終着地点。雪の中か、外側か
第29話 あるじさま
二日が経った。
「っ————!」
飛び起きる。今度こそカイルは目を覚ました。
漏れた声が反響した。彼は腰に剣があることを即座に確認した。
まるで夢でも見たかのようにしばらくの記憶が曖昧だ。
しかしこの場所が暖かいということだけは確かだった。
周りを見ると、壁だった。茶色い石の壁。
空間はかなり大きめ。支部の騎士たち全員で合同稽古ができるくらいの広さはあった。
鐘塔教会設立より以前の古代神殿なんかにみられるような、大きな柱がそこら中に立っている。
カイルの正面奥の壁には暗い登り階段がある。おそらく地下のようだが、こんなに大規模な地下室をカイルは見たことも聞いたこともなかった。
一体ここはどこで、いつの間に室内に来たのか。そう考える前に、視線を自分の横へ移す。
そこにはライラが寝ていた。倒れているのではなく、体を小さくして寝ていた。
マントや顔に少しだけ霜がついているが、ライラの体にはなんの異常もなかった。
「……よかった」
カイルは声を漏らした。
「目が覚め、た」
後ろから声がした。女とも男とも取れない幼い声。
振り返ると、子供がそこにいた。
長い前髪のせいで顔は見えないが、少なくとも見た目は間違いなく人間らしかった。
「君は?」
尋ねると、子供は首を傾げた。
「従、者」
カイルも首を傾げた。
「ここがどこだかわかるか?」
「エオ、ラーン」
「……」
カイルは自分が気を失ったことを思い出した。
失ったのに、目的地に辿り着いている。カイルの頭は、その事実から経緯を推測することができた。
カイルはもう一度ライラを見た。新品の姿がそこにはあった。彼はひどく自分を責めた。
「こっ、ち」
従者と名乗る子供は自分の背後、登り階段の反対側を示し、とことこ歩き始めた。
そっちには通路があった。暗くて先が見えない。
カイルはライラを置いていくことを一瞬躊躇ったが、従者についていくことにした。
なぜかはわからないが室内は暖かい故、心配はないと思った。
暗い石の廊下を、両脇の壁に灯った二列の明かりが薄く照らしていた。
従者に追いつくと、カイルは小さい背中に尋ねた。
「ここはエオラーンの神殿かい?」
「いい、え。エオラーン」
カイルは一瞬戸惑ったが、すぐに答えにたどり着く。
この建築物自体がエオラーンだと、この従者は言っているのだ。
「街の名前じゃないのか」
「街の名前、でした。ここし、か残ってない」
「そういうことか……」
「混在の、呪い。と、妹様の魔性にしか反応、しない入り口。ですからここだ、け残った」
「……?」
妹様。
仮にそれをライラのことだとすれば、どう考えてもライラ専用の施設だ。
「君はライラの姉を知ってるの?」
「ワタクシ、の、あるじ様」
カイルは、ライラの姉について深く考えてこなかった。当たり前だが、考えても全く正体が掴めない。
唯一、考えても無駄であろうということだけは、なんとなく察することができた。
周囲を見ていたら、廊下を照らす明かりの光源がわからないことに気づいた。
「つき、ました」
従者がそう言ったとき、二人の目の前にはまあまあな大きさの扉があった。カイルの自室よりは断然大きいが、豪華な大聖堂の扉とかよりは小さい気がする。
とはいえ石の扉だ。荘厳な雰囲気は十分である。
「開けて、ください」
「え……」確かにこの子には無理そうだが。
「あるじ様、が、あなたをお呼びです」
当たり前だが重い扉だった。とはいえカイルが結構頑張ったら開けることができた。
扉の向こうにあったのは、先ほどの部屋よりも何倍も大きな空間だった。
茶色でも、黒でもなく、白という色がよく目立つ部屋だった。
「なんだ、ここ……」
カイルは思わずそう呟いた。
カイル何十人分という高さの天井。自分が小さくなったと錯覚するほどの部屋だったが、その壁全てが棚になっていた。
それが本棚であることをカイルは直感した。
近寄れば普通に使えそうな本棚が、壁一面に。ただし直感でそう判断しなければならなかった理由は、本が一切なかったからだ。
巨大な空間にある膨大な蔵書スペース。しかしそれを埋める書物はひとつもない。
いや、
「なあ。あれは」
カイルは真っ正面の奥に見える棚の一つを指さした。
広い空間ゆえに遠くて見えづらいが、一冊だけ、本が横たわっていた。
カイルはもう一度部屋の中をよく見てみたが、置かれているのは唯一、その一冊だけであった。
従者はカイルの方へ向き直って言った。
「あるじ様、です」
カイルは無様に口を開けて、もう一度本をみた。
「そろそろ妹様、がお目覚めです。中で、お待ちください」
従者は来た道を戻っていった。
カイルはじっと本を見ていた。それから引き寄せられるように歩き出した。
ゆっくりと近づいていった。
カイルはあるじ様の正体に気がついた。何かがめくり取られたようにして、瞬間的に彼の思考が発想した。
それは〈
原書とは、こういうことなのだ。〈主〉そのものを宿した本。
その目の前に、カイルは立った。
〈主〉はちょうどカイルの胸の高さくらいの位置に置かれていた。
薄汚れた灰色の本だった。特段書くに足らないサイズの、普通の大きさで普通の厚さの本だった。
カイルの方を向いた背表紙には文字が書かれていた形跡があるが、強く擦れたように消えていて読むことはできなかった。
カイルはそれに手を伸ばした。別にどうこうしようと思ったわけではなく、ただ気になった本を手に取って確かめるときみたいに、無意識に手を伸ばしていた。
その手が、表紙に触れる直前。
爆発に似た音が聞こえた。
「————!」
カイルの意識は現実世界に引き戻された。
音は通路の奥、つまりカイルがさっきまでいた部屋の方からだった。
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