第6話 自分が自分である理由

「あの、桐川さん。今の流れで言うのも変かと思うのですけど」

「何だ?」

「えっと、さっきから手が、ですね……」


 天との同居が決まった数秒後のこと。

 彼女は、我に返ったかのように恥ずかし気に視線を手元に移した。天の視線は、涼太の目と手元をちらちらと交互に行き交っている。

 

 涼太もそれに釣られて手元に視線を移すと、自分と天の手が未だにぎゅっと握られていることに涼太はようやく気がついた。

 天の手は弛緩したり力が入ったりしていて、まるでそれは彼女の動揺の心を表しているようだった。


「わ、悪い! 決して変な意味で手を繋いだわけじゃなくてだな!? これはその、なんていうか……」

「ふ、ふふ。分かっています。気にしないでください」


 涼太は慌てて手を離すと、今までに見せたことがないくらいの早口で必死に弁明した。

 先ほどとは反対に、今度は天が涼太をなだめる番になる。だが、涼太の早口が彼女にははまったのだろう。彼女は涼太をなだめている間も笑い続けていた。


「……そんなに笑わなくても」

「ふふ、すみません。桐川さん、さっきまではすごく頼もしかったのに今では可愛らしいから。何だかはまってしまって。……あ、そうだ」


 天は数秒間の間笑ってようやく声を抑える。だが、何かを思い出したかのように突然表情を取り繕った。


「そういえば桐川さん。一つ聞きたいことがあるのですが、構いませんか?」


 先ほどの空気を取り払うように冷静に、あくまでも涼太の気分を害さないように慎重な声で、天は涼太に問いかける。

 涼太もその気配を察したのか、照れてそっぽを向いていた視線を天の方に向け直した。


「別にいいよ。これから一緒に暮らすんだし、疑問は解消していこう」

「では遠慮なく。もうすぐ六時になろうとしているのに誰もこの家に帰ってくる気配がないのは何故ですか? それともこの家には桐川さんしか住んでいないのでしょうか。六畳一間という間取りも、家族向けとは思えませんし……」


 天は聞きたいことを一纏ひとまとめにして疑問を投げかけた。その言葉を聞いた涼太は「当然の質問だ」と言うように首を縦に振る。


 天の疑問は全くもって正しい。一般的にこの間取りを選ぶのは一人暮らしをしようと思っている人間だろうし、もうすぐ夜になろうとしているのにも関わらずこの家の扉は開かれる様子もないからだ。


「そうだな。まずはそれを話さなくちゃいけないな。少し長くなるかもしれないが、聞いてくれるか?」


 その問いに天が頷いたのを確認すると、先ほどの天と同じように涼太は口を開いた。


「結論から言うと、俺は一人暮らしだ。家族とは別に暮らしている」




『この人、俺のこと嫌いなんだ。だってこんなに濁った気持ちを持ってる。俺には分るんだ』


 昔から、人の気持ちに敏感だったことを覚えている。自分のことが好きだとか嫌いだとか、そういった感情が自分の体を通して分かるだから、いつしか人と関わることが嫌になっていた。


 自分の体を通して分かるというのは、比喩でも何でもない。誰かが自分に好意を向けているときは息が楽になるし、反対に悪意を向けられているときは息もできないほどに呼吸が苦しくなる。

 だから、自分のことが好きな人間も嫌いな人間もすぐに分かった。


 そんな不思議な力を持った自分を、始めは家族も気にかけていたものの、いつしか人とは違う力を持った自分を気味悪がっていった。

 それは自分の家族を壊す理由になるには十分で。だんだんと自分に嫌悪を向けてくる家族に耐えながら暮らすことはできなかった。


「皆とは別に暮らしたい」


 高校生になる前日のこと。そう家族に言った日、家族はどれだけ安心しただろうか。すぐに家族は涼太が一人暮らしをするための部屋を探し始めた。

 そうして与えられた部屋が、この六畳一間の家だった。


 幸いなことに一人だけ──同じ学校の春上栞といる時だけは何の感情も感じられないから、彼女とは共に過ごすことができている。

 それに彼女は事情を知ってか知らずか分からないが、自分が人と関わろうとしないことについて踏み込んでくることもなかった。

 

 けど他の人間は皆、同じような目を自分に向けてくる。


『あんたの前だと、感情が筒抜けで怖い』


 昔よく涼太が言われていた言葉だ。この言葉は、今も涼太を苦しめていて離さない。


 この能力を『感情具現化』と呼ぶことにした。そうして栞以外とは誰とも関わらないでいることで、自分は苦しみから逃れている。





「──そういうわけで、俺は家族とは別れて一人暮らしをしてるんだ。……嫌になったか?」


 涼太は恐る恐る天に視線を向けた。彼女は真剣にこちらを見たままだ。


(……嫌われてしまったかな)


 何も答えることのない彼女を横目に涼太がそう考えていた、その瞬間のこと。ぎゅっと、体を何かが包み込む。それは温度が無いものだったが、天に抱きしめられていると分かった瞬間、涼太の体温は一気に上昇した。


「……嫌うなんて、あるわけないです」

「──え」

「この感情が同情なのか何なのかは分かりません。だけど、桐川さんがそんな『感情具現化』の能力を持っていたとしても嫌いになることはないです。絶対に」


 はっきりと、ちゃんと言葉で伝わるように、天はそう言葉にした。そんなことを始めて言われた涼太はどうすればいいのか分からなくなってしまって、動くことができなかった。

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