第27話 むしろ生き返る

 朝日が洞窟に差し込む前に、カイルは目を覚ました。

 座して寝ていたので体のあちこちが痛い。膝の間に抱えていた剣をベルトにつけ、立ち上がる。

 外の様子を確認すると、空が僅かに明るみを帯びていた。

 ぼやけた目を擦る。自分の手の冷たさに気づく。あとめちゃくちゃ寒いことにも。

 暗い夜よりも、中途半端に明るくなった朝の方が寒く感じる気がした。

 カイルはライラを見た。今回もライラはとっくに起きていた。

 自分が寝ていた場所に膝をついて目をつむり、明るくなった空の方へ祈りを捧げていた。

 ライラが毎朝取る行動だ。カイルはこれまでにも数回見たが、それをする理由を尋ねる気にはなれない。

「あ、おはよ」

 起きたカイルに遅れて気づき、立ち上がりながら言う。いつもと同じだ。

「それ、どれくらいの時間やってるんだ?」

「特に決めてない。カイルがいない時は、気が済むまでやってる」

 つまり結構長い時間だ。

 カイルは小刻みな頷きだけを返した。

 昨日よりも明るい平原には、ほどよく風が吹いていた。気持ちがいいと感じるほどの温度的余裕はない。

「閉鎖区にはどれくらいで着くの?」

 ライラが問うと、カイルは地図に目を凝らすまでもなく答える。

「昼すぎくらいだろうな」

 先は長いな、と思うライラだった。

 だが進んでみれば、先がもっともっと長いことが発覚した。

「え」

 ノイズが言った通り、そこには柵があるだけだった。しかしその柵は、雪と氷でほとんどが埋まっていた。

 柵だけではなく、その先全てが白い氷に埋まっていた。例えば、向こう側から大量の水が押し寄せてきてあたり一面を覆い尽くし、柵に触れた瞬間にその全てが凍りついたような、そんな光景。

 道がないなんてレベルではない。

「こんなの、無理だろ……」

 カイルの弱音を、冷たい風がさらった。

 一週間の期限まで、あと二日。



 カイルたちが出発した日の夜、ノイズは宿で文書を読み続けていた。

 彼は満足そうな顔をしている。肉を塩漬け用の壺に詰め、蓋をし、あとはつけあがるのを楽しみ待つだけ。そんな顔をしていた。

 夜も更けて、街の賑やかさが失せていった頃だった。

 部屋の扉がノックされた。

「やっと来たか」

 ノイズは腰を上げて、ベッドの横にある丸テーブルの側に寄った。

「こんばんは」

 扉が開き、二人の男女が姿を表した。

 最初に男、次いで女が部屋に入る。女の方は背が高いので、背負った大剣が入り口にぶつからないようにずらしながら入室した。

 男が背負った剣は女のものよりも小さいが、身長に対する剣のサイズは大きい。

 ノイズは円テーブルの上に置いてあった三つのジョッキを手で示した。

「酒は飲むか?」

「もらおっかな」

 そう言ったのは男の方だ。

 ウエルは何も言わない。手を前で組み、口元のみの半笑いを浮かべて、じっとノイズを見つめていた。

 ノイズはジョッキを一つ持って、男に手渡した。それから丸テーブルを挟んで置かれていた二つの椅子を両手に持ち、一つを男の前に置いた。もう一つをウエルの前におこうとしたが、

「それは君が使った方がいい」

 男が腕を伸ばして制止した。

「そうか、それは残念だ」

 ノイズは大袈裟に肩をすくめる。さっきまで座っていた大きめの椅子ではなく、自分で置いた小さな椅子に腰掛けた。

「俺を見て驚かないってことは、君は思ったより知りすぎてるみたいだ」

 そう言って男は酒をあおり、それからストンと座った。対するノイズは鼻で笑う。

「あいにく、潜入は得意でね」

「はは。レミードには言っておかなきゃなあ」

 子供のような笑い方だ。

 今度はノイズがジョッキを傾けた。爽快に喉を鳴らし、その後で息を漏らして口にする。

「うまいな」

 男が優雅に足を組み重ねる。

「ところで、十年近く前の話なんだけど」

「昔話はたいてい退屈だ」

「おとぎ話みたいなもんさ。世にも珍しい憑依系魔術ウォランツの達人ということで、ある意味有名人になった男の話」

「ほお。つまらなそうだ」

「ああごめん、確かにつまらないかもな。そんなすごいやつでも書庫の残り香は隠せなかったんだからさ」

 ノイズは眉を上げて酒を飲む。チラリとウエルを見た。

「そこにいる娘さんは、別のものを追いかけて行ったみたいだがな」

 笑顔を貼り付けた状態のウエル。その瞼がほんの少しだけ上がった。

 殺気。部屋の床から天井を水が一気に満たしたような、そういう殺気が放出された。

 男は一度ウエルに視線をやってから、しっかりとノイズを見た。見ただけだが、それは睨む以上の行為だった。

 ノイズは二人の顔を交互に見ながら、顎髭を撫でた。

「てっきり俺はさ、」男が前のめりになって言う。「君のことを生に縋りつくタイプのにん……魔術師だと思ってたよ。それとも何かしようとして失敗した?」

「ははは」乾き切った笑い。

 ノイズはこれでもかというくらいの角度で上を見た。

「なかなか目がいいな。今も縋りついてるさ。むしろ生き返る」

「やっぱり何か企んでるな? でも無駄だ。ウエルが追いかけてたものが何なのか見当はついてる。どこに行ったのかも、ね」

「ほお、見当はついてる」嘲笑って言う。「そりゃあそうだ。エオラーンへの道筋には断罪官おまえたちだけが使える探知網が貼られてるんだからな」

 閉鎖区域に見張りがいないのは、必要がないからだ。

「へえそれも知ってたのか」男は少し驚いた。

「伊達に無駄な人生を過ごしてないからな」

「隠す必要がなくなって助かる」

「言っておくが、あいつの情報を引き出そうとしても無駄だぞ」

 男は一瞬黙った。

「いいのか? 俺は君を生かしてもいいと思ってるけど」

「余計なお世話だ。さっきも言ったろ、俺はもうすぐ生き返る。知りたければ自分で会いに行くんだな」

「……そうか。なら仕方ないか」

「ああそれと、」ノイズはわざとらしく人差し指を立てる。「お前たちはエオラーンへの道中を自由に転移できるんだったよな」

 男は意味不明な行動に沈黙で返した。

「いるといいな。道中に」半笑いでノイズは言った。

「へえ……仲間を騙したのか」

 断罪官の探知網がある正規の道と、彼らすら手を出すことのできない酷寒の雪原。

 ノイズは偽物の地図を使って、カイルたちを後者に誘導したのである。

 あの真面目騎士は、あんな地獄のような雪原をわかってて渡ろうとしない。それが必須だとしても、迷うはずだ。だが、

「たどり着いてもらわなきゃ困るんでな」

 聞いて、男は下唇をぎゅっと上げる。

「気になるな。そこまでして一体何を賭けてるんだ?」

 ノイズは人差し指を立てて語る。

「例えば、このクソつまらない世界がひっくり返ったとして。それほど面白いことはないだろ」

「狂人め」掠れた笑いと、侮蔑の目。「秩序の何が不満だって言うんだ?」

「秩序か」ノイズは下を見ながら肩を震わせた。「お前たちには心底同情するよ」

 顔を上げると、ニンマリ笑う。

「同じ魔術師として」

「ウエル。もういいぞ」

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