003●原子怪獣現わる

003●原子怪獣現わる



 アマミの背筋にゾワワワッと悪寒が走った。

 危険信号である。

 魔法使いは汎用的な霊感が高度に発達している。たとえば登下校の途中で野良犬に追いかけられそうになったり、イノシシにねられそうになったり、頭上から鳥のフンが落ちてくるときなどに、脳内の“第六感覚野シックスセンサー”が数瞬前に自動警告してくれるのだ。

 痴漢に狙われても事前に身構えることができるはずなので、誠に便利な能力なのだが、幸か不幸かまだ痴漢様に襲撃されたことはない。

 ただし痴漢めいた男が暴発寸前の野性をあっさりと自主撤回し、素知らぬ顔でアマミとすれ違う気配を感じたことは何度かある。それはそれで幸か不幸か、いささか微妙に複雑な気分なのだが……

 ともあれアラームよ、えまーじぇんしーよ!

 そう自覚したアマミは懐中電灯を背後に向けて左右一文字に振った。

 ストップ、危険、下がって! という意味だ。

 深海潜水艇バチスカーフアルキメデス号はお尻のプロペラをくるくると回して、ゆっくりと後ずさりした。パイロットはフランス人だが、操船の腕は確かだ。

「どうしたの? アマミちゃん!」と大野寺女史が尋ねてきた。

「何か、います。あの、えんぷらとかいう白っぽいお舟の中で、正体不明の大きなものが、もぞもぞと動いています!」と警告しながら、アマミは聴音魔法を研ぎ澄ます。水中を伝わる微妙な振動から、そいつの大きさや動きを割り出す。「……それ、生き物です。普通のおうちより、もっと大きい……身長二十メートルくらいはありそう」

「そ、それは……そいつは……何をしておるのかね? 一匹だけかね?」と緊張気味の中松先生。その声はしかし、恐怖ではなく、さらなるラッキービンゴの興奮に震えているように思われる。これは、もしかするともしかして……の期待である。

 中松の期待を裏切ることなく、アマミの驚異的な聴覚には、そいつの動作が伝わって来た。

「何か食べてます。ガリガリゴリゴリバキバキポリポリと、歯を立てて……お伊勢さんのガチガチの生姜糖しょうがとうか岩おこしを、ゆっくりと力任せにかじってるみたいです。それに……ぎゃっ!」

「どうしたアマミくん! 痴漢に襲われたみたいな声だぞ」

「痴漢の方がマシかも、先生、これ放射能です! お肌にピリピリきます。みなさんバック、バック、バックオーライ!」

 幸い高圧で高密度の海水の層があるので、大半の放射線は封じられているが、それでも貫通力の高いガンマ線が、アマミの頬や露出した胸元をチクチクと刺してきたのだ。

「といっても線量はチョビットだけです。二三日浴びても健康に影響はないでしょう。けれど、こっちから近づいたらヤバくなります。日焼けして、全身ヤケドしますよ。ここは、そーっと避難するのがいいです。ライトも消してください。あいつを刺激しないように」そして危険の核心を伝えた。「あいつ、二匹います!」

「おおっ、なんたる幸運!」アマミの背中を打つのは、中松先生の歓喜の声だ。「本日はトリプルビンゴの大吉だぞ! やつらはきっと原子怪獣のゴランジだ、沈んだエンプラの中で原子炉を食ってやがる。八基もあるんだから奴らには満漢全席みたいなもんだ。しかも卓袱台ちゃぶだいに二匹となれば夫婦善哉めおとぜんざいだぞ! 一方がメスゴランジなら、これまた世紀の大発見だ! 大野寺くん、奴に近寄ってくれ、なんとしても映像に収めるんだ」

「せんせ、なに血迷っておられるのです」ビジネスにならない虚構は一切認めないSF雑誌の編集者は至極冷静に、大騒ぎするSF作家をいさめた。「原子怪獣ゴランジなんて、ただの特撮映画ですよ。……もう、SF作家さんはすぐ、ありもしないことを思い込みでデッチ上げて社会不安を煽るんですから」

「その社会不安で飯を食うのがSF作家ってもんだ。それにゴランジは実在する! 15年前に特設災害対策局の離島調査隊によって実在がしっかりと確認されとるんだ、15年も前の1954年に!」

「だから15年前の映画は特撮で作った大ウソなんですって! 見りゃわかるでしょ、どうひいき目に見たってぬいぐるみのハリボテで、中身は人間でしたよ! 先生の両目は節穴ですか! だいたい、実在するならドキュメンタリーを作るでしょう。それをなぜ、わざわざ特撮映画なんかに仕立て上げたんですか?」と、大野寺も譲らない。やや感情的になってはいるが、まずは作家の意固地なワガママよりも損得勘定で社会的常識を優先する出版社の社員として、当然の反応であろう。

「だーかーらー」と中松は反撃した。

「それが政府の方針なんだよ……何が何でもゴランジの存在を隠したいからだ!」いかにも不本意とばかりに中松はSF雑誌編集者に愚痴めいた反論を飛ばす。「だから政府はあえて特撮映画を作らせたのだ。そうすれば誰も、ゴランジが本当にいるとは信じなくなるだろう?」

「あ、そ、そうか……」

 またまたうなずく大野寺とアマミ。なるほど、いったん特撮映画にして全国に劇場公開してしまえば、疑いもなくフィクションとして国民に定着する。“アレは実在する”なんて説いて回る輩は頭がプーになったご仁とばかりに世間の笑いものにされるだけだ。中松右京の主張と同じように。

 女性二人が納得したところで、中松はすかさず自己の正当性を訴える。

「いいかね、15年前の映画で最初にゴランジが山向こうから顔を出すシーンの四カット、あれだけはドキュメント映像なんだ。あれは天地神明に誓って、本物のゴランジが映っている。非公式の調査隊がゴランジの実物撮影に成功した証拠を、カメラマンの意地をかけて、ああやって密かに作品に残したのだ!」

 政府の監視の目を盗んででも真実を伝えるジャーナリスト魂、特撮の屋台骨を支える活動屋カツドウヤの誇り、ここにありと胸を張る中松先生。

「それに六年前のスレッシャー号、去年のスコーピオン号と、原潜の遭難事故が相次いだではないか? いずれも生存者ゼロで事故原因は不明ときている。ソ連だって黙っているだけで、何隻か沈んでいるさ」

「それも……ゴランジの仕業ですって?」と、さすがに不安げな大野寺女史。

「まことに」とうなずく中松。「ゴランジが襲って食ったんだよ。原子炉だけでなく、核弾頭の魚雷やミサイルも積んでいただろう……まてよ、そういえば、このエンプラだってそうだ。航空機用の核爆弾や核ミサイルの十や二十、いやもっと山ほど積んでいるんじゃないか!」

「非核三原則……核兵器は持たず、作らず、持ち込ませず」と、二年前に総理大臣が明言した政治的原則を、大野寺が慌てて指摘した。

「んなお花畑の性善説、誰が信じるもんか。黙って持って、黙って作って、黙って持ち込んだら、それまでだぞ」と突き放す中松。「原子力空母に原子力巡洋艦に原潜、海の中は怪獣連中にとって高カロリーな美食だらけになろうとしている。こうなればゴランジが夫婦で景気よく繁殖を試みても不思議はないぞ。そのうち世界の海はコゴランジとマゴランジであふれかえる!」そして自分の妄想に陶酔して一気にまくし立てた。「パパゴランジとママゴランジに、コゴランジとマゴランジがファミリーで打ち揃ってここでシコ踏んで暴れたらどうだ。ここは南海トラフのど真ん中なんだぞ! 地層がズレてコンニャクみたいにググーッとプレートの下に押し込まれてから跳ね上がってみろ、関西は波打ったカーペットみたいにツイストして大地は割れ、たちまち水面下に陥没する。人工の楽園たる万博会場は泥水に呑まれるだろう。かくしてノストラダムスの大予言は成就するのだ! ……そうだ、次なる小生の新作はこれだ、関西沈没で大阪城消失といこう! どうかね大野寺くん!」

「発想が飛躍しすぎです」と、大御所未満で小御所以上の中途半端なSF作家の益体やくたいもない妄想に冷たく釘を刺すSF編集者。まともに付き合っていると、危ない仕事を押し付けられると考えたのだろう。

 危ない仕事とは、中松の口車に乗せられて、売れそうにないB級パニックSFを出版させられるということだ。そんなリスクを冒してなるものかと彼女は続ける。そもそも中松右京というペンネームの由来からして、本人の、どこかさもしい便乗根性を感じずにおれない。中松の耳に痛い箴言しんげんを続ける。

「いくら、あの小松左京大先生の大々的な人気にあやかりたいからって、筆名も作品も小松先生を猿真似した粗悪模造品パチモンで勝負できるはずがござんせんわ。中松先生、編集が求めているのは完全オリジナルで、小松左京大先生もアッと驚く奇想天外な最新SFです。それさえ執筆いただけたなら、この轟天書房、社運を賭けて売り出しますわよ!」

「だから怪獣ゴランジはホンマに実在すると言うとるんだよ! 実在ゴランジをネタにすることで、世間の常識を打ち破る、革命的な伝奇SF超大作がここに誕生するのだ!」

「はいはい、ネス湖のネッシーだって実在しますものね。浜名湖にハッシー、琵琶湖にビワシー、羅臼湖にラッシー、十和田湖にトッシー、洞爺湖にもトッシー、阿寒湖にも芦ノ湖にもアッシー、有馬温泉にも阿蘇山にも阿佐ヶ谷にもアッシー」

「あーっ、バカにしたな、コケにしたな。それは神聖なるSFに後ろ足で泥をかける暴挙だぞ」

「はいはい、それもちゃんとしたサイエンス・フィクションを書き上げてから、おっしゃって下さい」

 と、論理性を重んじる編集者は涼しい顔だ。

 戦後日本のSF界に君臨するビッグスター、小松左京先生の向こうを張ろうと背伸びする中松右京、たしかに話題作は送り出しているものの、目下のところ小松左京大先生のはるか後塵を拝する、負け犬の遠吠え作家でしかない立ち位置である。それでも中松は、性懲りもなく遠吠えを追加する。

「そういう大野寺くんだって、今日の今日になって、魔法が実在することを信じたじゃないか。アマミくんのような魔法少女がいることは、小生は以前から存じていたが、大野寺君は初めてだったんだろう? アマミ君を見たとたん、コロッと宗旨替えして、“古来、魔法は日本文化の一部でしたね”って。それ、ネス湖のネッシーをしれっと認めるようなもので、ちょいと小賢しすぎやしないかね?」

「いえいえ、まさに百聞は一見に如かず、魔法には科学的根拠があることが直感できたので、それでいいんです。だってアマミさん自身が、魔法の客観的証明なんですもの」と、鼻先で軽くあしらった大野寺は、中松に露骨な疑いを投げかける。「かりに万歩譲って怪獣というものが実際に存在するとしても、今、エンタープライズ号の中で原子炉だか核燃料なんかを食べている怪物が、原子怪獣ゴランジとは思えませんわ。だって映画では身長が50mくらいあったんでしょう? そんなに大きかったら、船体のあの破孔から中に入れないはずです。第一に中松先生、ここは水深六千メートル、親指の爪の上に半トン以上の荷重がかかる世界です。ゴランジが実在したとしても、この高圧の地獄みたいな環境で生きていられるとは思えません」

 それが理の当然です、とSF雑誌編集者は問いかける。SFのSが科学のサイエンスである以上、科学的エビデンスを雁首揃えてもらわなくては話にならないと。

「あ、そのことですけど」アマミが手を挙げて口を挟んだ。

「じっちゃんが話してたんですけど、世間の皆さんはゴランジの大きさについて、根本的な誤解をしているんですって」


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