第11話 寝支度
エアリーの部屋へと案内される。
入るや否や、たった一つの事象に大きく惑わされた。
匂いが違う。何故だろう、すごくこう、いい匂いがする。甘いような、気品のある自然な香りとでも言えばいいのだろうか。
「さっきから何を嗅いどんの」
「うわっ!ごめん!」
しまった、無意識に嗅いでしまっていた。あまりにいい匂いだったもので、つい……。
「いや謝らんでええけど……。あ、もしかして、臭い?」
「いや、その……。いい匂いがして」
「フホッ」
この返事は想定していなかったのか、彼女の声は裏返り、とても間抜けなものになってしまっていた。
「そ、そうか、ならええわ……。そうか、ええ匂いか……。ええ匂いか?」
「多分これはその……。んー、言いにくいな……」
この時点で匂いの正体には心当たりがあった。彼女に助けられた直後、その時から僅かに感じていた香りと同じだったからだ。それがこの部屋全体に広がっているということは、これはもう、エアリー本人の香り……。所謂女の子の香りというやつだろう。
そんなこと、本人の目の前で言いたくない。引かれるだろ絶対。
「なんや、気になるやん。相手私なんやから気にせんと言ってくれや」
「うーん……ええ?本気?」
「割と本気や。別に怒るわけやないんよ、ほんまに気になるだけやねん。頼む、教えて」
「なら、言うけど……。引くなよ?」
「うん。で?なんなん」
「お……女の子、特有の匂いだと、思う」
そう言った途端、エアリーがその場でガタガタと音を立てて崩れ落ちた。杖もその場に放り出したようで、カタカタと音を立てて倒れている。
「お、おお、お、女の子の匂いィ!?」
「やっぱり、引くよな……」
「私って女の子の匂いしてたんや……」
「そっちかぁ……」
彼女の反応からは、こちらへの嫌悪感が一切感じられなかった。本当に引いていないらしい。寧ろ自分からその匂いがしている事実に驚いて転んだらしい。
「確かに自分のこと、フローラルな香りするって言うたけど、あれ冗談半分やで。ほんまにしてたんか……」
「そういうことになるな……。というか、他の人に言われた事とかないのか?城にいる時とかでもさ」
「無いなぁ。というか、私ここで生きてきたけど、女の子扱いされた事自体あんまないもん」
「…………嘘だろ?その容姿で?自称超絶美少女なのに?」
「せやで」
この容姿で女の子扱いされないなんてことあるの?美人すぎてみんな引いたのか?いや、わからない。わからなさすぎる。
「みんな多分、私にビビってたんちゃうかなぁ……。ほら、立ち位置もあったし」
「あー……」
そういえばこいつ、王国一の白魔術師だった。それに王様専属になるほどの。
確かに下手に刺激すれば何が起こるかわからないな……。みんな、意図的に距離を空けていたのかもしれない。
「多分あんたが初めてや。私のこと女の子や言うてくれたんも、対等に話してくれたんも」
「……まあ、俺は立ち位置とかよくわからないし、その辺は気にする事がないからな」
「それめっちゃ助かるわ。肩凝るんよな、みんなに気遣われると」
「有名人だからこその悩みだな」
「不本意やでほんま」
この様子だと、結構苦労してきたらしいな。まあ好奇心に従うがまま勉強していただけだからな、王国一は目標でも何でも無かったはずだ。
「さーて、あんた風呂って入りたい?」
「入りたい」
「そうかぁ、ごめんな、風呂ないねん」
「あ、そうなんだ」
「せやから汚れだけとるな」
「ん?ああ、魔術?」
「そうそう。なんや慣れてきたみたいやな」
実際こいつも、俺の世界にいた時には一日三回、魔術で汚れを取ったとか言っていた。それに、大体のことは魔術で何とかしている節もあったし、流石にそろそろ慣れてきたのもある。違和感は正直ない。やりそうだもん。
「服脱がんでええからな。さっさと済ますわ」
「お願いします」
「はいよ」
そうしてまた、今日三度目の杖の振りを見守っていると、皮膚や服の隙間、果ては口の中から、何かこう、不快な何かが無くなったのがわかった。
試しに髪を触ってみると、風呂上がりにドライヤーをかけたかのようにサラサラとしていた。
「思ったより早いな……」
「あんた蘇生した時にある程度綺麗にしといたから、そんな汚れてへんみたいやな」
……そうだった。俺蘇生されてたんだった。
「あんま人のやるのお互い嫌やろうから、明日ぐらいには風呂作るわ」
「規模が大きいんだよマジで」
「そんなん、部屋作って水通して浴槽つけたら終わりやん、簡単やん」
「全然?それ工事だからな?」
「任せろ任せろ、余裕や」
……こいつ白魔術師辞めて、便利屋になればいいんじゃないかな。
「よし、体も綺麗なったし、あとは寝るだけや。私適当に寝るから、布団入っとき」
「…………」
「なんや、なんかやり忘れた事ある?」
「いや……。本当にいいのか?」
「何がや」
「お前の布団で、俺が寝て」
「ええよ?」
「はー…………」
ちょっとこう、心の準備だけしておこう……。まずこいつのアホなところを可能な限り思い出そう。そうすれば少しは落ち着けるはずだ。
「つまみ食い、規格外、ドーナツ、たこ焼き、関西弁、えー、すぐ転ける――」
「な、なんや、なんや急に」
「居眠り、無敵、山羊、あとは――」
横目でそっと彼女の顔を伺うが、これ程までに「何してんねん」って表情を見た事がない。
それを見てふと我に帰る。俺、何してんだろ。
「……落ち着いたか?」
「全く駄目。はっきり言うけど、女性と付き合うどころか、手も繋いだ事がないんだよ俺。今日お前に引っ張られはしたけど、無いんだよ、本当に」
「ふーん、ならまあ、ええ経験なるやろ。ほら、もう寝る時間や、寝るで」
うわあああ……。観念して寝るしかなさそうだ……。正気を保てよ、俺。
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