第32話 深み

「カイル」

 しばらくするとライラがやってきて、カイルとレンゼの体を見た。

 カイルは血の滴る剣を握ったまま、倒したレンゼの背中を見ていた。

 それは未練や後悔ではない。彼は自分のしたことを忘れないように、その目に刻み込んでいた。

 だからライラはしばらく何も言わなかったが、カイルがこちらを見て顔をほころばせ、

「よかった」

 と言ったので、ライラは視線を外して、

「ごめん、カイル」と言った。「ワタシ、あなたと交わした約束、何度も何度も破っちゃった」

 カイルは深く目を瞑ってから、地面を指している己の剣を見た。

 そして穏やかな声で言った。

「君だけじゃない。僕もその約束を破ったんだ」

 強くなるから。と、篝火の前で誓ったはずだったから。

「けど、ありがとう。君はそこまでして、僕をここまで連れてきてくれた」

 カイルはライラの方に歩いていき、

「行こう」と言った。

 ライラは呆けた驚きを表情に浮かべていた。微笑む若造の立ち姿には、以前よりも少しだけ気品がついた気がした。

「……生意気だよ」

 結局、頭の中の半分だけを、ライラは口にした。

 

 書庫に入ると、ライラはギョッとした。その大きさにではなかった。

 ライラは原書の方へ走り出した。

「あ、おい!」カイルもつられて走る。

 目の前までたどり着くと、ライラは恐る恐るそれを手に取った。

 変わり果てた家族の姿に、衝撃を受けているようだった。

 ライラは表紙に手を触れた。それを開く勇気が足りないが故の行動だった。

 カイルはその背中を見ていたが、かける言葉は見つからなかった。

 ライラの中で従者の言葉が蘇る。あるじ様があなたをお待ちです。

 なぜ従者が必要だったのか。なぜライラを待たなければならないのか。開かなければ、わからない。

 意を決した。真ん中あたりを開いた。

『一人にしないで』

 その瞬間に落とした。落下した本はページを地面に伏せる形となった。

 ライラの精神部分がひっくり返ったように歪んだ。五感と一緒に自意識が混沌を起こした。ライラは地面に両手をついた。呼吸が荒くなり、何がなんだかわからなくなる。

「ライラ!?」

 呼吸を荒くするライラ。その背中にカイルは手を触れたがどうにもならない。

 彼は直感的に本が原因だと考えた。そのページを見ないように、背表紙をつまみ上げて本を閉じた。それから棚に戻したが、ライラの様子は変わらなかった。

「うあ……」

 苦痛は増していった。体が沸騰しているかのようだった。

 煮えたぎる苦しみの中で、ライラは思い出した。

 五人いる姉の行方を。

 おねえちゃんは、本当にライラのことを憎んでいるのかも知れなかった。

「ああ、くそ」

 カイルはどうなっているのかすらわからなかったので、状況を確認しようとし、その手段として三冊の本たちを思い出した。

 なりふり構わず、カイルはライラのマントをめくった。

 しかし本なぞ、どこを見てもありはしなかった。

 その時後方から物音がした。何かを引きずる音と、コツコツという簡潔で純潔な音だった。

 カイルは振り向いた。そして戦慄した。

 レンゼの死体を引きずるウエルの姿がそこにあった。



 物心ついた頃には断罪官の候補児だった。

 売られるか、断罪官になるか。どちらも地獄なら、人の役に立てる方がまだマシだと思った。

 しばらくすると、大聖堂へ頻繁に呼ばれるようになった。

 候補児で集まって寝泊まりをするだけ。メンバーはいつも一緒だったから、みんななかよくなった。

 でも次第に人数が減っていった。不思議に思ったけど、大聖堂へ呼ばれなくなったんだと思った。

 でも私は大聖堂の裏にあった大きな箱の中身を見てしまった。

 やがて消える子の順番がわかった。私は一番最後だった。

 次は私だってなった時に、前の順番の子でそれは止まった。その子がレンゼになった。

 計画の話を聞かされた。

 その時に思った。この世の全ての魔術師と魔獣、それから一番悪い〈敵〉を、絶対にぶち殺してやる。

 狂っている。と、そう言われた時がありました。

 私が?

 計画が?

 わかりませんでしたが、まあどちらでもよいことです。

 私の目的は変わりようがありませんから。

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