第8話 シェリ・アドゥルテルの前世

 わたし、シェリ・アドゥルテルの前世は、常に孤独とともにあった。


 寂しくて、寂しくて、どうかしそうな状態が、延々と続いただけの人生だった。


 わたしは〈恋の試練と向き合う者〉になった時には、その副作用である苦痛や幻覚が無くても、すでに壊れかけていたといっていい状態だった。


 それは、すでにその人生で色濃い孤独と、絶望の中に墜ちていたからだ。


 正直言って、それまでの人生の事は、今ではあまり良く覚えていない所がある。

 覚えているのは、父親を深く愛していた事。

 そしてその父親に、捨てられた事だ。


 わたしはそんな絶望の中、苦痛に満ちた〈試練と向き合う者〉への改造手術を受けて、廃人のような状態で施設に送られてきた。


 わたしは絶望していた。孤独だった。


 だが、その絶望と孤独を決定的にしたのは、〈恋の試練と向き合う者〉の魔法である、恋魔法の常時発動だった。


 最初は、おかしいな、と思った。

 

 出会う男の子、出会う男の子、みなわたしの事を、陶然とした顔つきで見つめ、顔を赤らめて、必死にわたしと仲良くなろうとするのだから。


「あ、あの、シェリちゃん……良かったら僕と二人で話さないかい?」


「いやいやシェリちゃん、俺と……」


 それが〈試練と向き合う者〉という強大な力を持った男の子達なものだから、わたしは彼らが喧嘩しないようにするだけで、非常に精神的労力を使う事になった。


 男の子たちが、わたしの魔法の暴走の結果、すべからく恋に落ちている事はすぐにわかった。


 面白くないのは、女の子の〈試練と向き合う者〉たちだ。

 

 彼女達の中には、不安定な精神状態の中、想いを寄せる男の子、気になる男の子がいた者も多かったであろう。

 

 それが、いきなり現れた女の子にすべてかっさらわれたのだ。


 女の子たちは、わたしを無視するか、陰湿な形でわたしを虐めるかの2通りに分かれた。


 そうした女の子たちと、わたしを守ろうとする男の子たちが相争うのだから、もう地獄といっていい有様だった。


 そのような日々の中、わたしは相変わらず澱んだ瞳でそんな男の子たちと女の子たちを眺めていたのだが、ある日、事件は起きる。

 

 その日、部屋を出たところで、一人の男の子に待ち伏せされていた。


「シェリちゃん……はぁ……はぁ……ちょっと部屋の中で話そうよ……」


 男の子は只ならぬ様子で、息を荒げながら、わたしを部屋の中に半ば無理やり連れ込んだ。


 わたしは、こんな事も起こるかもと予想はしていた。


 だが、実際に男の子に組み伏せられ、身体中をまさぐられて、胸を揉まれたり、下腹部を触られたりするのは、芋虫が体中を這い回っているようなおぞましさがあった。


 わたしは気持ち悪くて、気持ち悪くて、吐き気を催しながら、その男の子が太ももの間に白い液体を出すまで耐えていた。


 男の子は、性欲を失って正気に返ったのか「ボクは……ボクは……」などとうわごとをつぶやきながらよろよろと逃げていった。


 わたしは、黙って服を脱ぎ、部屋のシャワーで白い液体を洗い流した。

 気色悪い。気色悪い。気色悪い。


 ぐるぐると回る思考の中、現実と妄想が輪郭を失って、わたしの〈試練と向き合う者〉特有の苦痛と幻覚の症状が始まる。


 その日の幻覚は、幾人もの男に身体をまさぐられて、時に顔面を殴られたりしながら、酷い苦痛を味わい続けるものだった。


 わたしは、耐えがたい、と思った。

 

 いつもなら我慢できる苦痛と幻覚も、今来られると、とてもじゃないが耐えられそうにない。


 わたしは発狂しそうな苦しみの中、ただ、幻覚と苦痛に耐えた。正確には、耐えられておらず、心の中がバラバラになっていくような不快感に身悶えしていた。


 やがて、その症状が治まると、わたしは急に、自分がこの世の中で、ずっと一人であるのだと感じた。


 ――ああ、わたしは伽藍洞。


 わたしに求められているのは、身体とか、色香とか、そういう外側のくだらないものばかり。


 誰もわたしの心を、魂を、愛してなんてくれていない。


 突如として、わたしは自分自身を理解してしまった。


 ――わたしは、寂しかったのだ。


 ただ、ただ、寂しかった。


 途方もなく、寂しかった。


 誰でもいいから、この孤独を埋めてくれてほしい。


 わたしに恋なんてしなくていい。


 ただ、友達になってほしい。


 それだけがわたしの願いだったのだ。


 なのに――





 その少年に出会った時、他とは違う空気を感じた。


 眠たげな茶色の瞳。ぼさぼさとした金髪を後ろに流した髪型。知性に満ちた眼差し。


 彼は〈試練と向き合う者〉が味わう苦痛と幻覚の中でも、理性の光を失っていないように見えた。


 クロウと名乗った少年は、すでにアマナという女の子や、エッセという女の子とずいぶん親しくなっているようだった。


 だから、わたしはこう思った。


 この少年だったら、もしかしたらわたしが心休まる存在になってくれるかもしれない。

 

 アマナや、エッセという女の子と友達になれるよう、取り計らってくれるかもしれない。


 ――わたしはクロウに勇気を出して話しかけてみた。


 話しかけてすぐ、わたしは自分の失敗に気づいた。


 わたしに話しかけられて、舞い上がって恋に落ちない男の子なんていないのだ。

 

 それに気づけた事を学びとするだけでいいなら、良かった。


 だが、わたしはクロウが築いていた、大切な大切な人間関係をぶち壊しにしてしまっていた。


「シェリ。俺はキミの事が好きだ。好きなんだ。付き合ってほしい」


「……ごめんなさい」


 クロウの告白を、わたしはいつものようにすげなく断った。


 それはわたしにとって、流れ作業のようなものだった。


 クロウは全ての光を失ったように絶望した目をしながら、「……分かった。ごめん」と言いながら、よろよろと去っていった。


 わたしも、踵を返してその場を去る。と、廊下を曲がった所で、目の光を失った少女と出会った。


 アマナだ。


 アマナは、プルプルと、何か絶対に受け入れられないものを見たかのように震えながら、わたしを見て目を見開いていた。


 わたしは、目を伏せ、黙って横を通り過ぎる。

 

 その数日後、エッセという女の子が、泣きながら私にナイフを向けてきた。


「この魔女……! お前さえいなければ……! お前さえいなければ……アマナは……!」


 エッセは、わたしを守る男の子たちに取り押さえられたが、わたしはそれ以上の暴力を止める事しか出来なかった。


 わたしは状況が分からず、クロウにアマナという子はどうなったのかと聞いた。


「アマナは自殺した」


 その言葉で、わたしは全てを理解してしまった。


 わたしの愚かなふるまいが、考え無しな行動が、そして流れ作業だと思っていた告白が、一人の不安定な心を持つ少女の恋を終わらせ、自殺に導いたのだ。


 わたしは、もうその途端、すべてがどうでも良くなった。


 〈試練と向き合う者〉の味わう苦痛と幻覚に、気丈に耐える気力を失った。


 次第にわたしは幻覚の中でも、孤独に苦しめられ、孤独に泣きわめき、孤独に耐えきれなくなる。


(寂しい……寂しい……寂しいよぉ……寂しいよぉ、パパぁ……!)


 すでに記憶の混濁していたわたしは、自分を〈試練と向き合う者〉に追いやる原因となった、自分を売った父親に縋っていた。そこまでに、わたしは堕ちていた。


 自殺を決意するまでにはそう時間はかからなかった。


 その時は、誰もいない、寂しい所で、人知れず死のう。


 そう思い、軍を離れ、遠い所で一人命を絶った。


 改めて振り返っても、なんて、孤独で哀しい人生だろう。


 わたしが救われる事なんて、もうないのだろう。


 そんなマイナスの信念が、わたしの中にははっきりと具現化して像を成していた。

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