第25話 無理やりにでも

「ライラ!」

 街の騒動を聞きつけて走り回っていたカイル。

 寂れた道端で歩くライラを見つけ、駆け寄った。

「おい、大丈夫か」

 ライラはゆっくりと顔を上げた。

「カイル……」

 顔はいつもの無表情だ。しかし、その違和感に気づけないほどカイルは鈍感ではない。

「こっちだ」

 とにかく場所を変えなければならないと判断したカイルは、ライラの手を引いた。

 冷たく、か弱い手だった。

 辿り着いたのは宿屋の一室。カイルが扉を閉めると、

「いたみたいだな」

 隅の椅子に座って何かの文書を読んでいたノイズが、ライラのことを見てそう言った。

 ここはノイズが昨日から借りている宿だ。ライラの捜索こそ手伝わなかったものの、彼はカイルにさりげなくこの部屋を教えていた。

 一言かけたのち、ノイズは文書へと視線を戻し、色褪せた紙を一枚めくった。

 カイルはライラに目線の高さを合わせて言った。

「何があった」

 ライラは応えようとしたが、口ごもる。

 ドサ。ライラの足元に黄色の本が落ちた。

 カイルはそれを拾い、適当なページで開く。

『お初にお目にかかります。カイル様。〈空執事〉と申します。ライラの代わりにワタシがお話しましょう』

 カイルが頷くと、〈空執事〉は事の顛末を余すことなく自らの書面に書き記した。

『ライラのために言っておきますが、死者は出ていません』

「そうか。ありがとう」

 カイルは〈空執事〉を閉じた。ノイズの位置からもその文字は見えていたが、カイルと違って彼は特にリアクションを取らず、また文書に視線を戻す。

 カイルは立ち上がって髪をかき回した。そしてしばらく黙って下を向いたのち、切り替えたつもりで言った。

「とにかく無事でよかった。情報は手に入れたんだろ、なんて書いてあったんだ」

 ライラは瞼を大きく開いて、カイルを見上げた。

「そっか、カイルは怒らないか」

 優しいとか、許すとか、そういう話ではない。ただその必要がないから怒らないだけ。

 カイルは顔を側方へ向け、言った。

「どうしても選ばなければならない選択を迫られる瞬間が、この世界にはある」

 それはカイルが自分自身に説いて聞かせる言葉でもあった。

 選ばなかったものがあることを後悔し続け、それでも自分がとった選択肢を貫かなければならない。それはとても難しいことで、カイル自身の課題でもある。

 ライラが後悔していることは顔を見ればわかる。だから彼は、「無事でよかった」とだけ言ったのだ。

 ノイズが一ページ読み終え、文書をめくる。

 ライラは無理矢理にでも前を向き、言った。

「原書があるのは、始まりの街エオラーン」

「何……?」反応したのはノイズだった。

「どこだかわかる?」

「どこも何も……エオラーンは既に滅んでいる。場所は北西の果て。そして雪の下だ」

「そんなところ、どうやって行くんだよ」

「正規の道は教会の手で封鎖されている。危険区域という名目でな」名目を強調した。「辿り着くには教会の目をかいくぐるか、極寒の雪原を越えていくしかない」

 後者はつまり不可能を意味する。

「仮に行けたとして、一部でも地上に見えているかはわからないがな」

「でも、行くしかないだろ」

 どうしてそこまでするんだ、とノイズは思ったが、時間の無駄になりそうなので聞かなかった。

「封鎖と言っても監視がいるわけじゃない。柵かなんかを越えればそれでいいはずだ」

「わかった」カイルはノイズの前に立った。「ありがとう」

「正気か?」

「僕も少し不本意だが、助かったのは事実だ」

「は」心底呆れた笑いだ。「礼を言うなら、ちゃんと俺を楽しませろ」

「勝手に楽しめよ」

 そう言ってカイルは立ち去ろうとしたが、

「ちょっと待て」ノイズが呼び止めた。

「なんだよ」

 振り返ると、ノイズは紙を一枚差し出していた。

「エオラーンまでの地形が書かれた地図だ。少しは役に立つだろ」

「え……?」

 少しじゃなさすぎて引いた。



 雪原を越えるための装備を整えると言うことで、宿屋を出る。

 すると、屋根の上から青い小鳥が飛んできた。

 その鳥はライラの方へ滑空し、ライラも鳥を歓迎して手を差し出した。

「お待たせ」

 腕に乗った鳥を見て、ライラは言った。

 その小鳥は? とカイルが聞こうとした時、ライラは青い本を取り出した。

 ライラがそれを開くと、鳥はページの上に止まり……と思ったら、スッと飲み込まれた。

「えっ……?」

「え。言わなかったっけ」

 本から分離したりとか。

「あれか」

 鳥の姿で離脱できるのも〈村娘〉の個性というわけだ。

「ちょっと出かけたいって言ってたから」

 ライラは歩きながら、青い本をカイルに差し出した。

「嫌な予感しかしないぞ」

 このパターンは散々な目にあうやつだ。

『あなたも、呪いを持ってるのね』

 最初に書き出されたのはそれだった。カイルに魔術師になった覚えはない。

「なんのことだ?」

『別に。あなたも大変だってことが、この間に少しわかっただけ』

 カイルの頭の中に大量の疑問符が浮かぶ。

「騎士団にでも入ったか?」

『つまらない冗談ね』

 ヒュッとカイルの笑みが消える。

「だったら、何を心配してるんだ」

『心配なわけないでしょ。ただ、』一旦文が途切れる。

「ただ?」

『……ただの同情よ』

「はあ……?」

 やっぱりろくなことがないと思うカイルであった。



 装備は厚手のマント、火打ち石、酒類、食料。用意できるものはそれくらいである。

 もちろんすべてカイルの金で買い揃えた。

 街を行き来する度に壊れた部分が目に入り、ライラはそれをじっと見ていたが、カイルは何も言わなかった。

「あとは判断力だな……開拓された道とはいえ封鎖されてる以上、歩くだけとは行かないはずだ」

「火種を三つだけ収納してくれるって、〈紅童〉が言ってる」

「本当か? すごいな」

 点火した状態の火種だ。これに勝る心強さはないだろう。

「……じゃあ、これも収納できるんじゃないのか?」

 カイルはマントをめくり、腰回りに括り付けられた酒と塩漬け肉たちを指した。

「無理」

「なんでだよ……」

「この子にだって苦手なものがあるの」

「何がダメなんだよ」

「酒と肉と火」

 寒さ対策に向いていないにもほどがある。

「火種を三つだけ入れられた時点で褒めてあげてよ」

「はいはい。ま、その時点で充分すぎる。大いに助かってるよ」

「徒歩?」

「当たり前だ」

 馬車なぞ通れるはずがない。

「すぐに出るぞ。期限まで今日を含めて四日しかないんだ」

「でも体力回復は肝心」

 確かにその通りだった。過酷な旅になることが予想されるため、それだけで生死を分ける可能性すらある。

「じゃあ仮眠を取るぞ」

「ノイズの宿に戻る?」

「気まずいからだめだ」

「確かに」

 ベルフ出発は、数時間後に迫る。

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