第3話 前世~アマナとクロウ~

 転生の影響か、前世の記憶は、虫食いのように飛び飛びになっているのが俺やアマナの現状だ。

 どちらかというと楽しかった事、平和だった記憶などが残っており、苦痛に満ちた記憶、トラウマなどは忘却される傾向にあるように思う。

 

 そんな中、俺に残っているアマナとの最初の記憶は、〈音の試練と向き合う者〉になったばかりのアマナが俺たちの暮らす施設に連れられて来て、死んだ魚のような目をしながら俺を見つめている様子だった。

 

 それを見て、俺はなんだか放っておけなくなって、アマナを拾って同室で暮らす事にした。施設内での事は放置されていたので、それはすんなりと行えた。


 やがて、ぽつりぽつりと話し出したアマナの話を聞くと、アマナには、かつてそれはそれは素敵な兄がいたらしい。

 

 アマナとその兄は貴族家に生まれたが、どちらも妾腹の子だったため、貴族家の中では迫害に近い形で虐めを受けていたらしい。その虐めは、言葉の暴力から始まり、食事を奪われたり、直接暴力を振るわれたりといった陰惨なもので、特に正妻であった女性が率先してそれを行っていたそうだ。


 アマナの兄は、それら暴力の全ての矢面に立ち、アマナを庇ったのだという。

 アマナは兄が大好きで、それ以上に兄が心配でたまらなかったようだ。

 そんなアマナに、安心させるように笑って、兄は言ったそうだ。


「アマナは心配しなくていい。いつか、きっと良くなるから。神様は見ているから」


 その言葉に縋るような精神状態になりながら、アマナは12歳、兄は14歳にまで育った。

 

 その頃になると、アマナは精神が不安定になり、どこか空想がちな少女になり、また、兄への強い依存傾向を示していた。何をするにもお兄ちゃんと一緒でないと嫌だと感じるようになったのだ。


 一方の兄もまた、精神状態を悪化させている事はアマナにも伝わっており、だがそれを伝えないように苦心しているようにも見えたそうだ。

 

 だがそんな、ある日、崩壊の日はあっけなく来る。


 いつになく激しい暴力と言葉の暴力を受けてアマナのいる部屋に帰ってきた兄は、壊れてしまっていた。


「アマナ……お前さえいなければ……お前さえいなければ、いいと、俺は以前からそう思ってしまっているよ。アマナ……俺はお前が憎い……憎いんだ……」


 そういって、彼はアマナの首を絞めようとしたという。

 アマナは必死に逃げ出し、大嫌いな家族の元に逃げ出した。


 だが、家族たちは、騒ぎを起こした事をこれ幸いと、二人を別々に売り払う事に決めたらしい。

 アマナは、兄の心を失った絶望の中、奴隷商によって軍に売り払われ、危険な改造手術を受けて、気づけば〈音の試練と向き合う者〉になっていた。


 そんな、最悪の精神状態のアマナだったが、これがまだ底ではない。


 真に不幸なのは、〈試練と向き合う者〉になった者は、改造手術の副作用で絶え間ない苦痛と幻覚に苦しめられる事だった。


 アマナは日々兄が受けていた暴力を遥かに上回る苦痛を受けていた。

 そして、兄が自分を嫌い、自分を犯すような幻覚に苦しめられていたという。

 

 アマナはそんな幻覚の中、次第に「わたしはずっとお兄ちゃんに守られてきました。お兄ちゃんに全てを捧げるのは当然なのです。ああ、本物のお兄ちゃんにも、身体を捧げるべきでした。そうすれば、お兄ちゃんの抑圧された思いが、少しでも癒されていたかもしれません」などと呟くようになり、壊れていった。


 俺がそんなアマナをどう思っていたのかは、実をいうと良く覚えていない。

 ただ、アマナの壊れ方が見ていられなくなって、ぎゅっと抱きしめた事だけは覚えている。

 

 それは、アマナの長い人生の中で、久しぶりに味わう人の温もりだったようだ。


 アマナは目を見開きながら、両目からすぅっと涙を流した。


「お兄……ちゃん……クロウが、わたしのお兄さんだったんだ……」


 アマナは壊れきっていて、それだけで、それまで兄という存在が占めていたスペースを、俺という存在で塗り替えてしまったようだった。

 アマナは限界だった。

 俺はそんなアマナに、精一杯優しくした。


 気づけば、アマナは俺に凄まじい勢いで依存していた。


「クロウお兄さま……好き……好きです……お兄さまの事を考えている間だけ、痛いのが和らぐんです……お兄さま……痛いのはもう嫌です……痛いの痛いのとんでいけ、してほしいです……それで、ぎゅっとしてください……嫌なんです……」


 だが……

 

 アマナはある日、突然自殺した。


「……アマナ……アマナ……?」


 アマナの死体が自宅に吊り下がっている。

 そこにはただ死体だけがあった。


 その時俺は何を思ったのだろう。

 ただ、虚空を見つめていた気がする。

 それは俺の心に、耐えがたいほどの傷を残した事件だったはずだ。


 そんな事があって、それに加えて他の〈試練と向き合う者〉達との関係においても問題が発生していたことで、いよいよ俺の精神状態が危うくなった。


 俺は、次第に任務を冷徹にこなせなくなり、気づけば虚空を見つめて何かうわごとを言っているような状態になった。

 使い物にならないと判断した軍は、俺にこれまで以上に苛烈で危険な任務を与えるようになった。

 ようは、使い捨てると判断されたのだ。

 その末に、軍は戦闘能力を失った俺を「役立たず」「無能」として切り捨て、軍から放逐した。

 そのあと何故死んだのかはよく覚えていないが、たぶん俺も自殺したのだと思う。

 

 それが、300年前のアマナと俺の関係のあらましだった。





 *****




 こうした過去を改めて振り返ると、俺は思うのだ。


 俺は、俺たちは、確かに不幸な人生を歩んでいた。


 だからこそ、今世では、誰もが幸せになる権利があり。


 そのために、神の言う未練の解消という奴が必要なら……


 俺は全力で、それにむかって努力すると。


 それは俺なりの、正義感であり。


 俺なりの手向け、憐憫でもあった。

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