ツンデレ吸血鬼は負け続け、やがて不死の魔王へと至る。

第54話 終わりなんてない

　◆アルフレート◆

　全てが終わったと笑うには、犠牲を払いすぎた。

　そんな戦場の後に、俺は首筋を刺されるような痛みを覚える。

『いつまでもそうやってぼうっとしていられると困る。金竜（やつ）に見つかってしまうだろう』

　こいつは俺の痛覚までをも操れるのか？　そう思わせる口うるささを披露してくる劫火（ごうか）だが、いまだけは素直に従ってやろうと思った。

「分かったよ」

　重い体を引きずって、≪ヴァリアー≫本館へと歩き出す。勝利の喜びで悲しみを無理やり塗り潰そうとする隊員達の流れに逆らうように、一人。

　今さっき劫火は、俺がレンドウが喰われるのを黙って見ていられずに飛び出した時、止めないでいてくれた。それどころか――そんなことができるとは思いもしなかったが――レンドウの緋翼を操っていたようだった。

　それによって、あの巨大な蛇はたまらず俺たちを吐き出した。

　俺たち……そして≪ヴァリアー≫の隊員一同からしてみれば、命の恩人とも言えるだろう。

　当然、他の隊員やレンドウがそれに気づいているはずもない。どうして自分の能力が疲弊していながらも普段の何倍もの力を引き出せたのかを、不思議には思っているかもしれないが。

　ちっ。

　――そんなの、俺が全員分の恩をこいつに返すしかなくなるじゃねーかよ。

　憎々しげに、天を仰ぐ。

　……腹が立つほどに青い空だった。

　◆アドラス◆

「……何人、死んだ…………？」

　勝利の余韻も空しく、戦場にぽつりぽつりと聞こえ始める声がある。

「いてぇ……いてぇよぉ……！」

　嘆きだ。

　――まずいですね。

　今回の戦闘は、降りかかった火の粉を払っただけのものだ。

　この戦いで魔王軍を追い返すことに成功したこちら側は、まぁ勝者と言って差し支えない状況ではあるのだが……実際のところ「だからどうした」という話である。

　何も得られていないのだ。

　失っただけだ。

　組織の士気を保つため、一刻も早く立ち直るため……するべきことは何か。

　方法はいくつか思いつきそうだが、あいにく十分に考える時間が与えられないまま、事態は進行していく。

「そいつを殺す……！！」

　肩を怒らせながら、ドスドスと歩く男がいた。

　誰しもがその男から一歩引いていた。それほどの凄みだ。怒りだ。

　思わず内心で頭を抱える。彼が向かう先には、倒れ伏した吸血鬼の少年がいる。

　苦労の末にようやく手に入れられた、かろうじての戦果……敵方の指揮官に、何をしようとしているのか。いや、さっき自分で表明していたか。

　殺そうというのだ。

「アシュリー、待ってください」

　彼を追いかけるように歩き、呼びかける。

　しかし、彼……アシュリーは全く耳を貸す様子はなかった。が、私の意志を感じ取った三名の隊員が、アシュリーの前に立つべく動きを見せる。一応、警戒しておいて欲しい。彼は帝国出身者の例にもれず優れた体格を持ち、C隊員が複数程度では止められるか分からない。

「まあ、落ち着けって。いや、無理かもしれんけど……それでも」

　先陣を切ったのは本代（もとしろ）ダクトだったので、とりあえずは安心か。

　彼なら問題ないだろう。

　案の定、無言で相手を押しのけようとアシュリーが伸ばした右手を、ダクトは左手でがっしりと掴んだ。だが、ダクトよりも二十センチは高いだろうかという大男であるアシュリーを、それだけでは止められない。ダクトは振りほどかれこそしないが、強引に押された形となり後退を余儀なくされる。

「放せっ……俺はそいつを、そいつをオォォォォッ！！」

　体重をかけ、身体ごとダクトを地面へと押しつぶそうとする構えのアシュリーに、ダクトは素早く掴んでいた手を放し、後ろへ跳んで距離を取る。

　そうして……アシュリーの足を止めることより、その標的を避難させることを優先したのか。

　吸血鬼の少年を抱え上げ、ダクトは後ずさる。

　それを追うように走り出しかけたアシュリーだったが……、

「――待って！　そのヒトを殺しちゃダメだ！」

　背後から響いた声に、弾かれたように振り返る。

　そこにいたのは、純白の少年。姿かたちも、そして心のありようもまばゆいばかりの白。それは、今のアシュリーにはどう映ったのだろうか。

「おま、え……は……お前らは……」

　グッ。地面を強く踏みしめ、レイスに向けて前進したアシュリーを見て、ダクトが叫ぶ。

「レイス、あぶねぇ！！」

　その叫びとほぼ同時に、アシュリーの右拳がレイスに向けて炸裂していた。

「――ッ！？」

　顔面に向け横殴りに叩き付けられる右拳……その間に両腕を挟んだものの、レイスの痩せた体はぐにゃりと折れ曲がり、吹き飛ばされた。

　泥まみれになって転がるレイスに、意識はあるのか。

　そこへ荒い呼吸を繰り返すアシュリーが言葉を投げる。

「魔人なんて……どいつもクズだ！　結局人間とは相いれないだろうがッ！！」

　……これは、興奮状態だからこその発言なのか？

　それとも、これこそがこの男の本質なのか。解らない。上に立つ者として、自らの能力の欠如を感じざるをえない。アシュリーはのこの行いは、果たして許されるのか……許されないのか、裁かれるべきなのか。

　大陸全土から優秀な人材を広く募集しているこの≪ヴァリアー≫に、この私が出自や才能を把握していない人物は存在しない。アシュリーは外見の通り帝国出身であり、それ故に初等教育時点で魔人への悪感情を植え付けられているのだろう。

　それに、それだけではない。

　彼が所属していた教育機関は、とある魔人の集団によって襲撃され……。

　――いや、今はそれは置いておこう。とにかく、止めなくてはならないことに代わりはない。

　さすがに、と言うべきか。倒れたレイスに歩み寄ってさらにもう一撃を加えるようなことはなく……アシュリーは吸血鬼を抱えるダクトへと向き直る。

「アシュリィ……てめえは……」

　ダクトは平静を保つのが精いっぱいという様子だが、抱えた荷物を捨てるわけにはいかない。アシュリーが自らへと再び歩み寄るのに合わせて、後退する。

　そこで、アシュリーの周りをちょろちょろとうろつく影……失礼。追従して諭す者がいた。平等院（びょうどういん）だ。

「なあおい、あいつを殺したいにしてもさ。生かしておきたいってやつもいるわけだしな？　皆の意志を確かめてからやるべきだと思うわけ。それに生かしておくならまだしも、殺しちまったらもう取り返しがつかないんだぜ？　あとで頭が冷えてから後悔するのはいやだろ？」

「……後悔なんてするはずがない。危険だから処分する。それだけだ」

　魔人であるレイスを殴り飛ばしたことで多少溜飲が下がったのか、アシュリーは少し冷静さを取り戻した口調で言った。が、それは嘘だ。そう思った。憎いから殺したいんだろう。自らの欲求のままに。

　しかし、それをそのままぶつけても、彼は引き下がらないだろう。

　そこまで考えたところで。

　目の前を、水色に発光する髪を揺らした少女が……見る者を不安にさせる歩き方で通り過ぎて、怖気が走る。その長い髪はまるで宙に浮くかのように波打ち光を帯びて、その視線はアシュリーを真っすぐに射抜いている。

「……リバイア、やめなさ――」

　まずい、と思った時にはもう遅かった。少女の髪が短くなった。先端から削れるように減ったのだ。それは彼女が魔法のコストを払ったことを意味する。

「ああああああああああああああああああああっ！！」

　泣きながら、振り絞るような甲高い声だった。

　ガッガッガッガッガ！！

　青白い光が何本もの槍となって、アシュリーとその周囲に突き立つ。

　かつてこの攻撃で、レンドウを追い詰めたこともある。

「……るぃっ！？　……リバイアも落ち着けぇっ！！」

「味方同士で争ってどうすんだよ！？　どんだけ戦いが好きなんだよお前ら頭おかしいんじゃねーのか！？」

　ダクトと平等院が口々に言う。というか、平等院に至っては自らが魔法の範囲内にいたので、かなり危険な状態だったはずだが。さすが。躱すこと、生き残る事に関してだけは定評がある。

「クソガキが……！」

　吠えるアシュリーの右の太ももに、水色に発光する槍が突き立っている。それはすぐに搔き消えるが、それは被害者にとってメリットとはならない。ドクドクと血液が流れ出し、アシュリーのズボンを赤く染めていく。

　……私はリバイアを拾った後、その監督を長くレイスに任せ続けてしまった。その行きつく先が、これだというのか。彼女のコードネームを周囲への注意喚起のために、≪レイス狂い≫に変えるべきかもしれない。

　彼女を後ろから抱きすくめて、無力化を図る。

「――リバイア、落ち着いてください。ここにはもう敵はいない」

　諭すように言うが……腕の中で、水色の少女はもがく。

「……いるじゃないですか！　あそこにぃっ！！　放してください！　レイスさんがぁっ……！！」

　フゥー。

　――レイスさんだからこそ、絶対死んでないですって。

　何しても死なないでしょう、あの子は。それは言わずに飲み込んで、リバイアの首に手刀を叩き込んで気絶させる。

　今はこれが最善手だと信じたい。

　周囲を見渡せば、望まぬ光景が広がっていた。

「見て、あの子よ」

「怖い」

「いきなりだった」

「前にも――」

「怒らせたらやばい」

　内容は主にそんな感じだ。

　アシュリーのように行動に出る者こそ現れないが、≪ヴァリアー≫が抱える魔人たちへのヘイトが高まっているのを感じる。

　腕の中のリバイアを見る。

　なんという、難しい世の中だろう。

　若い日に私が夢見た世界は、未だ遠い。

　遠すぎる。

「――見ただろうお前らも！　魔人は俺たちに牙を剥く！　すぐに、いつでもだ！　それは明日かもしれないし、今日、これからかもしれない！！」

　アシュリーは……吸血鬼を抱えているダクトだというのに一向に追いつけないことに業を煮やしたか、周囲の理解を得ようと喚き散らし始めた。そうすることで、自分を保っているのだろうか。

「……いや、そうだ……」

　しかし、計画性のない突発的な阿呆らしい行動だと思っていたそれは、何の偶然か、私にとってより頭の痛い方向へとシフトしていく。

「今日この襲撃にも、魔人の手引きがあったのかもしれない……そうだろうがっ！？」

　……そうきたか。

　完全に予想の範囲外だ。いや、今は怒りに我を忘れているだけで、元々アシュリーは頭が回る方だ。今現在はそれこそが私を苦しめる要因となっているので、素直に喜べないのだが。

「確かに……」

「裏門が解放されてたのはおかしいよな……」

　運の悪いことに、それを裏付ける根拠が出てきてしまう。それは瞬く間に広がり、彼らの中で確固たる証拠へと変貌していく。これだから思い込みってやつは。

「俺は反対だ！　ヴァリアーに魔人なんて入れていいわけがない！　また今回のような事件が起きるだけだろう！」

　負け惜しみのようにその場で垂れ流されていたアシュリーの暴言は、いつの間にか演説へと形を変えていた。

　それを力づくで止めることは、もはや理論で負けたことを認めるに等しい。

　何とか口で丸め込むべきなのだろうが……。

「出ていけ！　出ていけ！」

「魔人は出ていけ！」

「出ていけ！」

「俺は前から嫌いだったんだよ……」

「……死んじまえっ！！」

「出ていけっ！」

　元々、親を魔人に殺されたことで孤児になった者たちが過半数を占める組織だということが仇（あだ）になったか。殆どの者は度合こそあれども、それに同調するか、日和見（ひよりみ）をしている。

　だが、どうすればよかったというのだろう。恨みつらみ、そういった負の感情を持ち寄ってこそ、結束してこれたのだ……今までは。

　人間というのは、そういう風にできている。

　平等院が、ああもう！　といった様子で短髪をガリガリかきむしる。

　ともすれば刀に手をかけてしまいそうになる自分を抑えにかかる。……それではいけない。

　だが……どうすればいい？

　副局長という立場さえなければ……もっと自由に、奔放に。

　……私が求心力を失うわけにはいかない。ここで魔人を擁護しては……。リバイアが子供とはいえ、たった今アシュリーを傷つけてしまったことは、まぎれもない事実なのだ。それも、結構深い傷を。

　――そうだ、アシュリーは先ほどから叫び続けているが、身体は大丈夫なのか？　血が足りなくなっては、死んでしまう。

　あらゆる事象が心配事となって、脳みそが焼かれるようだ。

　そんな折、戦場（もうこれは戦場と言っていいでしょう？）に新たなる声が響く。それは喧騒から少し離れた位置、それも地面の近く。

「――ったく、傷の治りが早いってのもアレだぜ……」

　……随分と、低い位置から響いた。

　その人物が起き上がる。

「勝手に目が覚めちまう」

　口が、自然とその人物の名を呟く。

「レンドウ君……」

「全部、聴いてたぜ」

　少しふらつく足取りながらも、その視線は標的をしっかりと見据えていた。

　その標的とは、アシュリーのこと。薄く笑っているのか。戦意は感じられない。

　アシュリーは呆気にとられているようで、動きを止めた。

　そのため、目の前までレンドウが到着するまで、そう時間は要しなかった。

「おう。憎くてたまらない吸血鬼サマの登場だぜ……？」

　アシュリーを見上げて呟かれた、落ち着いた声音。

　それを受けて、辺りはしんと静まり返った。

　誰も、何も発せなかった。

　レンドウとアシュリーだけが、会話する権利を持っているのだと。

　誰しもがそう認識しているかのように。

　馬鹿にされていると感じたのか、アシュリーはこめかみに青筋を浮かべて口を開く。

「今更起きてきて、なんだというんだ？　怖いなら、そのまま寝たふりを続けていれば良かったものを」

　……アシュリーの余命が心配だ。大腿から血を流している最中だというのに、吸血鬼に喧嘩を売るなんて……。

　対して、レンドウは。

「アンタがすぐにでも誰かを殺す勢いだったら、俺ももうちっと急いで起きたかもしれねェけどなァ……」

　存外に冷静だった。その発言にアシュリーは表情を消すと。

「まあ、殺す殺す叫んでるだけの奴は、無言で包丁持って近づいてくる奴よりも怖くねェわな」

　その発言を聞くや否や、右拳を放っていた。それはレンドウの左頬に突き刺さる。狙われる場所が、レイスと同じだった。アシュリーの癖か。

　……しかし、驚いた。

　どういうことだ。レンドウは――、

　――わざと……避けなかったのだろうか？

　倒れそうになるレンドウだったが……右足を強く踏みしめて、なんとか持ちこたえる。そして、大きく口を開ける。

　アシュリーは反撃を予想したのだろう、後ろに飛ぼうと力を入れていた。私もそうなると思った。アシュリーは足に激痛が走ったのか、その場から動くことは叶わなかったようだが。

　その場にいた全員が、血を予感していたと思う。

「いってえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええェェェェェェェェッ！！」

　だが、そうはならなかった。

　アシュリーは呆気にとられたように、腕を下ろす。

　レンドウはどこまでも大げさに、痛い痛いと頬を抑えて飛び跳ねる。

　どうして飛び跳ねるんだ。漫画的な表現のつもりだろうか。

　――それは……足が痛いときにやるべきリアクションなのでは……？

　ひとしきり痛がったあと、レンドウは目に涙を溜めながら、アシュリーを見てにやりと笑みを浮かべた。

「ほら……俺たちは、こんなにも人間だぜ？」