生を無くした誰かの話

 あの子の最期を見送ってからどれ程の時が経ったのだろう。


 軒下で雨を避けながら羽根を休め、ふと物思いに耽る。

 ひとり取り残された永い永い無限の時を前に、年代も、日付も、時間も、数えることはなくなってしまった。

 あの子がいなくなった途端に何もかもがどうでもよくなり必要に感じなくなった。


 永遠の生を手にしたのはたったひとつの願いを叶えるためだけだった。

 そしてその願いは叶えられ、だから僕の生の意味は無くなってしまった。

 それでも僕自身に終わりが来るわけはなく、今はただ永遠という時の中を宛もなく放浪している。


『永遠は死ぬことからも生きることからも程遠い』


 遠い昔に誰かがそう言っていた。


『永遠にこのままなんて生きてないのと同じだ』


 そう言って泣いていたっけ。


 確かに、そうなのかもしれない。あの子がいなくなった今ではそう思う。

 生きていたつもりでいたけど、ただ死なないだけだ、死なないだけの生で漠然と世界を彷徨っているだけだ。意味もなく、目的もなく。何を思うわけでもなく、何を感じるわけでもなく。

 風に舞う枯れた木の葉と今の自分に何か違いはあるのだろうか。


 気付けば雨脚は強さを増しているようだった。

 激しく叩き付ける雨音によりぼんやりとした思考も掻き消され、ままならずただ雨が止むのを待つことにした。

 そうしてしばらくしていると、ふと空から雨が落ちる音の他に地面から水が跳ねる音が聞こえ、かと思えば少年が一人軒下に飛び込んできた。


「ついてないな」


 切らした息を整えると、少年は不服そうな顔で口を尖らせ愚痴をこぼした。随分と雨の中を走って来たのだろうか、服はびっしょりと濡れ絞れば水が滴り零れそうなほどで、髪は鬱陶しそうにぺったりと肌にくっついていた。

 どこか懐かしさを覚える赤み掛かった髪だ。

 少年はふと先客がいたことに気が付き、――それが鷹の姿をしていたことに気付き、目を丸くする。そしてぽつりと、言葉をこぼした。


「こんなところに、鷹?」


 一瞬、鳴り続いていた雨音が止んだような、そんな感覚を覚えた。

 雨音だけじゃない、景色が、空気が、時間が、自分の周りだけ止まってしまったような、どこか遠くへ行ってしまったような、不思議な感覚に包まれる。

 そのなんてことない言葉に、目の前の少年と記憶の影が重なる、胸の奥で何かが燻られる、――まだ覚えてる。


 あの子と出会ったときに初めて掛けられた言葉だ。


 もう随分と昔のことだが、昨日のことのように鮮明に思い出せる。あの子との思い出は、ひとつひとつ、全部、褪せることなく。

 不意に笑みが零れそうになる。たったこれだけのことで、と、自分はなんて単純なんだろう。

 少年はぽかんとした顔のままこちらを見ていた。


 君がいなくなっても、君と共にした時間は無くなりはしない。

 君と共にしたあの時間を、確かに僕は生きていた。

 そして君のいなくなったこれからも、僕は生きていくのだろう。


 永遠にこのままでも、僕は生きている。


「やあ」


 気付けば声を発していた。

 言葉を話すのはいつ振りだろう、誰かに話し掛けたのはあの子が最後だったかもしれない。

 声を掛けた少年は驚いたようでさらに目と口を開いた。他に誰かいるのではないかと、降り続く雨の音に空耳でも聞こえたのかと、きょろきょろと辺りを見回す。

 ふふ、と声が漏れる。


「はじめまして」


 その言葉で少年はそれが目の前の鷹から発せられたものだと確信させられたようだ。目を見開き、開いた口が塞がらない様子の少年と視線がぶつかる。今、この鷹が喋った?と口にしそうだ。

 ぽかんとした表情を浮かべただ唖然としている少年の様子が可笑しくて、僕はいつの日かと同じ言葉を紡いだ。


「僕の名前は『カダル』」




『例えば枝分かれした先にあるもしもの話』

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