第13話 臭い

「なんか僕は不安になってきたぞ」

 ライラは〈紅童〉を膝の上に置いた。

「びっくりさせてごめん。でも大丈夫。あの子もきっと良い子」

「きっと」

「ちょっと個性が強いだけで」

「ちょっとだったか?」あれがちょっとだったら、カイルは言葉の価値観を一から身につけなくてはいけない。「君の周りは、なんというか総合的に、歪な感じがする」

「それは、確かにそうだけど」

 まあ今更である。

 カイルは目を細めて尋ねた。

「僕たちの荷物はあの子が収納してるんだよな」

「そう」

「本当に大丈夫なのか……? 食われたりしてないだろうな」

「それは大丈夫。あの子は何も食べられないから」

「へえ、そう」よくわからないがそう言うしかない。

「うん。それに、魔術の質は一級品」

 三冊のうち最も魔性アヴァリウムが深い故、そのことについては当然とも言えた。大陸有数と言ってもいい。

「よくわからないな……その、魔術とか魔獣って」

 カイルは腑に落ちない顔で後ろ髪をかき分ける。残念ながらわからないのは当たり前である。そういうものなのだから。

 ドサ。と音がした。

 見ると、ライラの足元に別の本が落ちていた。今度は黄色い表紙の、薄型で大きな本だった。カイルも見たことがある。

 わざわざ座席ではなく足元に落ちるのは、音を立てるためだろうか。

「ああそれ」カイルが言及しようとすると、

「だめ」ライラはその本を開くことなく、膝の上の〈紅童〉と重ねてマント裏にしまう。

「なんだ?」

「どうせまた変なこと言い始めるから、今度紹介する」

「へえ」言いながら、カイルは思案顔になる。頭の中のものをダメ元で口にしてみた。「本の中にいるのって、君の姉妹だったりしないか?」

「違うけど」

「そうですか」悲しい結果だ。「ならただの友達か?」

「友達というか……一心同体?」

「なんだそれ。物心ついた頃には一緒にいたとか?」

 少し考えて、

「そういうわけじゃない。説明は、ちょっと難しい」

「みたいだな」

 カイルはよくわからないという結論に慣れてしまっていた。

 迷走しまくるカイルの頭に構わず、馬車はガラガラ進む。

「すみません、どれくらいで着きそうですか」

 カイルが努めて丁寧に尋ねると、

「さあ。夜が明ける頃には着くんじゃないですか」

「え、そうですか」

 あっけにとられて、カイルは返事にまごついた。ライラも御者を見た。聞いていた話より随分早い。

「カイル、嘘ついたの?」

「いやそんなはず」

 別に馬車が超スピードというわけではない。休憩も十分とっているように思える。

 カイルは疲れ切った思考を巡らしてみたが、

「ところで、一つ気になることがあるんですが」すぐに御者が遮った。

「どうしましたか?」

「臭うんです」

「臭う?」

 珍しく会話に耳を傾けていたライラは、スンスン鼻を鳴らした。

 何も臭わない。

「そうですか?」聞き返すカイル。

「ええ、臭います。むせ返りそうなくらいにね」

 ライラとカイルは目を見合わせた。ライラが首を傾げ、代わりにカイルが疑問を口にした。

「なんの臭いです?」

 すると、

「魔獣です」

 カイルの瞼がピクリと反応した。

「はあ、魔獣ですか」

 妄言だ。と、カイルは思った。

 何を考えているかわからない感じの御者だったが、どうやら気狂きちがいを起こしていたらしい。魔獣を間近で見ても臭いなんて少しもなかった。あれは人間の感覚なんかでは捉えきれない現象であって、故にこの男の言うことは出鱈目でたらめだと証明できる。

 と、カイルは思っていた。

「そう、魔獣です。しかも一匹じゃありません。何匹も」

 カイルだけは、そう思っていた。

 ライラは立ち上がった。敵の伏兵を見つけた民間兵のような眼差しで、御者の後頭部を凝視した。

「お客さん」御者は九十度振り返り、カイルを見た。「あなたは一体何を連れてるんです?」

 カイルの頭は一瞬フリーズした。代わりにライラが確信を得たように言う。

「あなた、魔術師ね」

 言われて御者はゆっくりと首を捻り、ライラを見る。そしてその瞬間、御者は初めてライラを認識した。

 御者はそのまま数秒間、目線を少しも動かさずに、沈黙した。

 ライラは自身の呪いの性質を知っている。人が自分を初めて認識したとしても、驚いたりはしないことを知っている。知っているからこそ、ライラにとってその数秒間の沈黙は極めて不気味なものだった。

「ほお、鋭いなお嬢さん」

 やがて御者は、御者ではない何かの立場でそう言った。

 その直後、彼はハッと驚いた。

 手綱から手を離して立ち上がり、その場で振り返った。

 視界の中心にライラを映して二秒が過ぎた頃、彼は

「驚いた」

 と言った。

 次の瞬間、その場の緊張を爆音が破壊した。

 御者が手綱から手を離したせいで事故ったわけではない。三人は同時に足元を見た。

 馬車が真っ二に割れていた。

「な!」

 カイルが驚きのあまり声をあげた。後の二人も無言ながら驚愕し、なすすべなく体勢を崩す。そのまま一同は、決して遅くない速度の荷車から強制的に投げ出された。

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