第43話 浮遊感

 ◆レンドウ◆


 警報が鳴りやんでから、十分ほど経過しただろうか。やきもきしながら待っていた俺たちの元に、ようやく伝令が到着する。伝令と言うには随分と、こちらへ与える情報に限りがあるものだったが。


 それは、既に始まりの合図とは到底呼べるものではなく……もはや“終わりかけている”と言える知らせだったかもしれない。何がって、日常が。


 地下二階の扉をブッ壊そうかと言う勢いで流れ込んでくる人々。助かった、そんな声を上げる人間、そしてそれを油断するなと叱り飛ばす声も聴こえる。彼らはその階では到底安心できないらしい。大勢の人間の波が階段を伝って、俺がいる地下三階……だだっ広い訓練場を横断するように流れ続ける。人間どもの洪水だ。


 俺とレイス、そしてティスの前を半狂乱になって駆け抜けていく人々。


「一体何があったんですか!?」

「おい、説明しろ!」


 レイスと俺の言葉に耳を貸す様子も無く(というか聴こえていないのだろう)、涙を浮かべた人間が三十人も四十人も――どんだけ逃げてくんだ――地下四階へ繋がる階段へと消えていく。


「ふむ、エレベーターを使わずにわざわざ階段を使っているということは」ティスが冷静に呟いた。


「エレベーターは何らかの事情で使えないってことですね!」とレイス。


 わざわざ言う必要あるか?

 そんなん当たり前だろ。


「大方、ブッ壊されたんだろ」


 駄目だ、恐怖に囚われた連中じゃ話にならない。現になってないし。「上に上がろうぜ」そう提案しつつ、レイス達の返事を待たずに、避難者で窮屈になった階段の隅を駆け上がる。左端に寄っているのだが、何度も肩がぶつかった。ぶつかった連中、全員顔覚えとくからな。吸血鬼の記憶力ナメんじゃねェぞ。


 ……と言っても、今の恐怖に支配された表情と普段の彼らの顔では、きっと結びつかないのだろうが。


 地下二階へ上がると、リバイアが何か言いたいことがありそうな顔で、しかし人の流れを妨げる訳にもいかないという様子で、俺たちを待っていた。……レイスとティス、付いて来れてるか? あ、きた。遅ェぞ。俺が早いだけなんだけどさ。


「何かあったのか」


 問い掛けると、リバイアは言いたいことを纏めきれていないのか、焦りつつも喋り出す。


「あのっ、まもるさんたちが、上を確認するって言って! その、すぐ戻るって言ってたんですけど!!」


 傍らで、カーリーは何をしたらいいのか分からない様子で、とりあえず何もしない、とにかく邪魔にならないようにと努めているらしい。


「えーっ、と。守さん達ってのは誰だ」


 問題点はそこじゃないかもしれないが、俺の口から出たのはそんな疑問だった。すまん。


「さっきまでここに座ってた水色の髪の子供たちだよ」それに答えたのは、追いすがってきたレイス。


 なるほど、つまりポピュラーお子様三人衆ってことだな。そいつらは、


「――戦える奴らなのか?」


 レイスは顔を掌で抑えて、「自分ではそう思っているみたい」……なるほど、そんなに期待はできないのか。むしろ弱いのかもしれない。


 今だに断続的に流れてくる人間ども。これはもう、地上部分にいる全ての人間が駆け込んで来てんじゃねェの。ある者は安眠を妨げられ、またある者は地下一階の市場で給与を手に、意気揚々とお買い物をしていたところ……日常は無残にも破壊された。そんなところか。


「なら、そいつらを助けてやるか……」


 言って、地下一階への階段へと目をやる。まァ、俺の言う“助ける”は傷を負った人間を治療するだとか、敵の攻撃から庇ってやるとかではなく……そもそもの問題をブッ壊してやるって意味合いが強い。


「お願いします、レンドウさん!」


 どうやらリバイアも、俺の言わんとすることを正しく理解したうえで、その戦闘能力を買ってくれているらしい。


 ククク、これは腕の振るいどころだ。


 ――走り出そうとしたところで、それは起こった。


 鮮血が跳ね、俺の頬をそれが掠める。

 階段から。


 黒くて巨大な生き物が、窮屈そうにその身を捩りながら、室内へと足を踏み入れる。


 誰もが、言葉を失った。


 その下に、今まさに俺たちへ助けを求めるように飛び込んで来ようとしていた人間が一人、無残にも踏みつぶされて伏していた。


 そして誰しもが、その人間の死を疑わなかった。そう諦観ていかんいだかせるほどの重量感。頭が何も考えられなくなるような、濃い血の匂い。


 ――汚い、と思った。


 さっきまで人間だったものなのに。ついさっきまで。否応なく湧き上がった、そんな自らの感情に疑念を抱くとか、自分で自分の頭を殴りつけたくなるとか、そんなことを考える時間も一切無くて。


 背後で誰かが嘔吐したような音が聴こえたことで、俺は瞬間的に、目の前の光景を現実だと割り切った。割り切ったつもりになって動いた。


 ――そうじゃないと、やられる。


「――――ッ!!」


 声にはならなかった。きっと、何かを喋ろうとすれば、胃液が逆流すると思ったから。


 棒になろうとする足を決起させ、名前すら分からないそのモンスターへと駆けだす。

 一刻も早く、こいつを殺さなくては。そんな想いだけがあった。


 ――落ち着けレンドウッ! 今殺されたのは、お前の知り合いでもなんでもないんだ!! この程度で動けなくなっちまってたら、もし近しい人が殺されたとき、その復讐を遂げることも叶わねェだろうが!!


 ただただ歯を食いしばり、強張った顔を誤魔化しもせず。


「ぎぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい……ッ」


 口から漏れ出たのは、そんな低い異音。


 跳びかかるように怪物に肉迫する。ギルル、と鼻息荒く、モンスターも動き出す。俺を敵だと認識しているようだ。否……ここにいる全ての人間を、か。


 その鼻面へ蹴りを叩き込む――が、


「!?」


 モンスターの首は頑として動かない。信じがたい重量だ。そしてそれは、俺の動きに呼応するように奴も首を動かしてぶつけに来ていたからだったようで、その勢いのままモンスターは俺の胴体へ突っ込んできた。


「がはっ――」


 角が何対も生えていて……こちらに向けて突き出されている。それが身体に刺さらぬよう、精一杯抑える……が、それで限界だ。それ以上の行動を起こせない。その勢いに運ばれ、いつか壁に激突する時がきて、俺の腹腔ふくこうに風穴が空く――ところまで想像するが、そうはならなかった。


 良いニュースと悪いニュースというものは得てして同時に来るもので、俺は突然全身を襲った解放感と浮遊感に、脳みそを激しくシェイクさせられる。解放感は、俺を運ぶように突進していたモンスターからの拘束が解けたことによるもの。では浮遊感はといえば……絶賛なためだ。


 ガラスが割れる音が盛大に響いていた。回転する俺の視界の中に、俺と共に落下するモンスターが五、六匹目に映る。そうか、こいつ一匹だけじゃないのか……。それらが同時にガラス張りの床を踏みしめた結果、崩壊に至ったと。――ちっ、冗談じゃない、地面に激突するのは御免だ。


 背中に気合を入れて、緋翼を放出する。漆黒のそれは、正式名称とは色こそ異なるものの、名前通りに翼を形作ると――俺の落下速度を和らげる。なんとか足に負担を掛けない程度に失速させ地に足を付けると、床に叩きつけられたモンスターどもが呻いた。


「うわあああああああああああああああ!!」

「きゃあああああああああああああああああああああああ!!」


 避難中だった人間どもは、突如降ってきた忌むべき巨体に恐れ慄き悲鳴をあげた。足をもつれさせて転ぶ者もいた。どんくせェな。さっさと逃げるんだ。


 ぼうっとしてんじゃねェ!!


 見上げれば、ガラスの周り……割れずに残った灰色の天井の縁より顔を覗かせるレイス達が見えた。心配そうにこちらを見下ろしている。それに対して親指を立ててみせると、俺はモンスターどもを観察する。


 十メートル以上の距離を落下して、脚を痛め――潰れてくれたのか? 立ち上がれないヤツが大半。しかし、うち一匹は軽傷で済んだのか、ぎこちない動きながらもその身を起こす。


 そいつが睨むは、この俺。


 ――まァ、好都合だ。敵意が俺に向いてるってのはさ。わざわざ注意を引く手間が省ける。


 ギュアァアアァァアッ!!


 癪に障る鳴き声で嘶きながらこちらへと走り出したモンスター。その頭部に備えた鋭利な八本もの角で、俺を串刺しにしようというのか。


 さっきはいきなりだったけどな。今度は、こっちにも心の準備があるぜ。

 背中の緋翼を体内に収めると、今度はそれを身体に対して一直線に伸ばした右手へと纏わせる。それを相手の方へ向けて、一気に放出。


 うねる触手のように伸びるそれの勢いは、戦いを経験するようになる前と後では、段違いだった。もう、あの時の俺とは違う。


 その奔流に自らが怯みかけ、慌てて左手で右腕を掴んで支える。五指にまで力を込めて、漆黒の奔流を制御しに掛かる。それがモンスターの視界を奪い、喉を詰まらせ、脚に絡もうとする。


 これこそが、ダクトを以てしても「ヤバい」と言わしめた、夜の王の力だ。


「存分に味わいやがれ……」


 相手に絡みつかせた緋翼の供給を打ち切る。自らが扱える緋翼の総量さえ見誤らなければ、敵に絡みつかせたままの状態をしばらく維持することも可能だ。


 動きが制限され、それから逃れようと暴れるモンスターに近づこうとして、はたと気づく。


 ――武器が無ェ。


 辺りを見渡すが、すぐ近くには何も武器になり得るものがない。いや、木刀は転がっている。が、相手が相手だし、それを武器と呼べるかと言うと……。


「レンドウ、これっ!」


 その時、レイスの声がして、上から何か光るものが落ちてくる。


「危なッ」


 言いつつ身を引くが、その先端の方で湾曲した刀身を持つ剣――サーベルか――は、俺から二メートルは離れたところに落ちてきた。コントロールとしては悪くないか。誰のもんだ? レイスがこれを持っていた記憶はないが……とにかく、それに飛びつくように回収し、地面を転がってもがくモンスターの元へと跳躍する。


 その勢いのまま、大敵の首へと……命を奪うための突きを放った。


 それが肉を食い破る瞬間、部屋中に反響した野性味のある断末魔の叫びを、俺はきっと……忘れられないだろう。


 ――随分と、長い時間が経ったような気がする。


 ……やがて動かなくなったそれから視線を引きはがすと、意識の外にあったものが耳に入るようになってくる。


 怪物の嘶き、それに負けじと声を上げる人間達。レイス達も上の階で戦っているということだ。

 呆けている場合じゃなかった。すぐに上に戻らなければ。そう考えた時、またしても俺の思考を持っていこうとする出来事。


 ジジ……、という音がまず聴こえた。なんだろうこれは、なんとなく身に覚えがあるような……そう考えた矢先、答え合わせはすぐにやってくる。


『番外隊A隊員へ告ぐ! 至急正面玄関へと向かわれたし! 貴君にしか対処できない者が現れた!! 繰り返す――、』


 そうだ、誰かが館内全域に対して、放送を入れようとした時に入ったノイズだったんだ。


 ……番外隊、A隊員。それはつまり、コードネーム≪レイス≫のことだ。あいつが呼び出しを受けている。それはいい。

 問題は、その後の台詞。、という部分だ。


 その意味を考えて、俺は思わず漏らす。


「いや、まさかな……」


 は――そんなホイホイと現れていい存在じゃない、はずだろう?

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