第41話 絶対不利Ⅱ

 ◆副局長アドラス◆


≪ヴァリアー≫の玄関を越えて真っ先に目に入ったものは、巨大な黒い獣……に、踏みつぶされる隊員だった。


 ――おぞましい光景だ。


 どんよりとした曇り空の向こうで、光が爆ぜる。それは僅かな空白の後、唸るような音となって耳朶を打つ。


 最低な出来事には相応しい天気だと思った。


 見渡せば、二十匹を越える怪物が≪ヴァリアー≫本館を回り込むように展開しているのが見える。裏側までは勿論見えないので、最悪五十匹程度はいると見積もった方がいいだろう。


 二メートルにも届こうかという位置に鎮座する頭には、四対の角が生えている。つまり突起の総数は八。それを振りかざして隊員を追い回しているかと思えば、優れた筋肉が詰まっているであろう前足で、目の前の隊員のような肉塊を生み出そうとしている。


 有蹄類ゆうているいの怪物か。だが、特徴であるはずの蹄の隙間から、鋭い爪を伸ばした個体も見受けられる。移動時の形態と、獲物に接近戦を仕掛ける際の形態があるということか。実際にこの目で見たことはなかったが、暗黒大陸にはこれらの特徴を持つ生物がいたはずだ……。


 冗談にもならない規模の敵。もはや、軍隊だ。そう判断すると、即座に傍らに向けて「ピーア、下がっていなさい」と命令する。


 そうして逃げ惑う隊員の指揮を執るべく走りだしかけ……足を止める。

 その理由は、背後より聴こえる忌々しい言葉。


「いいや……こんなに楽しそうな催しを、見逃せるわけがなかろう」心底楽しそうな声色。普段の彼女からは想像もできない“逸した”発言に、こいつはと感じる。ピーアではない。ピーアの身体を乗っ取り操る、だ。


 舌打ちをして、「勝手にしてください」


 そう吐き捨てて、走り出す。あいつがである限り、まあ問題ないだろう。奴が貴重な操り人形を無駄に傷つけるとは思えない。


 ピーアの方を振り返ることなく疾駆する。向かうは、撤収中のステージ。そこには一番多くの隊員が解体作業の為に集まっていて、敵もそこへと集中していく。


≪ヴァリアー≫本館には興味が無いのか。


 ……こいつらの目的は、≪ヴァリアー≫の人間を一人でも多く殺すことなのか?


 思考を巡らせつつ、しかし考えるよりも先に、手近なところにいる怪物に斬りかかってみる。小手調べだ。


 小手調べだが、全力だ。


 居合いの一撃を尻に浴びせると、そいつは「ギイィッ」と嘶いて跳び退った。砂が巻き上げられ、目を庇うために左手を使う羽目になる。角で突かれる直前、すんでのところを生きながらえた隊員が、「ふっ、副局長ー!!」と涙混じりに叫んだ。


 一太刀では、とてもじゃないが仕留められない。肉は絶つことができたが、骨までは届かない。獣の警戒心というものだろうか、それとも斬りつけた個体が群れの中で高いカーストの個体だったのか、奴らは傷つけられた個体を中心に、一度襲う手(足?)を止めて、こちらを大きく囲うように歩きはじめる。


 その様子に、「背中を見せてはいけません」と言いながら、後退する。ざっと見て六十人ほどの隊員たちの只中、解体途中だったステージに上がると、「ステージに上がりなさい!」素早く指示を出す。それが正しいかどうかは重要ではない。


 副局長わたしは今、指揮を求められているのだ。それに応えることが、絶望的なこの状況を少しでも改善することに繋がるなら。

 普段通りの副局長を演じきるしかないではないか。


「黒い馬のモンスターを“あばうま”と命名する。私が先陣を切りますので、皆さんは生存を最優先して……陣形を取って防御に専念してください!」


 一つ一つ噛みしめるように命令すると、


「了解!」

「応!!」

「はい」

「ハイッ」」

「っしゃァァ!」


 バラバラな返事が聴こえてきて、内心少し笑ってしまう。口元までには、出てしまったかもしれない。

 今度は、返事の練習をさせる必要がありそうだな。仕方がないか。親族を失い、ろくな教育を受けられなかった子供が多いのだし。


 ――生き残らなければ、次は無いぞ。


 自らを奮い立たせると、刀を水平に構える。居合いは使えない。癖で刀を鞘へと納めそうになった己を叱る。あれは一対一で、相手を一太刀のもとに斬り伏せる技術。トリックモードだ。ディフェンスモードではない。

 この場では、敵の攻撃を受け切り、味方を守り、柔軟な動きをすることが求められる。まずは敵の出方を見たいところだ。


 ステージの上に固まる隊員達よりも一歩前に出て、自分へと攻撃を誘う。その時、後ろから隊員の切羽詰った声がする。「副局長! 裏口にミンクスがいます!!」


 ――なんだと?


 横目で確認すると、確かに裏口のあたりに揺れる桃色の髪があった。何故あんなところにいる。というか、何故裏口が解放されている? 去年からずっと、何重にも施錠して、それがこれからも続くはずだったというのに。そこから敵に侵入を許したのか?


 助けなければ。周囲の目を気にして、舌打ちを抑えながらどうしたものかと考えを巡らせている……暇は無かった。


 右斜め前方より跳びかかってきた、少し小さめの個体。くら。こいつらの背中には鞍がついている。それなのに、何故誰も乗っていない――? 刀は攻撃を防ぐ盾にはならない。斬撃をぶつけて相殺できる大きさじゃない。肉を切ったところで勢いまでは殺せない。躱すべきだ。


 こいつは、速い。

 けれど、私ほどではない。


 右に向けてステップをしながら刀を滑らせる。それが小さめの暴れ馬の左わき腹を撫でると、暴れ馬は「ギュアアァッ」と悲鳴を上げる。痛みに対しての耐性は無いのか。それともしつけの一環として、痛みを恐れさせられているのか。これほどの力を持った生物に恐れを抱かせるとは。


 そこへ、次の個体が突っ込んできた。最初に接敵した、大きな個体だ。尻から赤い血を滴らせながら、目の前で立ち止まる。同じように勢いを利用し、僅かな移動で受け流してしまいたかったが、仲間が傷つけられるのを見て一瞬で学習したとでもいうのか、スカーヒップ尻にキズは近くに来ると頭を振り回し、その角で私を砕かんとする。


 一番辛い攻撃だ。避けようがない。盾さえ持っていれば。いや、それでは素早い動きができなくなり、今度は攻撃をステップで躱すことが困難になるだろう。やはり、現状が最善のはずだ。


 スカーヒップの角に刃を合わせると、そこで僅かに勢いは殺せたものの、刀の柄が僅かに揺れるのを感じた。まずい、そう思う頃には既にバックステップを敢行していたため、かろうじて刃を破損させることだけは避けられたが、


 ――我が身だけで精いっぱいだ。向こうはどうなった?


 数瞬を捨てるつもりで、顔を左に向けて目を回す。ミンクスの方には……威嚇している暴れ馬が一匹。しかし、視界の隅にそちらへ疾駆する本代もとしろダクトが見えたため、問題一覧から除外してしまっても構わないだろう。私が気に掛けるべきは、他にある。ミンクスのことはダクトに一任しよう。さもなくば、私の命が持たない。


 後ろの隊員たちは、四方八方より訪れる暴れ馬の突進に陣形を食い破られかかっていた。新たな死者こそ出ていないようだが、膝をつく者、倒れる者に、嘔吐する者。事態を好転させられるような人材が、全くもって足りていない。


 ――考えろ。


 この状況を一気に好転させられるジョーカーを。……いや、ジョーカーにならなければならないのだ。魔法使いでも、死神でもいいが、絶対的な力、もしくは奇策を以てして。


 ――スカーヒップだ。


 直感的に、そう思った。


 群れの中でも一際大きく、戦闘に関しても抜群のセンスを誇ると思われるあの個体を、まず殺すべきだ。そうして、獣どもの士気を下げる。

 目標を定めると、自分を殺そうとスカーヒップが他を押しのけて挑んでくることこそが、天からの贈り物のようにまで感じられた。

 攻撃を放った後のことは気にしても仕方がない。それで周りからの攻撃が止まなければ、私の目がその程度のものだったというだけのこと。


 再度頭を振って――今度は恐らく刀を真っ二つにするつもりで――迫りくるスカーヒップの前で、必殺の一撃を溜め始める。刀を鞘に納めながら、体勢を極端に低くする。


 鞘の中から僅かに、が漏れたことに……気づく者はいなかっただろう。


 空を切った角。スカーヒップは、最後に何を思う。


 ――味を占めたのか?


 その学習能力が、身を滅ぼすことになる。


 奴の巨体から繰り出される角は、丁度こちらの頭を狙い澄ますことができる驚異ではあるが、同時に弱点でもある。


 相手が身を投げ出すかのように懐に飛び込めば、掠りもしないのだから。目の前に現れた、私を貫くために伸ばされた首。まるで斬ってくださいと言っているようなものではないか?


 近くに寄ると、強烈な臭気が鼻を突く。こちらも中々の凶器だ。長い間歯磨きをしていないのだろう。これからそこに体液の匂いまで加わるとは……。そんなことを思いながら、抜刀。


 摩擦熱とによって威力を増した必殺の一撃が、スカーヒップの首を容易く……容易くは無い。なんとか落とした。全く吹き飛ばなかった。むしろその場にごろりと転がった巨大な首は、横に退避しようとしている私の背中に当たって、跳ね返った。中々の衝撃だった。


 よろめきつつ、降りしきる鮮血を避けるように左手と両腕で這い進むと、周囲の暴れ馬が動きを止めていた。上手くいったのだろうか。


 ――やはり、スカーヒップは群れのリーダー格だったようだ。


 ステージ周りの隊員たちを襲っていた、または威嚇していた大小様々な暴れ馬たちは、一斉に嘶きながら≪黒の牢獄≫へ向かって走り出した。どういうことだ。あの≪黒の牢獄≫の入り口は見せかけに過ぎない。地下まで降りようとも、何もないただの空の牢屋と罠だけが用意された、デコイに過ぎないというのに。


 隊員たちのもとへ戻ると、後ろから背中をバシッと叩かれる。確認するまでもなく、その勢いのまま私の前に出た少年――本代ダクトは、身体にも顔にも鮮血を浴びていた。それが彼自身が流したものではないと断言できるのは、この少年への信頼故か。にやりと笑うダクトの横で、青ざめた顔のミンクスが荒い息を吐いている。今にも泣きだしそうだ。


 ダクトが大口を開けた。


「見てたろお前らぁっ! 俺たちならあのクソ馬に勝てるって証明されたぜ!!」


 その発言に、隊員たちがワッと沸く。この少年の求心力も中々のものだ。浮世離れした実力を持つ割に、一般兵の思考回路をよく推し量れていると思う。さすが、本代の本家に捨てられた後、泥水を啜りながら生きてきただけのことはある。思考にも身にまとう雰囲気にも、嫌な貴族らしさがない。


 しかし、その熱気に乗せられず、「でも……」と言う声が集団から漏れでたのを、私だけは逃してはいけない。


 暴れ馬は一旦距離を取っただけであり、未だに大きすぎる驚異だ。この状況で安心しきるのはむしろ悪手、現実逃避とも言えるだろう。自分と似た考えを持つのかもしれない、否定的な響きの発生元を探し出す。


「今のは……ヘイディ?」


 私が声を掛けると、周囲は水を打ったように静かになった。物資発注を担当する女性は、おずおずと喋り出す。


「は、はい! あ、あの、敵……敵がいるんです!」


 それは確かに、敵なら沢山いるだろう。暴れ馬が湯水のように。

 当然ヘイディが言いたいのはそういう意味ではないだろうと分かっているので、目線で続きを促すと、「奴らは暴れ馬に乗って来たんです!」と。なるほど。


 ――そういうことか。


 小さい暴れ馬に付いている鞍には、やはり何者かが騎乗していたのだ。


「そ、そうだ、灰色と白の鎧を着た奴ら、俺も見ました!」

「いたわ!」

「帯剣していました!」

「槍を担いでいる奴もいたぞ!」


 次々に名乗りを上げる者達。


 やはり、最初に喜びのムードに水を差す勇気を見い出したヘイディの功績は大きいだろう。時間はいつだって有限だし、戦闘時は特に惜しい。


「その連中は、≪黒の牢獄≫に入っていったんです!」

「……なるほど。暴れ馬たちは、飼い主の庇護を求めてあそこへ集まった……ということですか」


 凄腕の槍兵が暴れ馬に騎乗したとなれば正直、かなり厳しい。暴れ馬だけでも、安心して相手を任せられる者は限られるというのに。


「その連中が来る前に、馬だけでも片付けちまいたいとこだよなぁ?」


 ダクトがそう言いながらこちらを見る。その両手は強く打ち合わされている。

 全く、君は本当に……いつでもやる気に満ち溢れているな。それに頷き返すと、「っしゃらっ!」早くもダクトは暴れ馬が密集する≪黒の牢獄≫前へと走り出してしまう。若干呆れつつも、後に続く。


 足音は自分一人では無かった。複数の追従する動きを見せる足音の主を確認すると、一人は大柄な青年。四番隊の≪タイショー≫が「俺が防ぎます」と、背負っている大盾を後ろ手に叩いて豪語した。


 私が盾役を欲していることに気づく隊員がいたのは僥倖ぎょうこう。「助かります」と答え、もう一人に目をやる。そこには同じく四番隊の≪平等院びょうどういん≫。彼は腰にぶら下げたロングソードを示して何か宣言することも無く、「はぁ~……大生おおぶが行くなら、俺も行かない訳にはいかないっつうか」と意地を語った。


 はい。あまりあなたの実力には期待していませんが。「よろしくお願いします」そう声を掛けるとパッと顔を輝かせた平等院に、それ以上構うことは無い。今度はこちらから仕掛ける相手を……暴れ馬を真っ直ぐに見据える。


 前方でダクトが暴れ馬の背中を踏みつけて、暴れ馬から暴れ馬へ飛び移り続け、連中を翻弄している。いい動きだ。これなら、容易く食い破れる。


 ――そう、思っていたのだが。


 空中にいるダクトに、突き刺さるように飛来した物質。それが何なのか、視認することができなかった。


「――ぐおッ!?」


 ただ、ダクトが弾き飛ばされたことだけを確認して、まずい、と思った。


 走り寄って、反射的にダクトの前に滑り込みつつ刀に手を掛けるが、何をやっているのだ、私は。これでは防げない。頭では解っていたはず。瞬く間に視界を埋める、黒い巨体。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」それを更に覆い隠す、紺色の盾。「があああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 大生がその身を差し込むように……背中の盾を降ろす暇も無く、まるで落下してきた天井を支える巨人の物語のような格好で、後ろ向きに暴れ馬の超重量に耐えていた。


「こんっちくしょう!」


 平等院が盾の上に重なり揺れる頭をロングソードで斬りつけようとするが、生憎そこは角が邪魔をしていて、一番ダメージを与えづらい箇所だ。


「――なんでだ!?」


 学がないな、平等院には……物事の本質を見極める能力が養われていない。生物には往々にして特に固い、装甲の役割を持つ部位があるものだ。それがない部分を狙うということが、なぜダクトと共に行動することがあっても沁みついていないのか……。


 考えろ。上が駄目なのであればむしろ逆、下はどうか、と。


 再びしゃがんで、盾の向こうにそびえ立つ二本の柱を見据える。後ろ脚だ。不安定な体勢ながら居合いを放つと、胴体から切り離すことはできずとも、バランスを崩して暴れ馬が倒れる。ようやく超重量から解放された大生がフゥと一息吐くが、「そんな余裕はありません!」と一喝してやると、すぐに真剣な表情に戻る。


 敵軍の真っただ中にいることを忘れないで欲しい。

 後ろに倒れていたダクトに目をやると、幸いにも軽傷なようで、もうすでに起き上がったところだった。


「何か……ぶつかってきた物質は消えたっぽいな……まるで空気に溶けるみてぇ、に……?」


 それが何を意味するのか解らぬままに、私たちは声を聴く。


「おいおい、ファーストアタックはジェノかよ~」


 この場に不釣り合いなほど能天気な、若い男の声。


「……ナイドが既に何人か殺しています。初撃というなら、そちらでしょう」


 そして、外見の割に大人びた調子、そうでありながら不気味にひび割れたような声。


 雷が、一際大きく音を立てる。天より眺める何者かが、邪悪な笑い声を上げたかのようだった。


≪黒の牢獄≫の暗がりから現れた、人の姿をした“それら”に、あらゆる人間は……そして私も、言い知れぬ不安を感じた。

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