第5話 混在の呪い
「なんでワタシがわかるの」
カイルは片眉をあげた。ライラも言った後で馬鹿な質問だなと思った。しかしカイルはそう思っていなかったようで、彼は数秒間脳内で処理したあと、
「さあ。なんでだろうな」と言った。
ライラを認識できていることの異常さは、承知の上ということだ。
カイルという男は観察によってそれを推測した。ライラが逃走していた時の周りの反応や、ライラ自身の言動などが手がかりとなって。この男、どうやら思考能力はそれなりにあるらしい。
しかし肝心な原因の方は、本人がわからないというのならばどうしようもない。
カイルもそれを察した。
「君は、普通の人からは見えないんだよな」僕を殺そうとした何かと同じように。と、カイルは思った。
「少し違う」ライラは抱えた膝頭を見た。「混在の呪い。ワタシへの興味がなくなる。だからわからない」
本人の意識と関わらず恒久的に発動する魔術を呪いという。
つまり、ライラへの関心は強制的に削がれるというわけだが、実際のところ見えていないのと大差はない。肝心なのは目に映ったかどうかではなく、見えたと認識したかどうかであるはずだ。
補足。
「ワタシに対する好感によって効果が薄くなるけど、そもそも初対面で認識するにはきっかけが必要だから……」
例えば誰かに紹介されるとか、ライラから話しかけるとか。そういうゼロをイチにするきっかけがなければ、ライラへの好感度が上がることはない。そもそも認識できないものに好感なんて持ちようがないのだ。
カイルは下を向いて少し黙った。
「君はやっぱり……魔術師、なのか?」
極めて重く慎重な言葉でそう言った。
対してライラは膝頭を見たまま、目線だけを上げた。そしてまた戻した。
「そう」
肯定。カイルは黙って立ち上がった。そして置いてけぼりにされたみたいに、呆けた困り顔で目線をあちこちに泳がせた。灰色の髪を何回かわしゃわしゃしてから、彼は言った。
「くそ……」
その様子には、ライラも流石に顔をあげた。そして「捕まえないの?」と言った。
悪気はないとはいえ、ものすごく意地悪な言葉だった。
カイルは壁の方を向いている。
「うるさい。今は尋問してるだけだ」
「そうなんだ」
ライラはまた膝に頬を置いた。
混沌を極める市場通りから叫び声や怒鳴り声が聞こえる。雲の間から覗く太陽が、西の空に近づき始めていた。
カイルが少し振り向いて、砂利を踏む音がした。
「なあ。あれはなんだったんだ」ライラもカイルもお互いの方を見ない。「魔獣って、なんなんだよ」
「魔術を撒き散らす怪物。人間の目には見えない。
適当に情報を羅列したライラ。
「
「違う。さっきのは抑えただけ」
「じゃあ、今もあそこに」
「まあそうだけど……魔獣にはいるとかいないとか、そういう単純な概念も通じない。そもそも獣って言うにはあまりにもみに————」
言いかけて、膝の間に口を押し付けた。カイルは不思議そうにライラの方を見たが、特に何も言わなかった。
カイルは今まで、魔獣という単語すら知らなかった。近頃はそういう教育も増えているらしい。
理由は一つだ。ライラは一つ間を置いてから、脚衣に声をこもらせて言う。
「これ以上は、知らない方がいい」
カイルのように何も知らない者、魔獣という単語だけは知っている者、その全貌を知る者。さまざまな人間がいるが、魔獣に対して何もできないという点においては共通している。どうにもならないのなら、知らない方がいい。そういう話だ。幸い、魔獣遭遇や魔獣化の例は極めて稀だ。すれ違った人がいきなり死ぬ確率より遥かに低い。
「もう、わけわっかんねえよ」彼には色々なことがありすぎた。「確かにあんな光景、ありえないって思えた方がいいに決まってる。けど、……目の前で人の命が二つも消えたんだ。このままでいるんて、」
「気持ちはわかる。でもできるだけ気にしない方がいい。今日のことも、難しいかもしれないけどすぐ忘れて」
「どう言う意味だよ」
カイルはライラを見た。だからライラもカイルを見て言う。
「貴方も魔獣になっちゃうよ」
「は」
「カイル」
突然、全く違う声に名を呼ばれた。カイルが市場通りの方を見ると、女上司がそこに立っていた。
「隊長」
「探したぞ」
カイルは女騎士に駆け寄って謝ろうとした。彼女も寄ろうとしたが、一歩目で立ち止まる。訝しげな顔をした。
「こんなところで何してる?」
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