたくしは、ただ、クロウさまに貰い続けているばかりです……それが、辛くて、辛くて、辛いのです……!」


 クロウさまは、そんなわたくしに、困ったようにしながらも、そっと微笑んでこう言った。


「シェリ……大丈夫だ。俺を信じていい。俺はシェリを裏切ろうなんて、微塵も思っていない……どうしたら、信じてくれるだろうか? なんなら、俺を試してくれてもいい。俺がシェリを裏切らないかどうか、テストしてくれればいいさ。シェリが望む事を言ってみてくれ。俺はそれを、可能な限り叶えてみせる」


 クロウさまは、いつも予想を越えて素晴らしい返答を下さる。

 わたしはその言葉に深く感激しながら、クロウさまに望む事とはなんだろうかと考えた。


「クロウさま……ありがとうございます……その上で恐縮ですが、わたくしの望む事を言いますと……わたくし、クロウさまに、抱っこされたいです……クロウさまに、もっと甘えて、甘えて、甘やかされたいのです……ダメ……でしょうか……? さすがにクロウさまにとって、負荷が……我慢の量が多すぎるでしょうか……?」

 

 わたくしの本能を、欲望をそのまま口にしたような言葉にも、クロウさまは引いたりすることなく、少し困ったようにしながらも、笑顔で応えてくれた。


「……正直に言えば、俺にとってはつらい状況になるとは思うけど……それでもいいさ……シェリが誰にも甘えられないまま、身体だけ成長した痛々しい子供のような精神のままで、ここまで来ている事は分かっている。俺が、それを少しでも癒せる助けになれるのなら、なるべきだと思うから……シェリ、俺に甘えていい。好きなだけ甘えてくれ。幸いここは二人きりだ。誰も見咎める者は、いないよ」


 わたくしは、喜びが高まりきった勢いのまま、クロウさまの胸に飛び込むようにして抱き着いた。


「クロウさま……クロウさまっ……! 好きです……! 好きなんですっ……! クロウさまが友達でいてくれる事が、嬉しくてしょうがないんです……! わたくしは今まで、ずっとずっとずうっと、寂しかったのです……! 寂しくて、寂しくて、しょうがありませんでした……! こうしてクロウさまに甘えていると、わたくし、もう一人じゃないんだなと、クロウさまがわたくしにはいるんだと、そう思えて、幸せな気持ちになれます……! クロウさま……! 好き……好きです……大好きです……」


 クロウさまは、その息を少し荒くして、顔を赤らめて苦しそうにしながらも、わたくしを抱き締め持ち上げて、抱っこの体勢を作ってくれる。


「シェリ、大丈夫だ。俺は大丈夫だから……好きなだけ、甘えてくれ……」


「はい……はい……!」


 それから長い時間、わたくしはクロウさまを味わい続け、クロウさまの胸に顔を擦りつけたりしながら、幸せを満喫した。


 だが、それでもなお襲う、300年前から続く不安が、わたくしにこう囁く。


 ――クロウさまをここで本気で誘惑したら、クロウさまはやはりわたくしを裏切って、わたくしを襲ってしまうのだろうか。

 ――クロウさまは、わたくしの本気の誘惑すら耐えて、友達で居続けてくれるのだろうか。

 ――クロウさまの友達で居続けようとする意志は、どれほどのレベルで信頼できる、どれほどのレベルで耐久性のあるものなのだろうか。

 

 一度不安に思ってしまったら、その思いは止まらなくなる。


 わたくしは、こうした不安を、試してみずにはいられない。


 だから――


「……? シェリ? どうしたんだ?」


 わたくしは、様子を不審がって心配してくれるクロウさまに対して、呟くようにこう唱える。


「――恋魔法〈愛の奴隷〉」

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