第21話 無二の友
騎士団支部の前で別れる寸前。
「情報が得られなくても、終わり次第そっちに合流する」
カイルは支部長室へ。ライラは書庫へ向かう手筈だ。
「うん」ライラは〈村娘〉を取り出しながら言った。それを少し開いてから、
「じゃ」
と、胸の高さで手をあげた。
「お、おう」カイルは少し困惑する。
潜入は嫌だと言っていたのに、随分楽しそうだった。
もやっとするカイルの頭上で、小さな鳥がはばたいた。
「やあ、カイル」
帝国騎士団北方支部、支部長室。
カイルは見張りにも特に嫌な顔をされずに通され、スムーズにここまで来ることができた。考えるまでもなく、目の前にいる男の気配りの結果だ。
「悪いな、レミード」
「いいさ。久しぶりに会えたんだ」
そう言ってレミードははにかんだ。
「三日前、ゼルべとの間にある森で魔獣が出たらしいじゃないか。大丈夫だった?」
「え、ああ、知らなかったよ」準備していた反応をそのまま出した。
「なんだ、そうなのか」
支部長室は、下位の貴族の部屋くらいには品のある装いだった。
艶のあるテーブルにソファ。執務机も大きくて、羽ペンは今取り替えたみたいに綺麗だ。
「羨ましいかい?」
部屋を見回していると、レミードが腰に手を当てて自慢げに言う。
当たり前だが、カイルの部屋とは大違い。
レミードとカイルは同い年である。配属前に家の縁で出会い、同期として騎士団に入団。互いに剣の腕を磨き合い、腕前も同格とされている。
ただその評価は少し事実と異なる。カイルに迫る勢いなのは本当だが、レミードが彼に勝ったことは一度もない。
しかし出世の具合ではこの差である。なぜなのか。理由は明白だ。
「今、羨ましいか聞かれたような気がしたが?」
「気のせいじゃないか?」
二人は互いに無邪気な笑みを見せた。
出世に差が出た理由。それは、カイルが自分の手柄を意図的にレミードへ譲渡していたからである。
どうせカイルでは正当に評価されない手柄だ。ならば友人に渡した方がいいとカイルは考えた。
レミードも不満だったが、これはカイルの貸しだという話で合意した。
しかし正当に評価されないカイルに借りを返す機会はあまりに乏しかった。
カイルは出世だけでなく贅沢にも無頓着だったためだ。
「手紙読んだよ。それで、どう返せばいいんだい?」
「ありがとう」
「おいおい、まだ何も言ってないだろ」
レミードは爽快に笑う。
カイルは息を一つ吐き出してから言った。
「情報を提供してほしい」
「情報?」
間が空く。
「原書の情報だ」彼は無意識だが、かなり真剣な表情をしてしまっていた。
「げんしょお?」
レミードはあからさまに目を見開いて、それからクスクス笑った。
「そうかそうか、カイル。いいよ、君が僕にくれた物はそれに匹敵するからね。ただ、」
突然、ろうそくの火が消えたかのように、レミードの表情が変わった。
「それを叶えるためには、僕もいくつか質問しなくちゃいけない」
笑顔の消えた彼の顔は至って冷酷だった。
レミードが仮面を被っていたのではない。単なる仕事モードだ。
もとからレミードという男を形作っていた中身の部分を、カイルが意図的に引きずり出したのだ。
故にカイルはこうなることを想定してはいた。
しかし冷や汗は出る。
「………わかってる」
「まず、それをどこで知った?」
「それは、言えない」
レミードは笑う。
「それで話すと思っているのかい? 親友として随分信頼されてるようで嬉しいけど、もう少し支部長としての僕を信頼してほしいよ」
彼は大きな仕事机に歩み寄った。
「君がゼルベで魔術師を庇う行動を示したのは僕の耳にも届いている。随分批判的な報告だったけど、官吏の残忍さに君の正義感が反応してしまったんだろうなと僕は思ったよ。けど、今の質問で僕は迷っている」
机の上にあった一枚の木版を手に取る。文字が書いてあるが、カイルには遠くて読めない。
「君がもし本当の意味で魔術師に協力しているのであれば、僕は君の敵になる。なんとしてでも君を排除しようとするだろうね。そんな事態、僕はごめんだよ」
この言葉に嘘はないと、カイルは確信した。
全てを話せば、レミードは少しも迷わずにカイルの敵となるだろう。
彼は魔術に関わる全てを絶対に許さない。
カイルは歯を食いしばった。嘘が下手な男ではないが、嘘をつくときに決意が必要な男だ。
「魔術師とは関わってない」
レミードは真っ直ぐにカイルを見ている。
「頼む。今までのことなんて、全部忘れてくれて構わない。だからこれだけは頼む」
カイルは深く頭を下げた。
レミードは依然として仕事モードのままだが、そんなカイルを見てほんの少し首を傾げる。
「珍しいね。君はルールには厳しい人間だったはずだ。禁忌と分かっていて、なぜそこまでする」
「教会と騎士団の本質を自分の目で確かめるためだ」
「どうして君がそんなことをする必要がある?」
「僕の、騎士のために」
「ああ」レミードは下を向いて、笑みとも呆れとも取れない息を吐き出した。「随分わがままになったんだなあカイル。でも嬉しいよ。なんだか昔に戻ったみたいじゃないか。僕は君のそういうところを気に入ったんだ。こんなことをなんの繕いもなく素直に聞いてくるあたり、実に君らしい」
しみじみとそう言うレミードの顔は、だんだんと友人のそれに戻っていった。
カイルは何も言わないが、頭の中には様々な言葉が流れていた。数日前のカイルなら、この場の流れは少し違っていたのかもしれない。
「カイル。君からもらったモノは絶対に忘れない。だから、僕は今の質問を聞かなかっとことにする」
お辞儀をしたままだったカイルの腰のあたりに、彼自身の指がぎゅっと食い込んだ。
「それが僕からできる精一杯の思いやりだ。まったく君は本当に、借りを返す隙がない」
カイルはゆっくりと顔を上げた。
「わかった。無理言って悪かったよ」
「ほんと、無理にも程がある」レミードはお手上げのポーズを取った。
それから、穏やかな表情でカイルの横に立った。
「君が何を考えてるのか知らないが、僕はね、騎士団はそう悪くない組織だと思ってる」
これが取るに足らない支部長のセリフなら、信憑性の欠片もなかったことだろう。
カイルは耳を傾けた。
「なぜ教会が魔術師を狩るのか、君は知ってるかい?」
「確か、穢れているからだったな」カイルは二つ隣の街を紹介するみたいにそう言った。
「それもそうだけど、なぜ魔性は穢れていると思う?」
それはカイルだけでなく、多くの人間が考えたことのないテーマだった。
「魔獣を産むからさ」
カイルは息を吸った。
「魔獣……」
「魔獣を出さないために魔性を狩る。それが教会の正義だよ」
教会が生まれる以前、魔獣はもっと頻繁に現れていた。そんなどこで得たかわからない知識を、カイルは思い出した。
「カイル、出世しないか?」
隣でレミードは呟いた。
「どういう意味だ……?」困惑の表情を浮かべる。
「君が騎士団に疑いを持つと言うのなら、見える位置まで上り詰めればいい。法に触れない正当な方法ならば、僕は喜んで借りを返せる。どうかな?」
法に触れない、という部分が、カイルの中で反響した。
「そんなの、簡単にいくのか?」悪あがきみたいな返しだった。
「まあ少なくとも、わかりやすい手柄は必要だろうね。君が今追っている魔術師をまずはしっかり捕まえることだ。君なら別にできるだろ?」
「……」
「ちょうどこの街に
数秒間の沈黙が訪れた。カイルの首筋に汗が浮かぶ。
「考えておくよ」
カイルはそのまま素早く出て行った。
ガチャリと、控えめな音がして扉が閉じる。レミードはそっちを見なかった。
格子窓の外に止まっていた一羽の小鳥だけが、立ち去るカイルの背中を見ていた。
しばらくの間時が止まったみたいに部屋は静かだった。
誰もいないはずの室内で、やがてレミードは言った。
「もしそれでもって言うなら、頼むから僕に知られないでくれ」
部屋を出て廊下をしばらく歩く。カイルは無心で歩いていた。
本当に無心でいられるように努めていた。だから、彼はの中でそれはひどく長い時間で、かつ周りが見えている状態とは言い難い時間だった。
突然、何かに捕まれた。初めは腕を捕まれ、次に全身を掴まれる。
カイルの体は分かれ道に引きづり込まれた。
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