ふりゃーみー・とぅ・ざ…… --魔法少女と魔法の月--

秋山完

第一部 僕とつきあってください!

第一章 巨艦眠れる水底《みなそこ》から

001●魔法少女、深海に潜る


ふりゃーみー・とう・ざ……



000●登場人物


磯貝海女海いそがいあまみ、通称アマミ……泡繭バブルコクーンの魔法を操る少女。真海しんかい水産高校一年生、副業は海女。

◆キュウ……魔法自衛隊の青年、霊写技師サイコグラファー、未来人を称する。

◆キャロル・ディアリング……米国セイレム魔女団ウィッチズ総帥コマンダー

ホン・ブラン……米国魔法航空宇宙局MASAの責任者。

◆ルゴシ・ドラクル伯爵……吸血鬼。

◆クリストファ・ドラクル……伯爵の息子。

◆ラミカ・ドラクル……吸血娘。

◆ジェームズ・ウルフ……中年の狼男。

◆マイケル・ウルフ……狼男の少年。

◆スーザン・ウルフ……狼娘。

◆ホテップ……ミイラ男。

◆ネフェル……ミイラ女。

◆アルテミス・セレネ・ヘカテ=カグヤ……月の女神





       *



「宇宙に行く為なら悪魔に魂を売り渡してもよいと思った」

          ……ヴェルナー・フォン・ブラウン



       *



第一部 僕とつきあってください!


第一章 巨艦眠れる水底みなそこから



001●魔法少女、深海に潜る



 時に西暦1969年、すなわち昭和44年。

 この国は元気だった。

 五年前に東海道新幹線と首都高速道路が開通、同年の東京オリンピックは大成功で幕を閉じ、昨年に完成した日本初の超高層ビル“霞が関ビル”の地上36階におよぶ真新しいピカピカの壁面がまぶしく照り輝く。

 そう、これぞ高度経済成長のあけぼの

 イケイケムードに華やぐわれらがニッポンは、オリンピックに次ぐ大型国際イベント“万国博覧会”の突貫工事を進めていた。いよいよ来年、1970年の3月に開会がせまっているのだ。

 大阪は千里が丘の万博会場には、“太陽の塔”という、国産特撮番組に出てくるシュールな宇宙怪獣みたいな巨大オブジェがその全体像を現わそうとしている。

 しかし人々の熱い視線はそれよりもアメリカ館の超目玉展示物として予定されている“月の石”に注がれていた。

 万国博覧会といえば、奇抜どころか奇妙奇天烈なデザインのパビリオン、そこに世界各国の御国自慢とばかりに、珍しく貴重な文物が陳列されるものと相場が決まっている。

 そしてその“珍しさ”においては、何をおいても“月の石”ほど珍重なお宝にかなうものはないであろう。

 それもレプリカではない、正真正銘、本物モノホンの“月の石”が大阪の万博会場へやってくるという。

 とはいえ……

 それはあくまで“予定”である。

 西暦1969年、今年の7月に予定されている人類初の月着陸、これが成功するか否かが明暗を分けるのだ。ここでアメリカの月探検宇宙船アポロ11号がソ連に先んじて月面に到達し、無事に月の石を拾って持ち帰ってくることができれば……ということである。

 もちろん、実現すれば特太ゴシック体で世界史の教科書にでかでかと刻まれる前人未到の快挙であることは間違いない。

 そのための予行演習リハーサルとして、アポロ10号が米国フロリダのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。5月18日のことである。

 地球の衛星軌道を離れたアポロ10号が、はるか38万キロメートルの彼方にある月世界を目指す行程はつつがなく、三人の宇宙飛行士を乗せた司令機械船と月着陸船はドッキングした状態で、今まさに月の周回軌道に入ろうとしていた……


       *


 その一方で……

 昭和44年5月23日、金曜日。

 時計は昼下がり、午後二時頃。

 この物語は、世界の耳目を集めている天空の月世界とは真逆の、深くて暗い海の底から始まる。

 紀伊半島南端の潮岬、そこから東南東におよそ48キロメートル。

 真っ青な黒潮が重々しくたゆたう海面から、水中をまっすぐにくだること六千メートル。

 ここは深海の水底みなそこ

 その地面一平方センチメートルにつき600キログラムという、過酷な水圧がかかる世界。

 いわば、超高圧の地獄。

 太陽の光は届かず、昼夜を問わず永遠の闇に閉ざされ続ける。

 その海水の温度は摂氏零度から四度の間にとどまる。

 高圧、闇、そして寒さ。

 そんな、救いのない暗黒世界の只中に、ぽつん、と光がともる。

 懐中電灯のともしびだ。

 海底の段丘の切り立った崖から、やや平坦な棚状の地形へと、そのささやかな光はゆらゆらと降りてくる。生まれてまもない蛍のように。

 蛍の正体は、空気の泡。

 直径三メートルほどの真球の泡が、深海を動く。

 泡の中には、一人の少女が、竹箒たけぼうき横座りサイドサドルで腰かけて浮かんでいる。

 その空間は湿気でじとじとしている、湿度百%、なにぶん海中なので当然だ。

 だから少女は最初から水着を着用している。

 ただし飾り気はゼロ、学校の水泳授業の時に着る、紺色のスクール水着。

 いわゆるスク水が趣味というわけではなく、このバージョンしか持ち合わせていないからだ。経済的な理由が第一で、第二には、ビキニにせよワンピースにせよ、何を着たところで、自分の体形スタイルに自信を持てないことによる。

「おお~、ちゃむいわ、ちゃむいちゃむい」

 思わず幼児語でつぶやいて、少女はぶるっと身を震わせる。と、飛行箒の柄に掛けてあった、えんじ色の厚手のバスタオルを手に取ってお腹に巻いた。

 周囲の海水は零度近くである。少女が浮かんでいる気泡の内側は氷結しないまでも、冷蔵庫並みの冷気にじわじわと包まれる。

「お腹壊しちゃったら、ヤバいもんね。こんなところに公衆便所なんかあらしまへんし」

 関西弁で、切実な問題点を自分自身に指摘する。水面下十数メートル程度なら水温も高く、そこなら下半身を泡の外側に出して用を足すことも(絶対に絶対に絶対に、誰にも目撃されない条件下ならば)不可能ではないのだが……

「ここは水深六千メートル。指一本でも気泡の外側にナマで露出したら、あっという間にペッチャンコだもんね~」

 もっとも、ある程度の暖房措置は施している。少女を包む気泡と海水が接する空気の面にかかる強烈な圧力を利用して、酸素と窒素の分子を極薄の空間に閉じ込めて、圧縮熱を発生させるのだ。

「空気圧縮暖房すりゃいいって学校で習ったけれど、やり方がとーってもメンドクサイし、圧力と熱量の方程式の暗算なんてわかんないし、下手すると気泡の殻が弱くなって穴あいちゃうかもしんないし~」

 ということで、“空気圧縮暖房”の魔法を応用するのは、ほんの少しだけにしている。計算してきっちりと予定量の熱を発生するのでなく、目分量で少しずつ……なので、「やっぱ、ちゃむいわなー、ちゃむいなー、あったかいところへ帰りたいにゃ~」とぼやくことになる。

 強烈な水圧にギリギリで拮抗する泡の中。

 常識的には相当にデンジャラスなシチュエーションに見えるのだが、能天気なほど呑気に上下左右を見回すと、少女は懐中電灯の明かりに惹かれてすり寄って来た深海魚たちに声をかける。

「タラの仲間ちゃん、エビの仲間ちゃん、そしてそっちは太刀魚の親戚さんかな、取って食べたりしないから安心してね。ねえ、ご近所のみなさんなら、教えてくんないかしら、あたしの探し物はどこですか、見つけにくいものですか、いえいえ、それはそれはとっても大きなドでかい沈没船、霞が関ビルの二倍の大きさなのよ~」

 深海魚に道を尋ねてもどうにもならないのだが、少女は穏やかに淡々と独り言を続ける。

 真っ暗な深海底に一人ぼっち、孤独を癒すには独り言、それが一番手っ取り早い。

 少女の思いが深海魚たちに通じたのか、普段から光というものに縁の無い魚たちは、一様に白く半透明な身をくねくね、ぬらぬらと妖し気に舞い踊り、どことなく道案内するかのようだ。

 しっとりと濡れたショートボブの黒髪、その前髪を右に流して、大きな単眼のシュノーケル付き水中眼鏡ゴーグルはすに被った少女は、肉眼で目を凝らした。

 そして、祈るような表情で、眉根をしかめる。

 人間の耳には聞こえない超音波のビームが、その額から、ピン! と打ち出された。

 きりのように絞り込んだ、音錐サウンドピック超音波探信エコーロケーション

 ほんのりとした懐中電灯の光芒、その先の漆黒の闇に、少女は何か大きな、小山のような反射物体の存在を、脳の奥の“第六感覚野シックスセンサー”で聞き取った。

「よっしゃ命中、どんぴしゃのバッチリコンよ! バイト代、二倍でいただき!」

 “美しい”よりは“可愛い”に分類されることが圧倒的に多い彼女は、その溌溂とした笑顔をほころばせると、飛行箒フライブルームの向きを変えて後方を振り向いた。

 少女の名前は磯貝海女海いそがいあまみ

 私立真海しりつしんかい水産高校の一年生、歳は十六。

 そして、魔法使い。

 つまり、彼女が只今起動中の魔法は、“泡繭バブルコクーン”。

 直径三メートルほどの真球型の強力な耐圧結界を構築して、水深六千メートルの水圧を撥ね退け、その内部の空気中に飛行箒フライブルームで浮かび、安全な潜航状態を保持するという、やや特殊な水中魔法術式だ。

 いわば、結界で作った透明の潜水球。

 それに加えて、暗黒の海中でも超音波の位置測定を繰り返して自由に行動できる能力は、彼女の職業的天性が生み出したものと思われる。

 つまり、海人アマ。女性は海女、男性は海士とも表記されるが、いずれも“アマ”と読む。多くは素潜りで海中に潜航して、貝や海藻、甲殻類などの高価値水産物を採集する生業なりわいを指す。

 少女・海女海アマミの祖父は漁師であり、母は海女だった。おそらくその血筋なんだろうと、彼女は自分に言い聞かせている。というのは、幼少のころの自分は、じつは泳ぎが大の苦手だったのだ。

 あるとき、今はもう、ほとんど覚えていないが、事故で海に落水して溺れたときに、泡繭バブルコクーンの魔法に開眼し、死ぬことなく水中を“歩けた”ことに始まる。

 今は三重県鳥羽市の沖合に浮かぶ離れ小島にひっそりとたたずむ私立真海水産高校の一年生だが、水中を自由に行動できる魔法を使えるという事実は、世間の眼から隠されている。

 どうやら、政府の秘密機関みたいな怪しい組織が後ろ盾になって“私立真海水産高校”なる学校施設を運営しているらしく、いろいろと縁あって、海女海アマミは同校の“海人アマクラス”の特待生に迎えられたわけだ。

 つまるところ、“私立真海水産高校”は、水に関わる魔法の才能が認められる“霊能者サイキック”の少年少女を集めた、非公然の“魔法学校”ということらしい。魔法能力が顕現する人口比の確率は極めて低く、生徒数は全校で数十人にとどまる。“海人アマクラス”に所属する魔法少女はたった七人だ。

 その他もろもろ、詳しい事はすべからく政府の秘密事項ということで、海女海アマミの日常生活は普通の高校生とさほど変わりなく、祖父と暮らす家から学校に通い、国語、数学、物理に英語など普通の学科授業に加えて魔法を鍛錬する科目があり、たいていは体育の授業が魔法化されて、その時間に充てられている。

 そして土曜と日曜は祖父の漁を手伝い、ときどき、魔法の特技を生かせる特殊なアルバイトが秘密裏に政府の機関らしい組織を経由して依頼される。こっそり秘密で仕事を依頼されるので、私立真海水産高校の魔法学生たちはこれを“闇バイト”と呼んでいるが、パソコンもスマホも、いやネット自体が存在しない西暦1969年である。21世紀の“闇バイト”のような違法でいかがわしいお仕事ではない……はずである。

 ただし報酬は驚くほどGOODなので、「受けない手はないでしょう!」というのが魔法学生たちの共通認識、そのような次第で、西暦1969年5月23日、金曜日の早朝に学校から“闇バイト”依頼の電話を受けた魔法少女の海女海アマミは、朝ご飯を省略して登校した。教頭先生から本日の学業免除を告げられると、校庭に降りてきた迎えのヘリコプターで潮岬沖48キロメートルの洋上に運ばれて、そこから潜水し、とある沈没船捜索の水中水先案内人すいちゅうみずさきあんないにんを務めることになった次第なのであった。

 水深六千メートルの海底で、彼女は後方を向いて懐中電灯をくるくると円形に振り回す。

 同時に口に出して「中松せんせーい、こっちですよ、こっちこっち!」と呼びかけたが、懐中電灯の合図はその言葉通りの意味である。

 すると海中の闇を裂いて、大燭光の探照灯サーチライトの光条が伸び、彼女の泡繭バブルコクーンを照らし出した。

 光とともに、音声も水中を伝わってくる。というよりも、極めて微弱な音波でも、彼女には聴き分けられるからだ。中年男性の声、その声帯のしわがれ方と呼吸の速さから、かなり太った体形のご仁と思われる。

「おおおっ、見つかったのかね! でかしたぞアマミくーん! そいつの甲板は平らで、ただっ広いかね?」

 深海の闇から、その声の主を乗せた水中船の姿が浮かび上がる。

 黄色と朱色に塗装された、全長二十メートル余りの、ずんぐりした船形の艇体に、小さな司令塔みたいな水上用操船室が乗っている。艇体の中身は海水よりも比重が軽いガソリンだ。その艇体の下部には半埋め込み式で真球の耐圧殻が設置されていて、三名まで収容できる。

 いわば、“深海の水中に浮かぶ小型飛行船”のおもむき

 世界最高級の性能を誇る、フランスの深海潜水艇バチスカーフ、アルキメデス号だ。





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