第14話 暗黒
ライラの体が地面に叩きつけられる直前、カイルの腕がライラを受け止めた。彼は荷車を蹴った勢いで体を安定させて、斜めに伸ばした足を地面に滑らせ、速度を殺す。
よろけかけたが、片手まで使って地を引っ掻き、なんとか停止した。
しばらく先で、二つに別れた馬車が接触してぐしゃぐしゃになった。カイルが蹴りで離脱していなければ、二人も巻き込まれていただろう。
二頭の馬が、千切れた手綱を引きずりながら逃げ出していく。
「御仁!」
カイルは御者を心配したが、返事も姿もない。
「……何が起こった?」
ライラにも見当がつかなかった。御者自身も驚いていたし、彼が馬車を破壊する意味はない。
しかし直後、ライラは斜め上空を見上げて言葉を失った。
見当がつかない、理解不能、不可思議な現象というのはつまり、一つの結論を導き出している。
どこからかまた音がした。いや、音が始まった。
そう大きくない。
しかし視界外の広範囲から大量の音源を感じた。
森という空間に反響するような連続音。それは破裂音にも似ていたが、何かが裂けるような音も混じっている。
パキキッキキキキキキキキキッキキキキキキ
音が近づいてくる。近づくにつれて、それが前後二つの方向から迫ってくることが明確になっていく。
カイルはそれが木の音であることに気づいた。木が折れて、倒れる音だ。
カイルの視界の中、暗闇に揺れる葉の塊がガサガサと視界から消えていく。
左に。右に。左に。
何か大きなものが木を割って近づいてくるかのようで、しかしなんの姿も見えない。
数秒後、道の端にある木々までが倒れ伏した。
重なる風圧。カイルは腕で顔を覆い、ライラはマントが飛ばないように掴んで抑える。
収まると、大きく開けた視界を月明かりが照らしていた。
カイルは周囲を見回した。
前方。道を挟んで、後ろ。
人間が作った道と直角に交わるように、どこまでも続くような一本の線が開けていた。
それを描いている木々は、乱雑に倒れているのではない。線を横たわるようにして、一本一本交互の向きで倒れていた。
カイルはそこで答えに辿り着いた。一気に焦りが込み上げて、ライラに視線を送る。
ライラは茫然と立ち尽くしていた。
「ライラ!」カイルがライラの方を揺らす。「魔獣なんだな?」
ライラは焦点の合わない視線を上空に向けながら、震える声で言った。
「短期間で二度も……こんなことあり得ない」要するに肯定であった。
「どうすればいい?」
カイルは魔獣の被害を懸念していた。放っておけば何人もの犠牲が出るということを考えていた。一度その身で魔獣の恐怖を味わいながらも、いやだからこそか、己が誰かのためにできる正しいことをしようとしていた。
だから、ライラは思い至った。
「まさか……」ライラはカイルを見据えた。「あなたが呼び寄せてるの?」
「……なに?」
すると二人の横で、
ブルルゥ。
二頭の馬が息を漏らした。ついさっき逃げて行ったはずの馬である。
カイルもライラもその馬に視線を引きつけられ、数秒間じっと見つめた。
二頭の馬は木が倒れることでできたラインを繋ぐような位置で、道の上に並んでいた。
ライラはハッとして、両サイドにある倒木のラインを見た。
シカ。リス。イノシシ。オオカミ。鳥。虫。跳ねる魚。
線の真ん中を縫うようにして、大量のそれらが地平の果てまで一直線に配置されていた。
動物たちはあたかもそこにいるのが当然かのようにそこにいた。呼吸をしたり、周囲を見回したり、倒れた木をつついたり、跳ねたりとそれぞれの行動をとっていたが、移動だけは全くせず、したがって列が崩れる気配は一切なかった。
魔獣が出現する前兆であることを確信した。
ライラはすかさずマントの裏に手を伸ばす。カイルもそれしかないだろうと考えていた。
しかし。「ない」
「ない!?」
確かにマント裏にしまったはずの本がない。ライラにとってそんな現象は簡単に起こっていいものではない。
しかもライラが気づかなかったとなれば、タイミングは馬車が崩壊した瞬間でほぼ間違いない。
あの瞬間、どさくさに紛れていたとはいえ、ライラから本を奪うことのできる可能性。
ライラは一つしか思いつかなかった。
「御者の人」
「奪われたのか」
スムーズな理解に驚きつつ、うなずく。
「ああくそ、あの男もどっかに————」
「危ない!」
ライラがカイルの腕を引いた。
カイルの立っていた位置が大きく燃え上がった。
いや、線ごと直線状に燃え上がっていた。倒れた木々で成り立っていた長い長い帯が、オレンジ色に染め上がっていた。動物たちを着火剤にするかのように。
焼ける悲鳴が夜空を揺らした。
燃え移ることなくただ天高く燃え盛る一直線の炎。月光が朱色を帯びる。
ほんの少し明るくなった夜空に、一つの黒い球体が浮かび上がっていた。それはどこまでも真っ暗。永遠すら感じさせるほどの黒でできていた。
球体から大量の純黒が伸び始めた。それはまるで触手のようだった。
触手は燃え盛る動物一つ一つに向かって伸び、掴んで、持ち上げた。
小さな火種たちが黒い球体の元に集っては消えていく。
「動物を食べたって意味ないのに……」
ライラは憐れむように呟いた。
カイルは、目の前で起きていることが捕食だとは到底思えなかった。しかし気づく。
視認できているということに。
「ライラ、今のうちに御者を探すんだ。多分そう遠くにはいない」
「でも、」
「あれの狙いは僕かもしれないんだろ」カイルはベルトから剣を外し、鞘に収めたままの刃を構えた。「僕は大丈夫だ」
ライラは一秒目を瞑ってから、
「……死なないでよ」
そう言うと、ライラは馬車の残骸の方に向かって走り出した。
その頃にはもう、燃え盛る動物たちはほとんど球体に沈み込んでいた。
一本の触手がカイルに向かって高速で伸びだ。速度。重さ。どちらも人間にどうこうできるレベルではない。
しかしこの男。カイルという男もまた、剣術という点においてはほとんど人間をやめていた。
昨日と違い、見えるし実態がある。それはごく小さな希望だが、しかしカイルにとってはそれだけでも充分マシに思えた。
「死ねるか」
革と金具が擦れる音、そして微かな火花が散った。
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