第2話 オオルリアゲハの指輪
俺が転生したのは、300年前の帝国が分解してできた王国の一つ、グリム王国にある、ツァイト伯爵家という家だった。
王都にあるツァイト伯爵家の邸宅で、俺はすくすくと育ち、気づけば12歳にまで成長していた。
俺は前世の記憶を結構な割合失っていたが、そのところどころに残った悲惨な記憶から、陰気な少年に育っていた。
だが俺には、前世で培った魔法の才能が色濃く残されていた。
〈時の試練と向き合う者〉クロウ。前世で俺はそう呼ばれていた。
〈試練と向き合う者〉は、特殊な魔術的手術を受けた結果、その身に膨大な魔力と、一つの属性に特化した魔術の才能を身に着けている。
俺の定められた属性は「時」。
そう、俺はいわば時魔法使いなのだ。
俺はその魔法の才をいかんなく発揮し、ツァイト家に生まれた麒麟児として、貴族家の間でも話題になっているようだった――というような事はない。
俺は正体は隠しておいたほうが平和に過ごせると考え、家族にも力を隠していた。
さてこの国には、その年12歳になった子供の貴族を集めてパーティをやる催しが存在する。
12歳といえば貴族の世界では、子供時代の終わりを意味し、成人までの3年間の間に婚約などを行う人間が一気に増える、重要な年代だ。
俺はパーティに備えて退屈な礼儀作法の授業などを家庭教師から受けながら、日々をある作業に傾けていた。
それは……魔法芸術を具現化した、魔道具の作成だ。
「……できた」
俺は出来上がった指輪を眺める。
銀色の輪に、金色の台座が取り付けられて、その上に青い蝶のオブジェが載っている指輪だ。
それだけでも一級品の美しさを感じるが、この指輪はそれだけの作品ではない。
俺は出来た指輪を真っ先に見せるべく、とある少女の所を訪れる事にした。ちなみに、少女を選んだ理由としては、友達がいないので他に見せる相手がいないという所が大きい。
家の外の貴族街に出て、すぐ隣にある邸宅を訪れる。
「アマナ。新作が出来たんだ。見てくれないか」
呼び鈴を鳴らすと、一人の少女がパタパタと足音を立てて外に出てくる。
「クロウお兄さまですか。わたしのために新作を持ってきてくれるなんて、嬉しいです。褒めてあげます。頭を出してください。いっぱい撫でますので」
白に近い桃色の髪を、左右に犬の垂れた耳のような形で跳ねさせた、可愛らしい髪型。きょとんとした印象の美しい瞳に、ほのかに紅潮した頬。
外見だけなら絶世の美少女といっていいだろう。このローレライ伯爵家の令嬢、アマナ・ローレライとは、家が隣同士で年も同じという事で、幼馴染といっていい関係になっている。
「やめろ。お前に撫でられるとか、恐ろしすぎる。300年前を思い出す悪夢だ」
だがそれは表向きの話。
実際は、アマナとの付き合いは300年前に遡る。
「そういえばわたしは300年前、お兄さまの頭を撫でようとした事がありましたね」
「……そうだな。お前は俺をそのまま音魔法で洗脳して、操り人形にしてとても口では言えない事をしようとしていたな。俺が自動発動魔法で自分の時間を戻さなかったら、あのまま俺は人生を終えていたんじゃないか」
こいつは過去、〈音の試練と向き合う者〉アマナと呼ばれていた。俺と同じ、改造兵だ。
その性格には、今述べたように極めて重大な欠陥がある。
「そんな事はないでしょう。わたしにだってクロウお兄さまを幸せにしたいという願望はあります。わたしはちゃんと、クロウお兄さまと添い遂げて、子供を5人作って、幸せな家庭を築くところまでイメージしていました」
……こいつは常時こんな感じだ。
「怖すぎるわ!」
「それはさておき」
「さておきで流さないでほしい所だったけどな。重大な犯罪事件だったぞ、あれは」
「それはさておき、クロウお兄さまの新作が見たいです」
「ん、そうだな、そのために来たわけだし。ほら」
俺は無造作に指輪をアマナに渡す。
「これは……青い蝶々の指輪でしょうか……? 綺麗ですね……」
アマナは興味津々といった様子で、指輪を手にとって眺めている。
「指につけて、魔力をゆっくり流してみてくれ」
「はい……これは左手の薬指につけて、結婚指輪という事にしてもいいですよね?」
「ダメに決まってるだろ。さっさとしろ」
「しょうがないお兄さまです。でも薬指にはつけます……おお、伸縮の魔法がかかっているのですね……それで魔力を流すと……わぁ……!」
アマナが指先に魔力をゆっくり流すと、台座に取り付けられたオブジェの蝶は、青く輝く鱗粉を撒きながらゆっくりと大きく羽ばたきはじめた。
次第にそのサイズも大きくなり、手のひらほどの大きさにまで成長しながら、蝶は空へと飛び立つ。
「わぁ……すごい……きれいです……! とってもきれいです……!」
蝶はどんどん大きくなって、アマナの顔ほどの大きさにまで成長しながら、アマナの周りをぐるぐると囲むように飛んでいく。キラキラとした青い鱗粉が、空に絵を描くように軌跡を残していく。
その様は幻想的の一言で、幻惑されたような目をしたアマナが陶然とした表情で立ち尽くしている所まで含めて、一つの絵画として成立しているかのような光景だった。
最後に、蝶はアマナの目の前まで来て、そこでふっと青い燐光をまき散らしながら、淡く宙へと消えていった。それは真夏の蛍を思い起こすような、切ない煌めきだった。
「……すごかったです。とっても、すごかったです。 ……お兄さま! クロウお兄さま! これは一体何なのですか?」
「これは【オオルリアゲハの指輪】って魔道具だ。魔力を込めると、今みたいに綺麗な蝶が宙を舞う所が見れるんだ」
「へぇ……クロウお兄さま、わたしはこれが欲しいです」
「ダメだ、と言いたいが、その感じだと無理やりにでも奪ってきそうだな」
「当たり前じゃないですか。クロウお兄さまがわたしのために指輪を作ってくれたのですから、お兄さまの認識を誤魔化すくらいはやる価値ありますね」
「……しょうがないな。やるよ。特別だぞ?」
「やった! 嬉しいです……! ありがとうございます! 一生の宝物にします!」
絶世の美少女であるアマナの輝くような笑顔は、陰気な俺には眩しくて、思わず目を細めてしまう。
「大げさだな。まあ、喜んでくれたのなら、悪い気はしないけどな」
「ふふ、お兄さまもわたしのような美少女の喜ぶ顔が見れて、嬉しいのでしょう。大丈夫です、分かっています。わたしは300年前、お兄さまがわたしに隠れて下着を覗いていた事も覚えています。お兄さまはそのクールな仮面の下に、熱い激情のような恋心を纏っているのですよね。分かっているのです」
「そんなわけないだろ! 大体あれは不可抗力だ……!」
「あれ、というのはお兄さまが眠っているわたしのワンピースの裾が乱れていたのを、そっと直そうとしてくれた時の事でしょうか。あれは嘘寝だったので、お兄さまが顔を赤くしながら下着を凝視していた事、ばっちり観測させていただきました。わたしは音魔法使いなので、その時のお兄さまの心臓の鼓動の音まで覚えています。とてもドキドキとしていました」
「や・め・ろ! この話はやめにしよう。それよりお前、今度のパーティの準備は出来ているのか?」
「話を逸らすお兄さまも可愛いですね。パーティの準備なら出来ていますよ。お兄さまはどうですか?」
「礼儀作法って奴が慣れないな。前もいい家に生まれてたお前と違って、俺は前世は孤児の生まれだ。正直覚えきれる気がしない」
「ふふっ、お兄さまにも苦手なものはあるのですね。わたしが特訓につきあってあげましょうか?」
「……遠慮する」
「そうですよね、わたしと一緒ではドキドキしてしまって礼儀作法が手につかないですよね。失念していました」
「だから違う!」
「ならやりましょう。午後はずっとわたしと訓練です。ああ、素敵な一日になる気がしてきました」
その後、結局俺はアマナに付き合わされて、一日中礼儀作法を教えられた。
そんな光景を俯瞰して見ながら、俺は「平和になったものだ」と思う。
あのアマナが、俺と仲良くこうして子供同士遊んでいる光景など、前世では想像もしなかった。
なにせ、前世の最終盤、アマナは俺を置いて、自殺してしまったのだから。
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