第42話 強まる雨脚、雷鳴

 ◆ヒガサ◆


 ――よし、≪ヴァリアー≫本館、地上一階から三階にいた隊員への通達は済ませた。


 戦える者以外は――あの黒く巨大な怪物に対して“戦える者”は酷く限定される――足手まといだと、地下へ避難するべきだと伝え終わった。その後一階に戻ってきた私は、果たして自分が“戦える者”に分類されるか否か確信が持てぬまま、しかし大多数のものよりはマシな方だろうと考え、玄関から顔を覗かせる。


 世界が一瞬、白く包まれた。


 ――ガラガラガラガラ!!


 轟音と共に、絶望的な惨状が目に入ってくる。既に十人を越えようかという人間が血だまりを作っている。思わず目を反らしたくなる光景だが、何より心をクールに保つことこそが、今日を生き抜くために何より重要だ。


 クールになれ、私。

 そういうのは得意だろう……≪ヒガサ≫は。


 外に飛び出すと、身体を濡らすものがあることにすぐ気付いた。一瞬、鮮血でも跳ねてきたのかと思い身震いするが、なんてことは無い、ただの雨粒だ。


 いや、ただの雨粒とも言っていられないかもしれない。それは瞬く間に勢いを増し、小雨と呼べる範疇から逸脱しようとしている。


 三階を走り回っている時にも見えていた景色ではあるが、刻一刻と戦況は変化していく。視界が遮られる前に周りを確認しようと、素早く視線を巡らせる。すると、玄関のすぐ脇……柱の影に人影がいたことに、遅ればせながら気づいた。


「ス……」そこにいた人物に驚き、言いかけて、口をつぐむ。。そう言いかけた時点で、私も充分に他人を責める権利を失っているのかもしれない。七全議会の外において、その名で彼女を呼ぶのは控えた方がいいだろう。歩く辞書アルには悪いことをしたか。


「……ピーア」


 改めて、≪黒の牢獄≫からステージ周りに掛けて広がっている戦場を遠巻きに眺める、ベージュ髪の後姿に声を掛ける。


 しかし、反応が無い。足早に歩み寄って、その背中を叩く。


「こんなところで何を――」


 瞬間、振り返りながら払われる腕。


「――えっ」驚きつつも後ろに下がろうとするが、その伸ばされた掌は、私の腹部をかすめるだけに留まった。


 私だと途中で理解して、何もしなかったのか。何をするつもりだったのかは見当もつかないが……ピーアは安心し、警戒を解いたように「やあ、ヒガサ」と言うと、すぐに戦場へと向き直る。


 その様子に、違和感を覚える。ピーアは私に対して、積極的に話しかけるような人柄ではなかったと思う。一般の隊員とは楽しそうに話すこともあるようだけど、上層部の集まりではいつもピリピリしているイメージだ。権力者が嫌いなのかもしれない。そんな彼女自身も、権力者ではあるはずだが。


「ピーア。あなたはここにいて平気な人間じゃないでしょう」


 ……同年代の、七全議会においては私より高位にいる彼女に対し、諭すように切り出してしまった。


 ええい、ここまで来たら仕方がない。見れば、今もステージ周りの隊員たちはなんとか怪物たちの包囲網を掻い潜り、本館へと逃げおおせたい様子。


 その中に、全く戦えない人物など存在しないだろう。純粋な戦闘員では無くとも、各国から副局長アドラスが集めてきた人材である以上、何かしらを持っているはずなのだ。そんな人間達がこぞって震え上がる怪物を相手に、あなたが何かできる筈もないでしょう?


 諸々の意味を含めて、「だから早く、こっちへ」と腰を屈めて少し下にあるピーアの掌を掴む。今度は抵抗されなかったので、私に視線を向けないままのピーアを引きずって本館へ入ろうとする……その時、強まる雨音に紛れ聴こえた、「あっちから目を離すと後悔するよ」という言葉。ピーアが呟いたのか。その口調に込められた強制力、と言えばいいのだろうか? 不思議なことに、私の首は言われた通り、ピーアの視線の先を追う。追ってしまう。そして……いや、だからこそ気づけた。


≪黒の牢獄≫の前にいたのは、副局長を初めとした、相手に一矢報いるために攻勢に出た勢力。副局長の周りを四番隊が支えているのを見て、少し心臓が跳ねるのを感じる。……しかし、その中に≪灰のガンザ≫の姿は見受けられない。どこに?


 まさかね。いや、そんなはずは……。


 そこに向けて身体が勝手に走り出そうとするのを抑えた。代わりにという訳ではないだろうが、別の場所で別のものが飛び出した。副局長達が怪物の真っただ中で奮闘する中、悠々とこちらへ駆けてくる一騎の騎兵。あの怪物にまたがる者を……騎兵と呼べるなら、あれは騎兵だろう。


 薄暗くなる曇天の下、暗い色だということしか察せないが。巨大なマントをはためかせ、その下にはまるで包帯バンテージを幾重にも巻きつけたかのような出で立ちの人物は、一直線に私たちの方へ……いや、≪ヴァリアー≫本館への侵入を目指しているのか。


 そして、そのバンテージに遅れながらも、続々と怪物に跨った白い鎧の騎士が走り出す。それらはみな立派な意匠が凝らされていて、顔色を窺わせないその出で立ちからは威圧感より上を行く、名づけるなら圧殺感あっさつかん、といったところだろうか。そんなものすら感じさせる。あまり感情を感じさせない動きで、しかし向かう先は同じ。


 ……追従している!


 そう気づくと、既に二十メートルを切ろうかという位置まで近づいた先頭のバンテージの異質さが、更に浮き彫りになる。


 ――こういう防御力に不安がありそうな外見の相手って、得てして強敵なんだよね……物語とかだと。


 何より、有象無象の鎧たちとは一線を画した外見をしていることが、バンテージの特別な地位、もしくは役割を予感させる。いや、鎧どもを有象無象、などと表現するのは早計か。恐らく……いや、確実に甘い相手たちではない。そう考えた方がいい。


 ……既に、死人は出ているのだから。


「ピーア!!」


 再度叫びながら強く手を引くと、今度は何も言わず(小さく呟いたのが私に聴こえていないだけという可能性はある)、彼女はされるがまま私に付いて走る。向かうは≪ヴァリアー≫の玄関を背にして右……ではなく、左だ。憩いの場の方へ回り込んで、あの騎手達を回避しよう。


 私の読みが外れていて、私たちを追ってきた場合は、残念ながら……終わりかもしれないが、そうではないことに賭けることにする。私たちが本館の入り口を守ろうとしても、恐らく増え続けるだろう敵の前に、為す術も無く殺されるだけだ。


「……どこへ?」


 後ろからそうピーアが問い掛けてくる。

 私は私の能力で、できることをするべきだ。だから……。


「騎兵の集団を外周をぐるっと周って回避、ステージ周りの隊員の戦いを助ける……。のが一番かな」


 黒い怪物単体なら、私ならなんとかなる……だろうか?

 小さめの個体ならいける。そう信じたい。


 背後からはそれに対し、肯定の響きも否定の雰囲気も無い。


 足がぬかるんだ土を離れ、芝生を踏みしめる。少し安堵の息を吐きかけた自らを戒め、憩いの場の中を突っ切る。プランターの脇を、噴水の前を、ベンチの横を走り抜けて、いよいよ本館の角まで差しかかろうかというところで、草垣くさがきの向こうから数人が手を振っているのに気づいた。いずれも、年端もいかない子供たちの様だった。


「ヒガサ様ー!」


 そう呼ばれた気がする。私って、いつから様付けされるような身分になったんだろう。あ、最近か。


 あの子たちは戦えないからこそその場所に隠れていた……瞬間的に判断し足を止め、腕を引いていたピーアを前に押し出し、「一緒に隠れてて!」と言ってすぐに振り返る。


 よし、ギリギリ間に合った。私の視界には、未だに何も映らない。しかし、確かにプレッシャーはあった。何かが追いかけてきている。確信めいた予感があった。


 このまま何事も無く、背後に隠れさせた者達が生きながらえる予感がしない。そこまで脳内にお花畑は広がっていない。現実は……草木は踏み荒らされ、天は泣き、また嘶いている。


 果たして……一騎の鎧を纏った騎兵が本館の玄関を素通りし、こちらへと向かってきていた。背中から槍を引き抜いて、こちらへと目標を定めたようだ。

 私がこうして見つかってしまった以上、周囲に連れが潜伏していることまで、もはやばれていると言っても差支えないだろう。

 私はここで、この相手の口を封じなければならないのだ。

 果たして、私にそれが可能なのか。

 白い鎧の中に、一体いかなる人物が入っているのか。


 興奮した様子の黒い怪物に、臆している暇はない。

 ……後退するな! 後が無いんだ。


 腰に下げていた日傘を手に、開く。たちまち雨を受けてバラバラ……と音を立てるそれは、本来雨を受けるためのものではない。そして、太陽の光を避ける為のものでもない。


 手元のボタンを押しこみつつ“隠れ潜み穿つものハーミルピアス”を引き抜いて。


 私は騎手が駆る怪物の急所を――心臓を探すように。

 敵へ向けた針を、クイ、と持ち上げた。

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