第7話 トーストと目玉焼き
天が氷雨症候群の患者であることが分かって一夜経った。それは同時に涼太の過去を話して一晩経ったとも言える。
涼太が自分の過去を話したことは初めてで、朝起きた時天にどんな反応をされるのか杞憂だった。しかし顔を合わせた瞬間に「おはようございます」と微笑んだ天の顔を見て、その心配は無用だったことを知った。
朝。きつね色に焼かれたトーストと目玉焼き、コンソメスープと彩りの良いサラダという見た目も味もバランスも完璧な朝食を目の当たりにして、涼太は感嘆の声をあげる。
目玉焼きが乗ったトーストを一口口に含むと、卵の黄身が割れてまろやかな味わいが口に広がった。
「……美味い」
「良かった。涼太さんはとても美味しそうに食べてくれるので料理人冥利に尽きます」
「何だそれ」
自分たちの会話がおかしくって、天と涼太はふふっと笑いあった。忙しない朝の時間だというのに穏やかな空気が流れる。
窓から差し込む日差しも心地よくて、涼太は今まで感じたことのない安心感に包まれた。
そうしている間にも朝の番組は終わりに差し掛かっていて、どうやら涼太が家を出なければいけない時刻を映し出していた。
涼太はせめてもの手伝いとして二人分の食器を洗い終えると、学校へ行く支度を整える。
「じゃあ、行ってきます。今日は終業式だから学校が終わるのは早いだろうけど、少し買い物してくるよ」
「分かりました。行ってらっしゃい、桐川さん」
「……ああ。行ってきます」
誰かから「行ってらっしゃい」なんて言ってもらえるなんて数年──いや十数年ぶりのことだったから、涼太の心臓は思わず高鳴った。
しかしそれとは反対に、心なしか学校に向かう足取りも呼吸も軽い。
(こんな朝も悪くないな)
それは天と暮らすことになったからなのか、それとも天自体の存在のおかげなのかは分からなかったが、とにかく涼太は鼻歌を口ずさみながら学校へ向かったのだった。
「それで結局、その天使は氷雨症候群だったんだ」
昼休み。天の用意してくれた弁当を食べ終えると、昨日の相談の結果を報告するために涼太は保健室へと向かった。
目的は勿論、「保健室の番人」に会うためだ。このあだ名を本人の前で言ったら怒られるから心の中でしか呼べないけど。
保健室の扉を開けると机では養護教諭が何やら作業をしていた。その奥のベッドスペースの一角はカーテンに覆われている。
涼太が保健室で世話になることはほとんど無いが、栞に会うためにかなりの頻度で通っているので養護教諭とは顔見知り程度にはなっている。
「ああ、桐川君。こんにちは。春上さんはいつも通りそこに居るよ」
「ありがとうございます」
そうして養護教諭はカーテンで閉じられたベットスペースの一角を指差す。涼太は礼を言うとベッドスペースの前で立ち止まり、勢いよくカーテンを開けた。
瞬間、じとっとこちらを睨んだ栞と目が合った。
「……カーテンを開けるなら一言言って」
「声を掛けても反応しない時があるからだろ」
「うるさい」
反抗的な態度とは裏腹に、栞は寝っ転がっていたベッドの端に腰掛けるような姿勢になると、真剣な視線を涼太に向けた。
どうやら栞は涼太の用事を分かっているようだ。
「それで、昨日の天使はどうだったの? 本当に天使だった?」
栞の声はどこか震えているような強張っているような、そんな気がする。
でも涼太の『感情具現化』には何も引っかからないから恐らくは涼太の考えすぎなのだろう。
栞は栞で保健室生活を送っている事情がある。だから深くは聞かないでおこうと決心した涼太は栞の強張っている声に気がつかないふりをした。
「いや、栞の推測通りだった。どうやらドッペルゲンガーの能力らしい。いろいろ事情があるから俺の家に住んでもらうことにしたよ」
「……そう。ならいいけど」
「栞のおかげだ、ありがとな」
「別に。私には関係のないことだし感謝される義理もない」
結論が分かった栞は、興味を無くしたようにそっぽを向いて返事をした。
これが俗に言うツンデレというやつかと思わず苦笑して、涼太の頭にはとある疑問が浮かぶ。
「そういえば、栞は何で氷雨症候群の可能性を思いついたんだ? あんな都市伝説みたいな可能性、普通は思いつかないだろ」
「……小説に出てきたんだよ。ちょうどその本を読み終わった後だったから頭に残っていただけ」
「ああ、それでか。相変わらずすごいな」
「どうだろうね」
相変わらずの頭の良さに感心していると、キーンコーンカーンコーンという大きなチャイムが学校中に鳴り響いた。
どうやら話し込んでいたことに気がつかなかったようで、思ったより時間が過ぎていたらしい。
「栞。ありがとな、そろそろ教室に戻るよ。またな」
「……うん、また」
一通りの用事を終えた涼太は急ぎ足で保健室を出ていく。だからそんな栞がそんな涼太の後ろ姿を見ていたことなんて知る由もなかった。
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