004●熱線放射とエビフリャー

004●熱線放射とエビフリャー




「誤解だと?」

「誤解ですって?」

 SF作家とSF編集者は、どうみてもSF無知な少女に問い返した。その剣幕があまりにシリアスだったので、うろたえ気味に説明するアマミ。

「え、ええ、まあ、誤解なんですよね。じっちゃんの見解によりますと……世の中の人々はみんな、ゴランジは“水爆実験の放射能を浴びて巨大化した”から身長五十メートルになったと考えているけれど、15年前の映画では、誰もそんなこと言ってないんですって」

「え? 巨大化したんじゃないのか? 放射線で、ほら、遺伝子が突然変異して、TV漫画の『ビッグX』みたいにモリモリ伸びて大きくなった、と思っていたが……小生だって子供のころは痩せていたからな……」

 わが身の肥満を怪獣に同化させて、もごもごと口ごもるSF作家。繰り返し何度も観たあの映画の場面を走馬灯のように脳内リフレインする。そう、言われてみれば、登場人物の誰一人、“放射能が原因で巨大化した”とは発言していない。

「ええ、ですから、じっちゃんによると、ゴランジが身長五十メートルって、すごくでっかいサイズになったのは、何千メートルもの深い海の底の、住み慣れたおうちを水爆実験のために追い出されて、急に海の上に出てしまったから、カラダがブワーッと何倍にも膨張しただけなんですって。だって、ゴランジさんはもともと深海生物だもん。普通、深海魚だってそうですよね。舟の上に釣り上げたら、お腹がパンパンに張って膨らんでしまったり……」

 大国の横暴で勝手に水爆実験場とされた南海のパラダイスから泣く泣く退去を余儀なくされた先住民の皆さんへの同情もこめて、アマミは言った。原子怪獣ゴランジが実在するのは怖いけど、どちらかといえば怪獣も被害者の代表みたいな気がする。

 大野寺女史が言い添えた。

「釣り船で見ましたわ。深海魚を釣り上げたら、目玉が飛び出したり、お腹の浮き袋が口から飛び出したり……そんなことがあるわね、急激な減圧が原因で。ということは、深海の古巣に潜んでいるときは、ゴランジの身体は水圧に押しつぶされて、五十メートルよりもずっと小さく縮んでいる。それがゴランジのオリジナルのサイズってことですか」

「はい、じっちゃんによると、たぶん二十メートルくらい。ゴランジさんの身長はもともとそのサイズで、深海数千メートルの水圧の中で平気で暮らしていたんです」

「なるほどな!」と中松が相槌あいづちを売って合点ガッテンする。「我々は、水面に浮上した状態の身長五十メートルがヤツのノーマルサイズだと判断してきたが、真実は逆なんだ。水深数千メートルの超高圧環境こそが、ヤツのマイホーム、身長二十メートルくらいに縮んで、その場所で暮らしているのが、一番居心地のいい状態ってわけだ」

「だから、深海の水圧には全然平気なんです。それが普通の日常生活なんですから。クジラさんだって水深三千メートルくらいは全然オッケーで潜っちゃいますね。もっと古い恐竜並みのゴランジさんだから、六千メートルの深さくらい大丈夫ってことだと思います」

「アマミくん、キミの達観には感心するよ、おっしゃる通りだ。だから今、あのエンプラの船体の中にいるのは、身長二十メートルのノーマル・ゴランジなのだ、それで理屈に合う。ヤツが水面近くに浮かんできて身長五十メートルに拡大膨張して暴れたときは、異常な状態、すなわち“アブノーマル・ゴランジ”ってわけだ。確かにそうだ、ヤツにとって超低圧の異常な環境である水面や陸上が快適だったならば、ヤツはとっくの昔に陸上生活に適応して、南洋の離島や南米のギアナ高地あたりに怪獣王国を築いていただろう」と中松。「つまり、我々がいつのまにか信じていた“水爆実験の放射能のせいで巨大化した”という俗説は誤りだったことになる。そう認めよう」

「低気圧になると、私たち人間だって、お天気が雨に変わるだけで気分が悪くなったり、頭痛に悩まされたりしますわね。海上に浮かんだゴランジって、その何万倍も苦しいでしょうね、お腹が破裂しそうな感じでしょうか」と大野寺、こうなるとゴランジを恐れるよりも、同情がまさってくる。「突然、高圧の環境から低圧環境に移されたら、人間だって潜水病というか減圧症になるんでしょう? 全身の筋肉の痛み、呼吸困難で死ぬことだって」

「はい、きっと水面に浮上したゴランジもそんな感じなんですよ」とアマミ。「じっちゃんはこんなことも言ってました。……深海のゴランジは筋肉の中に酸素や窒素や二酸化炭素を溶かし込んで生きている。それが急に海面近くへ上がってくると、一斉にガスが気化して、筋肉も胃袋なんかの内臓もパンパンに膨らんで、身長五十メートルに巨大化しちゃう。ゴランジの筋肉も皮膚も強くてバネみたいに伸び縮みできるし、表面は鋼鉄の潜水艦よりも丈夫だから、身体は破裂しないけど……だから、その……必死になって苦しいのを我慢してる状態なんですって、つまり……」

「そうか……」中松が察した。「ゲップを我慢してるんだ。超巨大なゲップを。ああ、あれと同じだ。バリウムと発泡剤を飲んで、ゲップを我慢させられる胃レントゲン」

「あ、それです、それと同じです!」とアマミが諸手を挙げて賛意を示したのは、真海水産高校の健康診断で先月に胃レントゲンを初体験したからだ。「あれは苦しかったですよォ……」

「それなら、地上でゴランジが暴れる理由も理解できる。異常な低圧環境で体調をガタガタに崩して、物凄く不快な状態だからだ。苦し紛れに周辺の物に当たり散らした挙句、ときどき我慢しきれずに、でっかいゲップをぶちかます、それが……」とつぶやいて、中松は大野寺と顔を見合わせると結論を述べた。

「つまり、熱線放射だ」

 数瞬の沈黙を置いて、大野寺がうなずいた。

「それ、汚いですよね。放射能を含んでいるだけでなく」

 さっきまで原子怪獣ゴランジの実在を疑っていた彼女だが、議論がここまで具体化すると信じる気になったようだ。中松も阿吽の呼吸で力強く頷き、同意した。

「うむ、何百年だか知らないが、歯磨きもうがいもしたことのないヤツのウルトラビッグゲップだからな。それも身長五十メートルの年寄りオッサン怪獣の。発射する吐息を構成する可燃性ガスは胃袋から、熱量は放射能を貯め込んだ肺から供給するんだろうが」

 おお、ヤダヤダ、絶対に嫌ですっ! と、全顔面で拒否反応を示す女流SF雑誌編集者。げろげろドロドロでゲゲボなグロに走るB級SFは、活字の世界だけにとどめてほしいものである。

 このタイミングで、アマミが訴えた。手の懐中電灯をゴランジから見えないように身体で隠しながら、まっすぐ上下に繰り返して振る。その意味は……

「このまま、そっと海上へ帰りましょう」

 口頭で補足すると、懐中電灯の光を顎の下から上に向けて顔面の陰影を強調しつつ、怪談の音調で呼びかけた。

「二匹のゴランジ~、こっちに気づいたみたいです~。噛みつかれたら潜水艇さんのお腹、グッサリザックリですよぉぉぉ~。怪獣さんから近寄ってきたら、もう、おしまいなんですよォ~!」

「わかったわアマミさん!」大野寺が即応した。「この深海潜水艇バチスカーフの甲板に乗ってちょうだい。一緒に浮上しましょう!」

「ま、ま、待ァァった、タンマだよタンマ!」中松がSF作家の使命感に燃えて景色ばんだ。「ヤツがエンプラから顔を出したところを撮影するんだ。写真一枚だけでもいい、頼むぞ大野寺くん! フラッシュ一発くらいならきっと大丈夫だ。かえっていい目くらましになる。ヤツがひるんだ隙に浮上したまえ」

 アマミは黄色と朱色に塗り分けられた、どことなく目出度い配色のアルキメデス号を眺めて忠告する。

「でも、ここでゴランジさんを怒らせたら、ずっと追いかけてきます。もしも熱線放射を受けたら……潜水艇ごとエビフリャーにされちゃいますよ!」

「えびふりゃー?」とオウム返しの大野寺。

 あっ、とアマミは口を押えた。恥ずかしながら、自分の過去に染み付いた家庭内方言だ。名古屋出身のじっちゃんが、盆と正月と雛祭ひなまつりに都会のデパートの大食堂に連れていってくれた、その時しか味わうことのできない、あの豪華絢爛な至福の一品。   

 それを幼いアマミにおごるときに、じっちゃんはそう呼んでいたのだ。

 ……ほら、アマミが大好きなエビフリャーだよ……と。

「アルキメデスの海老フライがなんだ」と中松が強気でゴリ押しする。「証拠だ、証拠が要るんだ! 深海潜水艇バチスカーフでこんなところまで来て、つがいのゴランジに遭遇するチャンスなんて一生に一度も無いぞ。命に代えても証拠のシャシンを!」

「ここで死にたいのですか中松先生! それはただの特攻です!」と正論で迎え撃つ大野寺。

「死ぬ直前で脱出すりゃいいじゃないか。映画ではみんなそうしてる。要領かましてスタコラこそが人生だ」と、もはや正常性バイアスに憑依されたサイコパス丸出しの中松はSFに命を捧げる覚悟だ。

「でも先生、わたくしにはこのアルキメデス号を無傷の綺麗なカラダでおフランスの海軍さんにお返しする責任があります! 賃貸チャーターにいくらかかっているとお思いですか? 丸ごとエビフリャーになっちゃったら何もかもアジャパーですって!」

 大野寺も必死だが、特攻を承知して無敵の人となった中松も必死で説得する。

「大野寺くん、こう考えよう、ここはベトナムの戦場で、きみは戦場カメラマンだ。ここでゴランジの撮影に成功すれば、その一枚でネス湖のネッシーなんか吹っ飛んで世界の怪獣史が塗り変わるのだ。さすればピューリッツァ賞に輝くのみ、きみはニッポンのロバート・キャパとなれ! 我らこそ、見知らぬ明日の扉を開かん!」

「地には平和を!」

 問答無用とばかりに発した大野寺の気合と同時に、ボカッ、と派手な殴打音が響くと、かろうじて撲殺を免れた中松が頭を抱えて倒れるのが耐圧球の円窓越しに見えた。

「ゴチャゴチャ言わないで逃げるんです!」

 カメラを凶器に使用して船内の主導権を握った戦場カメラマンは、そう決意を表明すると、事の次第がわからないまま、きょとんとしているフランス人パイロットに緊急浮上を命じようとして、はっと口をつぐんだ。

 “緊急浮上!”なんて、仏語の日常会話集には載っていない。フランス語に堪能なのは、たった今、足元にころがった中松先生なのだ。

「ああ、もう……」イラッとした大野寺女史を只今襲っているのは、怪獣による生命の危機だけではなかった。「もう朝っぱらからずっと潜っているのに、ここにはトイレがないのよ! うっかり乗ってしまったのが我が身の不幸だわ、我慢に我慢の針のムシロ、どうすりゃいいいいのよォ!」

 通常、深海潜水艇バチスカーフの乗員を収容する耐圧球には、お手洗いなど付属していない。すべて各自の超人的な忍耐と工夫と見て見ぬふりで乗り切って下さいということだ。

 じつはフランス側の提案に沿って、潜水艇の三人とも服の下に“紙おむつ”なるものを着用させられているのだが、男性二人にみっちりと密着状態で挟まれていては、最後までそんな羞恥品目はずかしグッズのお世話になるものか!……というのが大野寺女史のみさおでありプライドであった。

 切羽詰まってきた彼女は生理的欲求の赴くままに、緊急必要事項を全力で叫んだ。

「トイレーっ!」

「ウイ! マドモアゼル」

 その悲鳴、聞けば全世界の誰でもわかるとばかりに意味を理解したフランス人パイロットは慇懃に応じると、手で上方を指し示し、大野寺にもわかる英語で返した。

浮上サーフィス浮上サーフィス!」

「メルシイ ボクゥ」と感謝、ほっとする大野寺女史。

 アルキメデス号は、浮上用のバラストとして艇体内の容器に格納していた多数の鉄製のペレットをバラバラと海底に投棄した。

 奈良の金魚が奈良の鹿のフンをするみたい……と、あくまで個人的な感想を抱いたアマミの前で、軽くなった艇体がふわりと揺れ、するすると浮かび上がってゆく。

「アマミさん、潜水艇につかまってください、一緒に逃げましょう!」

 大野寺女史が泡繭バブルコクーンの中のアマミを思いやってくれたが、アマミはその場を動かずに手を振った。

「様子を見ながら、追いかけます。危険がせまったらお知らせしますので」

「いいのォそれで?……お先に失礼して、ごめんなさいねェェェェー」

 遠ざかりながら、大野寺は続けて確認した。

「バイト代の三万円、銀行振り込みで……あら、口座を聞いてなかったわ」

「学校気付で、現金書留でお願いしまーす」

「合点承知よー」

「それじゃ、のちほど海上でお会いしましょう」

 アルキメデス号を見送ると、アマミは懐中電灯を消した。

 漆黒の闇に包まれる。

 底なしの沈黙がよみがえる。

 二匹の原子怪獣ゴランジがエンタープライズ号の核燃料をかじっているのは事実だったが、アルキメデス号に気づいたというのは、嘘だった。

 深海の水底みなそこの厳かな平和は、私たち人間がき乱してはいけない、と感じたからだ。

 ここにいるのは、怪獣だけではなかったから。

『もし、そこの女学生……それともご令嬢か』

 頭の中に、声ならぬ声がこだました。




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