第12話 眠れない午前二時

 水族館に行って以来、涼太の周りは変化を見せ始めていた。

 一つ目は、涼太と天の距離が近づいたように思えること。一緒にいる時会話が増えたことも、外に出た時人混みに紛れないよう手を繋ぐことも、今までなかったことだ。


 それに天は積極的に自分がやりたいことを口にするようになった。今日だって「向日葵畑に行ってみたい」という願望を叶えるために、二人で電車を乗り継いだ。


「あんまり走ると転ぶぞ、七坂」

「桐川さん、こっちですよ!」


 言葉とは裏腹に、涼太の表情は緩みを止めることができない。

 涼太の前を歩く天の純白のスカートが風に揺れる。彼女の可憐さも混ざり合って、向日葵が背景になってしまうほどの光景だった。

 涼太はそれがどうしても眩しく思えて、思わず目を細める。



 毎日が天との思い出で色づいていく。

 それは涼太にとっても充実した日々になっていった。でも、その気持ちと共に膨れあがっていく感情が一つ。


(……認めたくない、七坂といることが楽しくて仕方がないなんて。七坂は特別じゃなくなるかもしれないのに)


 自分の気持ちには気がついている。だけど踏み出したくない。どうしても不安で怖くて、足がすくんでしまう。

 涼太はそれから必死に目を逸らして呼びかける天に微笑んだ。




『涼太、天使の氷雨症候群は最近どうなの』


 二つ目、今までほとんど使われてこなかった番号が頻繁に使われるようになったこと。

 向日葵畑に行った日の夜。習慣となりつつある栞からの電話をとると、彼女は決まりごとのように第一声を放った。


「順調だと思う。今日は向日葵畑に行ってきたんだ。七坂も楽しんでくれていたみたいだし」

『……そう。涼太は大丈夫なの? その……誰かと一緒に居ても』


 栞の言葉に涼太は目を見開いた。

 どうやら栞は涼太が故意に人と関わらないようにしてることに気がついていたらしい。それでも聞いてこなかったのは彼女なりのやさしさだろう。

 だけど何を思ったのか、栞は今まで越えてこなかった一線を越えてきたのだ。


「……なんだ。栞、知ってたのか。他人を避けていること」

『長く一緒にいればそれくらい分かるよ。……涼太が人の感情に敏感だってことも』

「そっか。栞には一度話しておかなくちゃいけないな。まあ聞きたくなければいいんだけど──」

『聞きたくないなんてことない。聞かせて、涼太のこと』


 栞は涼太の言葉に被せるように言葉を放つと、「……あ、いや。涼太の事情が天使を認識できることにも関係していると思うから」と早口で付け加えた。


「そうか、ありがとな。話、長くなると思うから会って話したい。俺はいつでも空いてるけど、栞はどうだ?」

『明日でもいいよ。十時にこの前の喫茶店でいい?』

「分かった」


 さすがに『感情具現化』については話が長くなるだろう。「明日の十時な」と約束を確認すると、涼太は電話を切った。

 栞との話が終わると、涼太と向かい合わせに座っていた天が不思議そうに視線を向けている。


「桐川さん、今のは?」

「栞っていって、俺の唯一の友人みたいなものだ。七坂の氷雨症候群について相談しててな。話の流れで『感情具現化』の話にもなったんだ」


 涼太は栞と話したことをそのまま伝えた。


 今まで栞は涼太の事情に踏み込まないでいてくれたこと、友人である彼女には『感情具現化』について話しておきたいこと、自分の事情が天を認識できることにも関係しているかもしれないということ、全てだ。


「栞、さん……」

「明日の朝、俺のことについて話してくるよ」

「そう、ですか。……分かりました。気を付けて行ってきてください」

 



 町が寝静まった午前二時。天は涼太の寝顔を横目で見ながら、布団の中でぎゅっと手を握りしめた。

 先ほどからずっと、天は眠ることができずにいる。


「栞さん……」


 涼太から栞という人が唯一の友人であると告げられた時、自分の心が音を立てたことが分かった。

 人付き合いが無い自分でも、この感情の正体は分かる。

 これは──嫉妬だ。


(こんなこと思っちゃ駄目なのに……)

 

 今まで涼太から親しい人の名前が出てきたことは無かった。それを心配に思う反面、どこか安心している自分がいたのも事実だった。


 そう、安心していた。涼太の一番近くにいる存在は自分だと。でも、そんなことはなかった。

 涼太が頼ることができるのは、自分ではなく「栞」という友人なのかもしれない。


 本来だったら、彼が頼ることのできる存在がいたことを喜ぶべきだろう。なのに、心臓は音を立ててその事実を拒絶している。

 つまりそれは、自分が彼のことを──


(──いや、勘違いだよ。私が頼ることができる存在は彼だけで、だから勘違いしてるだけ。眠ろう。そうすれば心のざわつきも治まる)


 天は無理矢理目を閉じた。

 でも外からは虫の鳴く声が聞こえてきて、静まり返った部屋の中に響いている。夜はまだまだ天を眠らせてくれそうになかった。

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雨の中公園で美少女を拾ったら、六畳一間で天使を飼うことになった件。 ふじな @huji_na

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