002●深海潜水艇《バチスカーフ》 のSF作家
002●
移動する光芒の先に、巨大な船体が右舷を見せて横たわっている。
霞が関ビルの高さは147mなので、同じビルの“二つ分”に当たると言ってよさそうなボリュームである。
船体の喫水線から下は赤茶色の艦底色、そして上半分は、濃淡のある緑色に塗り分けられていたようだが、今は
そしてその甲板は平らで、あまりにも広かった。
「わーっすごい、でっかいペッタンコ! 学校のグラウンドよりずっと大きい!」
やや船首寄りにゆるゆると近づきながら、アマミは大声で
「だって、こんな綺麗な景色、ちょっとなかなかありゃしませんわよ、ホワイトなクリスマスの夜みたい、ロマンチーック!」
ただし、いささか違和感のある建築物を除いて……
それはおおむね五階建ての細長い建物、右側の
その屋上には、船体の外側へ向けて斜めに生えていた煙突が途中で折れ曲がって破断した残骸が残されていた。ちぎれた煙突の大半は、海底に落ちてしまったようだ。
「うーむ、アマミくん、ある意味残念ながら、これは小生が探し求めていた沈没船ではない」と、背後数十メートルまで接近して来たアルキメデス号から、中松氏の声が届いた。
「えーっ? これ、ハズレなの?」アマミは正直に嘆いた。頭の中ではバイト代が一万円から二万円に倍増したところだったのだ。つまり、先生の探し物の水先案内の手数料が一万円で、狙った獲物を探し当てたらさらに一万円追加という約束だ。あっさり諦められる金額ではない、少女は半泣き顔で食い下がってみた。
「ふえーん、だってこれ、中松せんせーが言ってたとおり、甲板がペタンコのでっかいでっかいお舟ですよ……ええと、航空母艦ってか、英語で、えあくらーふ・なんとか言いましたっけ?」
互いの距離が数十メートルとはいえ、超高水圧の深海で会話が成立しているのは、アマミが魔法力で肉声の指向性を極度に絞り込み、まるで伝声管でつないだかのように、アルキメデス号の観測窓のガラス面に高出力で音波を当てているからだ。窓のすぐ内側なら、ややくぐもった響きとはいえ、アマミの地声が聴きとれる。
それに対する中松氏の返事は極めて微弱な音波振動となるが、魔法力で強化したアマミの聴覚器官で増幅し、比較的明瞭にキャッチできるのだ。
丸縁メガネがトレードマークで、当代随一のSF作家として流行の最先端を疾走する……べく、目下のところはまだ売り出し中の中松右京先生は、アンパンの妖精みたいにふくよかな赤ら顔を円窓いっぱいに膨らませて、アマミの失望とは真逆の笑顔を見せた。
「そう、アマミくん! これは紛れもなく空母だ。それも、あの大和型戦艦の三番艦になるところを空母に設計変更した、帝国海軍の秘密航空母艦、信濃だよ! 大戦末期の1944年秋にアメリカ潜水艦の雷撃を受けて沈没したと伝えられていたが、右舷水線下の破孔を四つ確認したので間違いない。当時世界最大の、謎のベールに包まれたシークレット・エアクラフトキャリアーがここに眠っておったのだ! ……おお、なんという幸運、黒潮の果てしなき流れの果て、神への長い道の末に訪れる復活の日の如く、ここでまみえるとは! この空母は写真を一枚も見たことがないんだ。スケッチの想像図でしか知られていない、正真正銘、幻の航空母艦なのだよ!」
「えっ、ええっ? じゃ、あたしの水先案内はハズレじゃなくて……?」
頭の中では万札の聖徳太子がふたり並んで微笑みを返す。お腹に赤いバスタオルを巻いた紺色のスクール水着の少女は
「まあハズレはハズレだけど、そのかわりグレートビンゴだぜ!」中松右京は顔の前に拳を出してにんまりとサムアップ・サインを送ると、深海の魔法少女を讃える。「ニッポンの戦記文学史に燦然と輝く大発見だぞ! アマミくん、よくやった、誠に
「ありがとう先生!」
幸せな妄想世界で三人の聖徳太子に抱き着いてキスの雨を降らせ、アマミは小躍りする。
「これで、じっちゃんのポンコツ漁船、エンジンを修理できます!」
大卒の初任給が月額およそ三万五千円とされる時代である。
「ほう、そうなのかい、それはよかったね!」と大満足の中松先生は窓から首を引っ込めて命じた。
「
「アイアイサー!」
中松先生に代わって、逆三角形フレームの銀縁メガネをかけた若々しいOLな感じの女性が、16ミリムービーカメラ、アリフレックス16STを構えて丸窓に現れた。
今回の沈船捜索プロジェクトのスポンサー、轟天書房のSF雑誌編集者である。手慣れた様子で、深海撮影に適した超高感度フィルムをジイィィィィッと回し始める。
数秒撮影すると、ふと手を止めて、アマミに声を掛けた。
「アマミさん、……その、なにかあるみたいな感じがするんです。もう少し向こうの方に……」
はっ、とアマミは闇のさらなる奥に目を凝らす。
中松右京はマニアックなSF作家らしく魔法界に詳しいが、彼自身は魔法が全く使えない、いわゆる“魔法音痴”の
その予感の通り……
「あります! もっと大きい沈没船! すぐ向こう側に並んでいるので、わからなかったんです!」
アマミは驚愕半分の震え声で報告する。
そもそも空母信濃の船体自体が巨大なので、アマミの
なんといっても真っ暗な中なので、海底の丘の一部だと思っていた。
しかし、再び高燭光の
平坦な、灰白色の巨船が茫洋として視界に浮かびあがった。
その甲板の上に、灰色のサイコロ状の立方体を置き、その上により大きな、少し上下にひしゃげた立方体を乗せた建物、さらにその屋上には……
「お寺の釣鐘が乗ってます、でーっかい釣鐘!」
「アタリだ、それが当たりだ! 本日は超特大のダブルビンゴだぞ!」
素っ頓狂な雄叫びを上げ、中松右京が欣喜雀躍するのが分かった。「それは艦橋だ。ビッグな箱の側面は固定装備の電子走査アレイアンテナ。そして釣鐘を伏せたみたいなのは、ESMアンテナをびっしり生やしたパゴタマストだよ。……ウオオオオッ! これは世紀のスキャンダル、ニッポンの黒い霧、ホワイトハウスの陰謀だ! ついに暴いたぞ、基準排水量七万六千トン、全長350メートルの巨艦が潮岬沖に沈められていたんだ」そこで深呼吸して艦名を告げる。「これこそ世界初にして最大の原子力空母エンタープライズ号!!」
「はあ……」大野寺女史のため息が漏れ聞こえる。感嘆のため息でなく、ただ、あきれ果てたただけらしい。「ウソでしょ先生、だって今、本物のエンタープライズ号は北朝鮮を警戒して、日本海あたりをウロウロしていますよ。新聞に載ってましたから、そっちがホントですよね?」
「ちゃうちゃう! 今、海の上を走っているのは艦番が“CVN-65B”のエンタープライズ号や、あれは原子力エンプラの二世なんやで。わてらの目の前で沈んでるのは先代の“CVN-65A”、すなわち原子力エンプラの一世なんや!」
「うふふ……」とうそぶく大野寺女史、ここは巷のSF作家を仕切りまくり、手玉にも取るベテラン編集者の貫禄である。「また居酒屋の与太話なんでしょ、SF書く人って、純文学作家よりずっと明るくて朗らかなのはいいけど、みーんなホラ話が大好きなんですよね。あたくし、深海六千メートルまでやってきて、先生の怪しいSFには引っかかりませんわ」
「じゃあ、今まさにそこで土左衛門になってヘタってるエンプラさんは何やねん」
知的興奮のあまり関西弁丸出しで、奇矯な空想科学小説で世間を騒がせる自称天才SF作家は真実を断じると、泡を食って沈黙した大野寺女史にドヤ顔を見せる。とにかく目の前に堂々たる物的証拠が転がっているのだ。
「5年前の1964年、就役まもないピカピカの原子力エンプラ一世は、世界一周の大航海に出た。もちろん原子力空母の威容をロシア人に見せつけるためだ。しかしその途上、日本に立ち寄るにあたって、あまりの自信で調子に乗って、この海域に入ってしまった。日本の魔法自衛隊が、やめておけと警告していたのに、だ。潮岬沖っちゅうのは、昔々にトルコの軍艦が難破してえらい目に遭ってから、船を海底に引き込む霊力が物凄く強い場所になっとるっちゅう。船が通るたび、ズブズブと引き込まれるんやねん。そやから戦時中に被雷した空母信濃もこうなった」
「あ、それ、じっちゃんに聞きました」と、思い当たるアマミ。「潮岬沖にはメチャクチャ恐ろしい海の怪獣が巣食っていて、大暴れするんですよ。漁船なんか一呑みで食われるし、軍艦だって熱線放射の一発で爆沈なんだって……」
「アマミちゃん」悪夢にうなされた幼児を抱きしめる母親の視線で、大野寺女史はたしなめた。「それって、きっと怪獣映画の観過ぎですよ。おじいさんの昔話と、原子怪獣ゴランジの映画を混同しちゃってるの。SFなんかにのめり込むと、おつむプーのお馬鹿になっちゃうから、気をつけましょうね。これ、オトナの忠告ですよ」
SF雑誌の編集者ならではの、親身なアドバイスである。SFの魅力に取りつかれて現実から乖離して脳内異世界をさまよったあげく、人生を沈没させた若手作家を幾人も排出してきたのだろう。
ちなみに“原子怪獣ゴランジ”とは、15年前の1954年に制作、全国公開された国産の怪獣映画だ。その特撮技術の出来の良さが国際的にも高く評価され、アカデミー賞の特殊効果賞はもらい損ねたものの大ヒットした。世に怪獣映画なるジャンルを確立した歴史的金字塔として、ニッポンの怪獣マニアに深く愛好されている。
「それはそれとして」と中松先生は講釈を続行した。事件の真相解説、いや自慢話を中断させられてたまるものかとばかりに。「艦番が“CVN-65A”の初代原子力エンプラは、案の定、海の悪魔に捕まって、海底に引きずり込まれてしまったのだ。海上でいったん静止して、そののち水平にゆっくりと沈んだので、乗組員は全員が安全に脱出できたがね。……しかし、その事実を認めるのはあまりにも恥ずかしい。そこで最初からなかったことにするため、アメリカ海軍はただちに“CVN-65B”の二代目エンプラを持ってきて、交代させたのだ。アメリカ軍艦に救助された乗組員を洋上でそっくり移乗させ、何食わぬ顔で横須賀に入港したので、まんまと隠しおおせたのさ」
「でも、口止めが……」と、大野寺女史。
「ドンマイ、ドンマイ」と笑う中松先生。「下っ
「その秘密を私たちが暴いたってことですか」と大野寺女史。「それよりも私は、世界最大の原子力空母を最初からわざわざ二隻も作ったこと自体、不思議な感じがしますね、しかも、こっそりと」
「二つの造船所で、同時に二隻、同じものを作っていた……その理由は単純さ」と、大野寺女史が答えに窮するのを確認すると、中松は得意げに「一隻しか作ってないような顔をしておいて、実は二隻もあるんだぞ! と、いずれロシア人をギャフンと言わせるためだ」
「そんな単純なことなんですか?」と今度はアマミが驚いた。「アメリカ人って、そんなことにとんでもないお金をかけるんですね」
「そうみたいね」と大野寺女史。「今の米ソの宇宙開発競争なんて、そういえば、そんなものね。要するに、どっちが先に月へゴールインできるか、それだけのことに膨大な資金を投入して、アポロ宇宙船を打ち上げているんですもの、あっちはソユーズロケットで」
そこでSF雑誌の編集者は、その好奇心を中松右京に向けた。
「でも先生、どうしてそんなこと、いろいろと細かくご存知なんですか?」
「内閣調査室の肝いりでモスクワに潜入していたワイドマン・フジオカって日系二世の
「で、また、その人はどうして共産圏の鉄のカーテンの向こうまで出向いて、お門違いのアメリカの情報を集めていたんです?」と大野寺。
「当然じゃないか。アメリカの情報を得るために、ソ連のスパイが集めたアメリカの情報を盗んだのさ。ニッポンがアメリカを直接スパイしてみろ、今頃CIAの手先によって、小生の細やかならぬ首は……」と、手指を揃えて首元でスパっとやる仕草。
「な、なるほど……」
いまや米ソ冷戦の本質を探る怪しいスパイの元締めに見えてきた中松に、いささか恐れをなす大野寺だったが、中松はガハハッと呵々大笑して腹を抱えた。
「いやいやすまん、大野寺くん、みんな冗談じゃよ。SF作家のビッグジョーク、飲んだくれの与太話さ。みんな嘘の大嘘、汚れなき善意のペテン、♪信じる者はバカを見る~」
誤魔化しているのか本気なのか、快男児なのか怪人物なのか、小野寺もアマミも面食らうしかなかったが、しかし海底の原子力空母は確かに沈没後五年程度のようで、信濃の船体の朽ち果て具合に比べて、またまだ灰白色の塗装はしっかりと残っている。
しかし、右舷の艦橋のすぐ後ろにある搭載機エレベーターは破壊され、格納庫への入り口付近にはざっくりと、巨大な破孔が開いていた。
まるで、外側から何者かに食い破られたかのように……
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