例えば枝分かれした先にあるもしもの話

名を無くした誰かの話

 階段を下りる。

 螺旋状に続く段を一つずつ下りる、下りる、下りる。


 奥まった森の中、小さな廃屋、埃被った部屋の中、そこに隠された地下への階段。地面の下へと伸びていくその階段には灯りもなく、暗闇に染まっていた。その暗闇に一歩足を踏み出す、靴音が響く、するとまるでそれに反応するかのように階段は淡い光を放った。靴音を中心に光が辺りを照らし、少しすると緩やかに消えていく。一時の間だけ咲くその淡い光を頼りに階段を進んだ。


 仄暗い螺旋階段を一人下りていく。

 そう、不死の相棒との別れを選んだ今は、僕一人きりだ。


 しばらく下りて行くと階段は途切れ扉が現れる。開くと小さな部屋に出た。中は何もない真っ白な空間だった。光の届かない地面の下にも関わらずその空間は明々としていた。しかし照明のようなものは一切見当たらず、壁や床や天井、それ自体が光を帯びているようだった。

 その中央には白いベットがひとつだけ、そしてそこで眠る白い男が一人。白く痩せ細った体をベッドに預け、白く長い髪は乱すことないまま、ただただ静かに眠り続けている。

 僕は一呼吸置くと眠る彼の元へゆっくりと歩み寄った。


「遅くなったけど、本当に遅くなったけど、来たよ」


 ベッドの前で膝を付き、彼が胸元で組んでいる手にそっと触れる、ひんやりとした感触が伝わってきた。彼の顔を覗き見る。肌は血の気が通ってないように白く、顔色も芳しくない。だけどその表情はとても穏やかなもので、彼の眠りは安息と共にあるのだろう。

 僕は眠り続ける彼にゆっくりと語りかける。


「僕が預けたものを返してもらいに、そして、あんたにもらったものを返しに」


 こんなことあんたは望んでいないかもしれない。

 でも、僕なりにずっとずっと考えていたんだ、僕なりの答えを探して見つけ出したんだ。

 長い、とても長い時間が掛かってしまったけれど。


「あんたの生を否定するためじゃなく、繋ぐために来たよ」


 彼の胸元がぼんやりと光りを帯び始めた。

 触れていた彼の手をそっと離す。すると彼の白く細い指と指の隙間からひらりと光が舞いあがった。

 それは一片の蝶の形をしていた。

 蝶はゆっくりと舞う。ひらりひらりと、真っ直ぐに僕の元まで。そしてそのまま僕の胸元に辿り着き、触れると、すうっと僕の中に溶けていった。

 それを確かめるように光の跡に触れ、触れた手の平をぎゅっと握りしめた。一つ静かに呼吸を吐く。


「本当にこれでよかったの?」


 その声に顔を上げる、眠っていたはずの彼と目が合った。

 胸の奥から何かが溢れ出しそうになる。それが零れてしまわないように、僕は握りしめた手の平を一層強く握り、そっと唇を噛み締めた。

 彼は僕を責めるわけでもなく悲しむわけでもなく、ただ優しげに微笑んだ。


「もう決めたから」


 僕は彼に答える。

 震えそうな喉をきゅっと引き締め、彼の目と真っ直ぐに向き合う、そして笑顔を携える。

 覚悟は決めた。


「僕はちゃんと、自分の生の在り方を見つけたから」


 僕の言葉に彼は小さく微笑んだ。それはまるで僕の全てを包み込んでくれるようにあたたかく、愛おしさを感じた。

 彼の静かな眼差しが僕に向かう。白く細い指が僕の頬に優しく触れ、僕は重ねるようそっとその指に触れた。

 彼のか細い声が"僕の名前"を呼んだ。

 重ね合わせた手に伝うように僕の瞳から雫が零れる。


「ずっとこんな風に話がしたかった」




『例えば枝分かれした先にあるもしもの話』

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