silent letter

√N

「俺のひいじいちゃんも冒険家だったんだけど」


 黄昏時の空の下、ベンチに並ぶ影ふたつ、その片方、隣に座る彼は少し興奮気味に話を始めた。

 黄金色を眩しく反射する彼の白髪、それは鼻先まで覆い尽くすカーテンのように伸びているが、その上からでも隠されたそこには宝石のようにキラキラと輝く瞳があるのが伺えるほどだった。

 まるで子供のような笑みを向けられ弾む声が続く。


「ひいじいちゃんの若い頃の話なんだけど、どこかの森の奥に小さな村があって、その村の外れには古い祠があったんだって」


 彼の言葉に静かに耳を傾け、深い深い森の奥を思い描く。

 古いしきたり、独自の信仰、外界との繋がりを断ったそこにはまるで昔話に出てくるような世界がそのままにあったという。


「でもその祠は神様を祀るものじゃなくて、ひとりの女の子を閉じ込めておくための場所だったんだ」


 村の掟とか、家の都合とか、よくはわからないけどそんな理由で。人と触れ合うこともなく、外に出してもらえることもなく、深い森の奥、小さな暗い祠で隔絶されたひとりぼっちの女の子。


「その女の子をひいじいちゃんは村から連れだして、そして一緒に冒険を続けたんだ」


 まるで英雄譚を語るように、無邪気に興奮を露わにする彼は両のこぶしを握り締めると自慢げな表情を見せる。

 閉じた寂しい檻から連れ出されたその先で、彼女にとって一体世界はどう見えたのだろう。思いを馳せる。未知への不安、恐怖、しかしそれ以上に期待に胸が高鳴る。自分がその女の子になったようにわくわくした。


「その女の子ってのはうちのひいばあちゃんなんだけど」


 彼は最後にそう付け足す、この冒険譚もその女の子から語られたものだと頬を綻ばせる。


「なんだか、ロマンチックだよね」


 一息話し終えると彼はうっとりと息を吐いた。まるで囚われのお姫様を助ける王子様みたい、と夢見る少女のように恍惚とした様子が半分隠れたままの顔からでも十分に読み取れた。どうやら彼はとてもロマンチストのようだ。

 惚けたままの様子にくすくすと笑い声を立てれば彼ははっとしたように顔を赤くした。


「ごめんね、急に語りだしちゃって」

「いいよ、楽しかった」


 彼は恥ずかしそうに頬を掻きつつ、何の話をしてたんだっけっと思考を巡らせた。


「えっと、そう、君も旅をしてるんだよね」

「そうだよ」

「俺も旅をしてた、っていうか、俺の場合ただ放浪してただけなんだけど」

「放浪、ね」


 その言葉をどこか嬉しそうに繰り返し、僕も似たようなものだよと続ける。


「それで、その、君、えーっと」


 先程まで饒舌に冒険譚を語ってくれた彼の口は急に歯切れが悪くなった。ちらちらと髪の隙間から視線を向けつつ、困ったようにまた頬を掻く。

 こんなこと聞くのは変かもしれないけど──、彼はそう前置きをする。


「俺と、どこかで会ったことない?」


 その言葉に思わず吹き出した。


「あはは、それはあれ?ナンパの常套句?」

「えっ?あ!いや、そういうわけじゃ!」


  そんなこと思いもしなかったらしい、指摘をされまた顔を赤くする彼は「あれ、でも今こうしてること自体すでにナンパ?」と頭を悩ませ始める。


「でも、本当に、君とはどこかで会ったことがある気がする、っていうか、もしかしたら、俺は君に会いたかった気がするっていうか……」


 いやそういう意味じゃなくってね!?と次は指摘するより先に自ら否定をすると、さらに顔を真っ赤にしながら自身の発言に慌てふためいている。

 その様子があまりにもおかしくて、声を上げて笑った。


「そ、そんなに笑わなくてもいいでしょ~!」


 彼は弱々しく嘆いた。

 そんな彼をしりめにひとしきり笑って、笑い過ぎて滲んだ涙を拭って、ふうと息を吐いてから、言葉を掛ける。


「僕、そろそろ行こうかな」


 日が暮れちゃう。

 その言葉で彼は気付く、辺りからは黄金色が消え徐々に夜の色を帯び始めていた。

 だけど、まだ、もう少し、彼はまごまごと口ごもりながら意を決して「まって」と声を掛ける。が隣にはすでに影はなく、はっと顔を上げれば夕闇に遠ざかる背中が見えた。


「俺、ハクアっていうんだけど」


 遠のく背に届くように声を張り上げる。

 ああ、俺達、自己紹介すらまだだったね。と今更ながら気付く。


「君の名前は?」


 ハクアと名乗った彼の言葉に、歩みを止めない背中は「んー」と少しだけ悩んだ様子を見せたが、薄暗がりの中、振り返った先には悪戯っぽい笑みが広がっていた。


「秘密」


 人差し指をぴんと立て、唇にそっと当て、ウィンクひとつ、そしてそのままくるりと踵を返す。

 「何それ」と彼は声を上げるが、その背はその声に足を止めることなく遠ざかることに慌てる。追いかけていこうか、とも過ったがやめた。

 彼はただ言葉を投げかけた。


「ねえ、俺しばらくこの街にいるんだけど、また会えるかな」


 辺りが刻々と影と一体していく、空には茜色がわずかにぼんやりとだけ残っている、遠ざかる背も去りゆく黄昏時に紛れていく。


「また縁があれば」


 その背は振り返ることなくただ小さく手を振った。

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旅人と鷹 夏川 @natukawaa

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