第5話 天使の真実と同居生活の始まり
「七坂。そういえば、さっき話したいことがあるって言ったよな」
夕食を食べ終わって数分後。
ようやく涼太は急ぎ足で家に帰ってきた本来の目的を思い出した。
「はい。もしかして、この家に住むにあたってのルール、とかですか?」
カチャカチャと食器同士がぶつかる音が聞こえる。どうやら天は後片づけも買ってでてくれているようで、食器を洗いながら涼太の話を聞いていた。
水が食器に伝っていく音を聞きながら、涼太は天の隣で洗い物を手伝いながら口を開く。
「いや、そうじゃないんだ。七坂がどうして俺以外に見えも触れもしないのか、その原因を考えてみたんだ」
「……はい」
「氷雨症候群、って知ってるか?」
瞬間。シンクに食器がどん、と落ちる音が響く。それは天が食器を落としたことに他ならなかった。
この反応からしてどうやら天は、氷雨症候群という言葉も、その意味も知っているようだ。
「……はい、知っています。一時的に超能力を持つことのできる、都市伝説みたいな疾患のことですよね」
天は保健室で栞が口にした説明と、ほぼ同じようなことを呟く。
「知ってるんだな」
「……はい。桐川さんは、私が氷雨症候群に罹っていると、そう思っているんですよね」
「ああ」
「私も、そう思います。私が今こうなっているのは恐らく氷雨症候群によるものでしょう」
今まで言わなかったということは隠したかったということなのだろう。だが天は問い詰めるまでもなく、あっけなく本心を口にした。
先程までの穏やかな時間が嘘のように、二人の間を沈黙が支配した。
「どうして今まで黙っていたのか、聞いてもいいか?」
「……はい。少し長くなってしまいますが、聞いてもらえますか」
「勿論だ」
そんな空気の中、話を切り出そうとする天を安心させるように涼太は優しい口調で天に答える。
それが効を成したのか、先程まで緊張に満ちていた天の顔が少しだけ緩んだ。
そうしてゆっくりと口を開くが、まだ天の口許はわずかに震えていることが見てとれる。
そんな天を見ていてもたってもいられず、涼太は隣にいる天の手をぎゅっと両手を握った。
「大丈夫だ、七坂」
「……え?」
「だって俺は自称天使を家に入れてるんだぞ? 今さら事実の一つや二つ聞いたところで、別に七坂を追い出そうとも思わない。七坂はもう、十分変人なんだからな」
涼太がそう言うと、天は今度こそ穏やかに、安心したように笑った。
「ありがとう、ございます。……私は──」
繋がれた手が、少しだけ熱い。
そんなことを感じながら、涼太は天の声に耳を傾けた。
「私は……引きこもり、なんです」
「引きこもり?」
「はい。私は桐川さんと同じ岬ヶ崎高校の、二年三組です。入学式から来ていない生徒がいるって、聞いたことはありませんか?」
「……あ」
天の問いかけに、涼太は少しだけ考えを巡らせて一つの心当たりに辿り着く。
いた。入学式から学校に来ていないと有名の生徒が一人、涼太と同じ学年で。
最初は謎に満ちた生徒として話題になっていたが、もはや学年中の生徒がそのことを忘れている。それは涼太も同じだった。
「その生徒が私──七坂天なんです」
自称天使の正体は天使でも幽霊でもなく、涼太と同じ学校の生徒だったというわけだ。
「私はずっと学校に行くことができなくて、そんな自分が嫌いでした。だから桐川さんと出会った日、勇気を出して学校の校門までは行ってみたんです。だけど怖くて家に逃げ帰ってしまった」
「でも、七坂は公園にいたよな」
「はい。そこで氷雨症候群の話になるんです。私の超能力は──ドッペルゲンガー、です」
ドッペルゲンガー。
一般的に言うならば、それは自分とそっくりの姿をした別の人間のことを指す。
もう一人の自分、と言うこともできるだろう。
「ドッペル、ゲンガー……」
「はい。この世には同じ存在が二人いるんです。一人は今も引き込もって家にいるままの私。もう一人はこうして今、桐川さんと話している私。恐らく今の私は本来の私の願望が作り出した、外に出ることのできる私なのでしょう」
「……確かに、そう考えたら納得がいく。なんで七坂が誰にも認識されないのかもな」
「……はい。桐川さんにだけ認識されるのかは分かりませんが。……桐川さん」
「ん?」
「私のこと、嫌になりましたか……? ドッペルゲンガーなんて怖いって思いましたか?」
天は真実を話したあと、涼太の手をもっと強く握り返した。
濡羽色の瞳には、真実を話し終えたことの安心感と拒絶されることの恐怖が入り混じった涙が浮かべられている。
涼太は天の心配が無駄だと言うように、ふうっと息を吐いた。
「言っただろ。今さら真実を一つ二つ聞いたところで何ともないって。氷雨症候群が治ったら七坂は一人に戻ることができると思うんだ。それまではここにいてくれて構わない」
「桐川、さん……」
「というより、むしろ俺の方が助かってるくらいなんだ。今まで一人暮らしで寂しい思いをしてたからな。六畳一間のここで良ければ、好きにいてくれ」
別に寂しい思いはしていなかったのだけど、誰がいるというのも悪くない。
だから涼太は天を安心させるように、そう言って微笑んだ。
「……は、はい! よろしくお願いします! お金は出すことができませんが、その分家事はさせていただきます!」
こうして、涼太と天の六畳一間での同居生活が始まった。
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