第22話 紙片
見事な書庫だった。
「すっごい……」
ライラはうっとりとした目で書庫を見回した。
広さは宿屋で使った部屋の数倍ほど。しかし本で埋まった棚で埋め尽くされている。
こんなに大量の本を一度に見たのは初めてだった。
一度どこかの王宮に書庫目当てで忍び込んだが、怖くなって帰ってきたことがある。
あそこの書庫はどれくらい大きかったんだろう、とライラは思った。
何から手をつければいいのか困惑しつつ、ライラは目に止まった本に手を伸ばす。
その瞬間、誰かが走る音がした。
びっくりして後ろを見たが、何もいない。足音は遠ざかっていったような気がした。
ワタシには関係ないか、と結論付けて、ライラは本に視線を戻した。
手に取り、バーっとめくっていくことで、ライラは内容を理解する。この街に関する歴史書だった。
「何か掴めそうな感じする」
しかしこの量から探すのは手間がかかりそうだ。
書庫に誰もいないことを確認して、ライラは〈村娘〉を取り出した。
「……あ」
開いたところで、中に〈村娘〉がいないことに気づく。
「そうだった」
仕方がないからマントにしまう。
〈空執事〉が、手伝うことならワタシたちにもできますよ、と言った。
「ほんと? じゃあ、地道にやろうか……」
〈紅童〉が、これ全部読んでいいの? と言った。頷くと、はしゃいだ。
分担作業だ。ライラは一冊一冊手にとって、バーっと読む。
ライラの本二冊は、〈空執事〉が複数冊空中に浮遊させ、協力して同時に読む。
なんとも魔術的な効率である。
誰かが来たら終わるので、足音にも気を配りながら作業は続いた。
ライラは一言も喋らずに本を読み漁った。そもそも喋る相手がいないのはそうだが、理由はもちろん楽しいからだ。
ライラは本が好きだ。大好きだ。最近では少ないが、読み耽っていたら三日経っていたなんてことはザラにあった。できれば今みたいな流し読みではなくて、一枚一枚じっくり読む方が好ましいが、それは今度にせざるを得ない。
「あ、」
そう経たないうちにライラは時間を思い出す。現実世界に必ずある制限。つまり冊数の限界だ。全ての本を読んでしまったため、ライラは作業を中断するしかなかった。
「これで終わりだね」
最後の一冊が、〈紅童〉の前で閉じた。
みんなで悲しい顔をしていた。
読む本がなくなったからというのはもちろんだが、もう一つ、期待した情報がなかったというのが悲しい要因だ。
「カイルが教えてもらえてればいいんだけど」
〈空執事〉が、どう致しますか、と言った。
ライラは面倒になって、文字の方を見た。
『既にここには用がないのでは?』
「そうだけど、カイルの話し合いがこんなに早く終わるなんて思えないし……」
ライラだけ帰ってもいいのだが、それなら少しでも役に立ちそうな情報を手に入れておきたい。
しかしどうしたら手に入るのかが思いつかないので、時間だけが流れた。
少しは頭の回る役がいてほしかったものだ。〈村娘〉もいないため、今ここには馬鹿しかいない。
故に間が開くと、話題が変わる。
『あの青年のことはどう考えているのですか?』
「どうって?」
『好きなの? 嫌いなの?』
『違います』厄介な幼子にそう言ってから、『いつまで付き合うのか、でございます』
「ああ、」ライラは視線を斜め上に向けた。「カイルが答えを出したら、かな」
『その時点ですぐに別離を?』
「うん、ワタシといても良くないだろうし」
『そうですか』そっけない感じだった。
『お兄さんかわいそー』
『確かに、ちょっと酷いです』
「え、どうして?」
『だって、お兄さんはライラのこと何も知らないよー?』
『それに、決めつけは愛ではなく無視です』
カイルが自分のことを迷わず打ち明けてくれたことをライラは思い出した。
それに比べて、ライラは聞かれたこと以外ほとんど何も話していない。
巻き込まないように、と思っていた。
しかし自分だけ素顔を明かさないこの状況が、果たしてライラの望んだ愛だろうか。
ライラは天井を見ていた。うーんと頭を捻る。
すると、視界の端で何かが光ったことに気づいた。
即座に視線を送る。
光った場所は、最初に手に取った本の棚だった。
『おや?』
〈空執事〉と〈紅童〉も反応した。
ライラが見にいくと、何も光ってなどいなかった。
しかし、先ほどは確かになかったはずのものが、そこにはあった。
それは小さな紙切れだった。ペラペラの、ただの紙。
本の背表紙と棚の間に挟まっていたそれを、ライラは慎重に手に取った。
紙は貴重ゆえ、このサイズのものはあまり見ない。それに、古びて色褪せている。
ずっと前からこの場所にあったかのようだ。まさか誰も気がつかなかったなんてことはないだろう。
ライラは疑問を抱きつつ、紙を裏返した。
そこには達筆な字で、このように書いてあった。
『愛しのライラ。始まりの古都に』
「……!」
二冊も同時に感じた。
それは直感と呼ぶにはあまりに明確だった。
天地がひっくり帰っても間違いない。これを伝えたのは、
「おねえちゃんだ」
どうしてここにあるのか、なんてどうでもよくなった。これが姉本人からのメッセージであるということこそが重要なのだ。
『ねえ、始まりの古都って何?』
たった今読み漁った書物のどれかに、それに繋がる情報が書かれていた。
『始まりの街エオラーンでしょう。おねえちゃんはそこにいると思われます』
鐘塔教会の前身たる組織が作られた街。最初の鐘塔があった街。
「えっと、確か場所は……」
近づく足音が聞こえた。
「やば……」
ライラは思考を中断して、二冊を急いでマント裏にしまう。
それから、特に意味はないはずだが、部屋の中央にある本棚に身を隠した。
棚の隅からほんの少し顔を覗かせて、入り口のドアを視界に入れた。
足音は、コツ、コツ、コツ。少なくともただの庶民ではない。高めの、それでいてうるさ過ぎない簡潔な音だった。
床が軋む音が数回、ゆっくりと鳴る。足音がドアの前で止まった。
ライラには、その人物がドアハンドルを握る音まで聞こえた。
もう一度述べるが、この時点でライラが乱入者を警戒する意味はない。本さえ片付いていればそれでいいのだから。
しかしライラは感じていたのかもしれない。先ほどの紙を見た時とは逆に、ひどく曖昧な感覚。不穏な何かを。
乾いた音がして、扉が開いた。
出てきたのは女だった。見た目だけで言えばライラの五歳くらい年上。若い女だ。
顔つきはきっちりと整えた鋭さを持ちつつ、柔らかさを備えている。雑に言えば優しそうなお姉さん顔だった。
いろんな意味で人気者であることが推測できるような顔だが、その姿を見たライラは、
震え上がった。
女は白い装束を着ていた。教会官吏の服装によく似ているし教会の紋章も施されているが、相違点がある。こちらは見るからに動きやすいことを前提にしてデザインされていた。
そしてライラが震え上がった最たる原因は、女の背中にあった。
巨大な剣だ。おそらくツヴァイヘンダーと分類されるであろう両手剣だが、それは人が操れる域に収まるものなのか疑わしいほど巨大だった。
女の背中に対して斜めに装備されているが、柄の高さは女の頭上をゆうに越え、剣先は地面スレスレで、鞘がなければそれだけで危険極まりない。
こんなものを扱うことのできる人々。いや、人種は、ライラの長い生の中で一つしか存在していない。
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