第53話 結末

「――クソ馬鹿野郎がぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁッ!!」


 その叫びに。


 ――永遠の眠りに入るところだった俺の瞼が、今一度持ち上がった。


 それほどまでに、無視できない絶叫だった。

 ……こんな叫ぶ奴、知り合いにいたっけ……?


 と思いながら見上げれば。

 閉じようとする巨大蛇の口を、つっかえ棒となって必死に抑えるアルフレートがいた。

 陰険メガネ……いや、メガネはどこへ吹き飛んだのか、かけていない。

 伸ばしていただろう髪は蛇の消化液に触れたせいか、ごっそり削れている。


「なっ……アっ……ル、え……?」


 なんで、こいつが。俺の窮地を助けてる。

 慌てて起き上がろうとするが、妙に粘り気のある口内では体勢を整えるのが難しすぎる。


「なんか出せェェェェ!! ――レンドウッッッ!!」

「わ……かった……!!」


 どやされるがままに、慌てて緋翼ひよくを展開する。


 生きたい、という願望を失い消えかけたようだった力だが、不思議と際限なく沸いてくる。いや、これは異常と言ってもいい。


 死に瀕した状態のハズなのに……下手したら、いつも以上の勢いだ。それはたちまち蛇の口内を満たし、入りきらなかった分は外へ、そして蛇の体の奥へと侵入していく。


 ――ジャリルルルル!!


 二度と耳にしたいと思えない不快な音――巨大蛇の鳴き声だろうか――が聴こえたと思ったら……その時にはもう、俺の体は宙に投げ出されていた。途端に、背中より噴出する緋翼が唐突に途絶えた。


 なんだったんだ、一体。そう思う暇もなく、地面に横向きに叩き付けられて、半回転したのか。うつぶせで泥だらけになりながら、遠くに……同じように吹き飛ばされたアルフレートを見る。


 ……感謝、しないとな。


 ――ジルルル! ジャルルルル!!


 奇怪な叫び声を上げながらのたうち回っていた巨大蛇。それはひとしきり消化液と緋翼を周囲に嘔吐するように暴れた後、一心不乱に地面を掘り始めた。


「なんだ……?」


 何をするつもりだ。手足も無しに器用に地面に潜り込んでいく巨体を見ていると、薄ら寒いものがある。


 ――地面の下から攻撃されたら、ひとたまりもない。


「クソッ」


 遠くでアルフレートが毒づくのが聞こえた。

 最悪の事態ばかり想定していた俺たちだったが。


 …………え?


 いつまでも、衝撃はやってこない。

 そのこと自体が、衝撃と言えば衝撃か。


「逃げてる……のか……?」


 ……違和感がある。こんな巨体が地面を掘っているにしては、奇妙なほどに揺れがなかった。

 見れば、ぬかるんだ地面には……巨大蛇が出現した時と同様の穴が空いていたのか。巨大蛇の尻尾の先がそこに飲み込まれて消えると、不気味な色をした穴はたちまち収縮し……見えなくなった。


 ……ふらつく体に発破をかけ、起き上がる。

 すると、背後で亡霊のようなうめき声が響いた。


 振り返ると、俺と同じように満身創痍といった様子の黒髪のガキがいた。

 その身体には僅かに立ち上る、


 ――吸血鬼か。


「な……グローツラングが……どうして……」


 茫然自失と言った体のそいつに、背後から組みかかった人間がいた。

 本代もとしろダクトだ。


「召喚士はこいつだ! レイス、やれ!!」

「何を――やめっ……!?」


 吸血鬼が抵抗するも、ダクトの拘束は固い。

 動きを止められた吸血鬼に止めの一撃を加えたのは、やっぱりあいつだった。


 白い輝きを放つ拳が、吸血鬼の鳩尾に吸い込まれた。途端、その身体を包んでいた緋翼は跡形もなく消え去り、また意識も失ったようで、吸血鬼はそこに倒れ伏す。


「やった……!?」


 レイスが喜びに舞いかけるが、「まだだレイス!」ダクトが素早く注意を促す。

 ……そうだよ、古今東西の物語で、「やったか!?」は禁句だろ。


「そ、そうだ!」


 そう、我に返ったようにレイスが再び駆け出す。

 その方向にいるのは……え、俺ェ?


「ま、待て……俺はもう正気にもどった……戻ってる、から……」


 レイスの丸い目が、驚愕に見開かれる。かといってその走る勢いに減退は見られず、そのまま俺の懐に飛び込んだ。


「がふッ!」

「――レンドウ! よかった……!!」


 ――今の俺には、そのスキンシップも普通に痛い。受け止められねェよ。あと男の抱きつきとかノーサンキューなんだよ……。


 弛緩しかけた空気を、再びのダクトの叫びが正す。


「違うそうじゃねぇ! ……レンドウ避けろ!!」


 切羽詰まった声だった。だが、俺はどうにもそれに対応できそうにない。体が鉛のように重い。それを救ったのは、レイスだった。俺の体を、勢いよく前に、つまりレイスから見て後ろに引っ張った。


 レイスを押し倒す格好になった俺は、何らかの背後からの攻撃を回避することに成功したのか。それを確かめるべく、倒れるように横に寝返りを打って、全力で首を持ち上げる。


 いや、解ってはいたんだ。

 ……忘れていた。戦場には、まだあいつがいた。


 俺がいた位置を切り裂くように突き出された、針と化した左手。

 あ、あれに後頭部をグシャッとやられるところだったのか……。怖すぎる。


 ――。抜群の戦闘センスと才能を持ち合わせた、強敵だ。


 だが、それでも。ここにはヴァリアーの精鋭たちがいるんだぜ……?

 いや、この考え方は他力本願がすぎるかもしれないが。


 本代ダクトだけでカニ野郎と十二分に張り合えるだろうし。それにまだ……ゴキブリ生命力のレイス、ネチネチ抜刀術のアドラス、多分強いよヒガサお姉さん、……あと四番隊だっけ? 大生おおぶとか平等院びょうどういんとか、その他大勢もいるんだぞ。


 最後に残ったのはお前一人だけみたいじゃないか。

 この状況でどうしようってんだ?


 視界の隅で……ダクトが特攻しようというのか、足に力を込めるのが見えた。


 ――果たして、カニ野郎は。


 伸ばした左手を引っ込め、鋭い目つきで周囲を観察すると、突如として跳躍。


 その場にいた殆どの人間が、思わずぽかんと口を開けた。それほどの跳躍だった。何かを爆発させて、それを推進力に変えたのではないかと疑いたくなるほどに。一つ、二つと跳躍を重ねて、カニ野郎はたちまち≪ヴァリアー≫の外壁に到達する。


 その頃には、大勢が決したと分かって顔を出し始めた隊員たちも「あいつ、逃げるぞ!」「追え!」などと叫んでいたが……俺に言わせれば、なんつー無責任な発言だオイ、ってカンジだ。


 もう、終わりでいいだろ。戦いなんて。

 敵さんが逃げてくれるっていうなら、それが一番だ。


 躊躇ちゅうちょなく外壁を乗り越えるかと思いきや、壁の頂点でカニ野郎はこちらを一瞥する。


 その視線が誰に向いていたのかなんて、答え合わせでもしなければわからないだろうけど。こんなことを考えるのも、自意識過剰かもしれないけど……。


 俺を睨んでいる。そうかもしれないと思うと、たちまちそれは“そうに違いない”へと変貌する。


 でも、きっと、それは僅か一秒にも満たない間だった。


 俺の心に何かこびりつくような感情を残しつつも、いつの間にかカニ野郎は姿を消していた。向こう側に飛び降りたのか。


 ――それを見届けると、ついに限界がきたのか。


 首すら持ち上げていられなくなって、空を見上げることしかできなくなる。


 暑い。


 さっきまでの曇天が嘘のようだ。雲はすでに去り始めていて、ぎらつく太陽のお出ましだ。瞼を閉じて、右腕をなんとか顔の上に乗せる。そうして、力尽きた。もうこれ以上、動けそうもない。


「レンドウ……大丈夫!?」


 薄れていく意識の中、こいつはほんっとうるさいな、なんて……考え、た……。

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