第11話 世界で一番綺麗なもの

 イルカショーを見終えると、二人は水族館の中を再び回り始めた。どちらからともなく手が繋がれる。


 最後の水槽はトンネルみたいになってる、ドーム型の水槽の中を歩ける仕組みになっているものだ。

 一歩足を踏み入れた瞬間、上から光が降り注ぐ。海の中に入ったみたいで、雰囲気に飲み込まれてしまいそうだ。


 思わず目を細めた視界に魚の群れが映り込む。サイズや色の異なる魚が行き交って、視点が定まらなくなってしまうほどに目を奪われる。


「綺麗だな、七坂。……七坂?」


 そんな感嘆の声が口から溢れた。


 しかし手はしっかりと繋がれているはずなのに、天からの返事は一向に返ってこない。

 不思議に思った涼太が後ろを振り返ると、そこには顔を赤くしながら微笑んでいる彼女がいた。


「はい、綺麗ですね。桐川さん」

「……あ、ああ。本当に綺麗だ」


 青い光に包まれながら笑う天は、今まで見たものの中で一番綺麗な気がした。

 彼女の笑顔に囚われてしまった涼太は一瞬、言葉を発することができなくなってしまった。


 涼太と天の手は繋がれたまま、ドーム型の水槽を歩いていく。奥に避難用の蛍光が見えて、二人はこの瞬間が終わってしまうのだと悟った。

 それが勿体なく思えて涼太はわざと歩く速度を落としたが、天は何も言わなかった。この夢のような時間が終わってしまうことが怖かった。


「……早かった、ですね」

「……そうだな」


 一歩一歩、確実に水族館の出口に向かって行く。

 水族館の出口の先には太陽の光が降り注いでいた。思っても見なかった光に思わず目を細める。


「思ったよりも眩しいな」

「良かった。迷わずに出口まで来れましたね」


 二人は離れがたかった手を離して、水族館を後にした。




「桐川さん見てください! カワウソのキーホルダーです!」

「おお、確かに可愛いな。お土産、それにするか?」

「でもあっちのサメのキーホルダーも良いんですよね。……もう少し待ってください」


 水族館に付随しているお土産屋で悩むこと、約二十分。

 未だに何を買うか悩んでいる天に苦笑いをこぼした。どうやら彼女はカワウソとサメを気に入ったようで、二つのキーホルダーを見比べては頭を悩ませていた。


 涼太は店内を歩き回りながら天を待つ。

 そのときふと目に入ったのは、サメやカワウソ、イルカなど様々な生き物をモチーフにしたキーホルダーがランダムに入っているというものだった。


「桐川さん、やっぱり決まりませんでした。……待っていただいたのにすみません」


 それと同時に、疲れた顔をした天がとぼとぼとこちらへ歩いてくる。

 涼太はもう一度ランダムキーホルダーを見て、タイミングの良さにくすっと笑った。


「天、これ見てくれ」

「……それ、何ですか?」

「色んな魚をモチーフにしたものがランダムに入ってるキーホルダーだって。決まらないならこれにしないか?」

「全部可愛いですね! それ、買ってみたいです!」


 そうして涼太はキーホルダーを二つ手に取るとレジに向かう。早く中身を見たくて、会計を済ませて外に出る足が速くなった。


「せーの、で開けるか?」

「分かりました! いきますよ──」


 天は悪戯をした子どものように笑うと、濡羽色の瞳を輝かせて涼太を覗くように見た。


「せーの」

「せーの」


 袋から出した涼太の手にはペンギンのキーホルダー。隣の天の手にはカワウソのキーホルダーが握られていた。

 先ほどサメとカワウソで迷っていた天はカワウソのキーホルダーを引けたことがよほど嬉しかったのか、キーホルダーを握りしめて喜んでいる。


「やりました、カワウソです!」

「よかったな、俺も好きなペンギンだ」

「お互い大当たりですね!」


 天はそうして持っていた鞄にキーホルダーを付ける。キーホルダーは夕日を反射してゆらゆらと揺れた。




「じゃあ、そろそろ寝ようかな。今日は随分と遊んでくたくただ」

「おやすみなさい、桐川さん。私ももう寝ますね」


 帰宅後、涼太と天はすぐに寝る支度を済ませた。夕食を外で済ませたこともあって満腹になったおかげか、くたくたの体は風呂に入って歯を磨くだけで瞼が閉じそうになる。

 いつも通り、六畳一間の中に二つ敷かれている布団の一つに横になった。


(今日は楽しかった。……本当に。天の隣は心地が良い。栞と同じように、『感情具現化』に何も引っかかることが無いから。多分天がドッペルゲンガーであるおかげなんだろうけど)


 人と関わることが苦痛以外の何物でもない涼太にとって、天という存在は栞と同じくらい特別だ。


「でも、本物の天は普通の人間だから『感情具現化』に引っかかるんだよな。つまり、本物の天は俺の特別ではなくなるのか──」


(──それは、嫌だな。特別がいなくなるのは嫌だ。……天が、変わらなければいいのに。……って、そんなこと考えたら駄目だろ)


 自分の中に矛盾した思いが生まれて、涼太は目を閉じた。反比例していくように思いが膨らんでいくことには気がつかないように。



「桐川さん、寝ちゃってる……」


 天がホットミルクをキッチンで飲んでいる間に涼太は寝てしまったようで、天が布団に横に寝る頃には寝息を立てていた。


「今日は、ありがとうございました。楽しかったです。とても」


(このままずっとここに居られたらいいのに。本物の私じゃなくて、今の私として生きていけたら)


 涼太の目にかかりそうな前髪をさらっと掬って耳に掛ける。その瞬間彼は寝返りをうったから思わず天の肩が跳ねた。

 しかし起きる気配がないと分かると安堵の息を吐く。いい加減自分も寝ないと明日に響くだろう。


 布団に入ると、もう一度彼の顔が見たくなって横を見た。彼はやっぱり穏やかに寝息を立てたままだ。


(でも、氷雨症候群が治ったら彼との関係は変わってしまうのかな。こうして桐川さんの家で過ごすことも無くなって……変わらないでほしい。今の関係も、彼も。……こんなこと思っちゃ駄目、だよね)


 頭に思い浮かんだ幻想を振り切るように頭を横に振る。

 さっさと目を閉じて考えないようにしてしまおう。そう考えた天は無理矢理にでも夢の中に入っていく。

 大きくなる感情には気がつかないふりをした。

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