第23話 死神
女は背中の剣に軽く手を触れ、すんなりと入り口を通った。ぶつけないようにずらしただけである。
ライラの呼吸が荒くなり、それに気づいて口を押さえた。
断罪官が断つのは魔術という罪であり、魔術師の天敵である彼らに魔術は一切通用しない。
ライラも断罪官に遭遇したことは何度かある。しかし捕まったことは無い。なぜなら、混在の呪いは断罪官にも通用するからだ。
それでも、ライラは遭遇の度に命を削るような恐怖を味わってきた。
確かに呪いは通用する。だが、万が一、効かなかったら。
女は書庫に入ると、目を瞑り、鼻から大きく息を吸った。
明らかに本の香りを楽しんでいるのとは違う。雰囲気が違う。
彼女は残り香を探っていた。魔術の残り香。
もしライラが普通の魔術師なら、どんなに身を潜めてもこの時点でおしまいだった。
女は首を傾げた。探った結果がはっきりしなかったからだ。それから奥の壁の方へ歩みを進めた。
女は明らかに何かを探していた。
ライラの呼吸が一層早くなる。
今なら出入り口への道は空いている。行動すれば死角から出ることになるが、混在の呪いはあるわけだし、そもそも女は壁の方を向いている。
ここで終わりのわからない恐怖を味わい続けるより意を決して出口に向かう方が、ライラの精神的負担は明らかに軽かった。
ライラは早歩きで飛び出した。
最短ルート。走りほど音を立てず、かつなるべく急いで出口へ向かう。
ほんの数秒だ。ほんの数秒。
決死の覚悟でライラは足を動かし、出口の境目を越え、廊下をしばらく歩いて距離を取る。そこまで数秒しかなかったはずなのに、
「おや、どちらへ?」
女はライラの背後に立っていた。
全身の筋肉が硬直し、立ち止まらざるを得なかった。
それから思い出したようにとった動きは、振り返りながら後ずさること。
女は笑顔を浮かべていた。それこそ本当に、ライラくらいの少女に対して浮かべるような、怯えている少女を安心させるための笑顔に見えた。
女が大剣の柄を握っていなければ、の話だが。
断罪官の女は、この場合でもすぐにその剣を振り下ろすタイプの女だったが、ライラの顔を見た瞬間に判断が遅れた。
「その顔……」
女は首を傾げた。ライラをじっと見つめるその瞳は、この世のどんな捕食者よりも無慈悲で、この世の全ての魔術を混ぜたみたいに禍々しかった。
「かたき」
そう言った瞬間、おそらく怒りの一種であろう感情が女の顔に塗り込まれた。
カイルは引っ張られた手を振り払おうとしたが、次の瞬間に体が動かなくなった。
魔術であろう。
また魔術師か、と思ったが、相手を見たら半ば無理やりに納得させられた。
「なんのつもりだ。えっと……ボイス」
「ノイズだ。なんのつもりかはこちらが聞きたい」
「なに?」
「書庫を漁っていたら、お嬢さんが忍び込んできた。つけられたと思うのが自然だろう?」
「ああ、それで楽に倒せる僕を先に叩こうってことか」
「その通りだ」
カイルは不満そうに眉をひそめる。でも魔術師、それも凄腕となれば、カイルであっても相性が悪すぎるのは事実だった。
「は、そうかよ。でも勘違いだ。ライラはあんたと同じで、情報を集めるために書庫に向かっただけだ」
「その割には挙動不審だったぞ。あれは尾行の素人がする行動だ」
「あいつ……」呆れて眉間にシワを寄せてから、「それは不安だっただけだ。ライラにとっては潜入だからな。尾行じゃなくて潜入の素人なんだよ」
「そうか」ノイズはカイルの顔をじっと見てから続ける。「嘘……な訳はないな。お前の愚かさに免じて信じてやるか」
「愚かで悪かったな。ライラがいるなら僕は書庫に行くぞ。ちょうどいい、案内してくれ」
もちろんするよな? という目でノイズを見た。
「嫌だと言ったら?」
「あんたを捕らえて手柄にする」
「さ、こっちだ」
ノイズはスタスタと歩き始めた。
調子のいい男だ、とカイルは思った。こんな脅しが通用するような実力ではないだろうに。
「なあ、あんた歳はいくつなんだ」
追いかけながら、カイルは問いかける。
「聞いてどうする」
「年寄りは敬うべきだろ」
「は、青二才が。三十五だ」
「意外と若いんだな」
「ああ、老けて見えるってのはよく言われるさ。ずっと年上の婆さんとかにな」
「いや、そういうことじゃなくてだな」
「ン?」
カイルは言葉を続けようとしたが、何かに詰まり、一旦開いた口を閉じた。
ノイズの訝しげな視線にさらされる中、少し間を置いてから、言った。
「あんたは、魔術で長生きしたりできるのか」
ノイズの目に驚きと困惑が加わる。もしも今カイルが突然原始人になったりしたら、同じような目をするのだろう。
「お前、まさかとは思うが、魔術が万能だとでも思ってるのか?」
実際、そういう勘違いをしている一般人は多い。魔術師のことなど誰も知ろうとしないし、知りたくもないからだ。
でも、カイルはそうじゃない。
「違う、」
彼に元から備わった教養を考慮しないとしても、魔術が万能でないなんて常識は、今までの旅路で充分身に染みていることだった。
それでも、いやだからこそ、カイルはこの質問をした。
「無理、なんだな」
「当然だ」ノイズはカイルに視線を向けるのをやめた。「寿命を伸ばすなんてことが実現できるなら、そんなものは魔術ですらない」
「魔術ですらないなら、なんなんだ」
言うと、乾いた嘲笑が返ってきた。
「俺が知るか。第一、例えできたとしても俺は絶対にそんなことはしない」
「ああ、中身のない人間は、そんなの望むはずないか」
カイルは小馬鹿にするように言った。
「その通りだ。青二才も少しはわかってきたか」
カイルの言っていることは的を得ていた。しかし、カイルの悪ふざけのような呆れた表情と態度は見せかけだった。自分までもを騙そうとする演技だった。
二人はその後、特に何も話さずに書庫へとたどり着いた。
が、その途端に二人の雰囲気は一変した。
結果的に言えば、ライラはいなかった。
書庫にはなんの異変もなく、独特の静かでゆったりとした時間が流れていた。
たった一つの異常な点は、出口から廊下をしばらく行った場所。石の床にできた巨大な切り傷だけだった。
「確か、ライラとかいったか」ノイズが言う。「どうやら俺についた死神を引き受けてくれたらしい」
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