第40話 警報Ⅱ

 ◆レンドウ◆


 ――≪ヴァリアー≫地下三階、訓練場。


 地下訓練場は、地下二階と地下三階の空間を丸々ブチ抜いて造られたような、異様な施設だった。


 直径百メートルはありそうな円形の床に立ち、上を見上げる。天井に向けて半円が収束するような形状、……分かりやすく言うならば、ドーム状の空間だ。


 上の階は隅の方こそ堅牢な石造りだが、ある程度中央に寄ったあたりから、床がガラス張りに作られている。床と言っても、今の俺からすれば天井なんだがな。……強度大丈夫かよ。上に人が立ちすぎたら、いきなり割れて俺の上に落ちてくるんじゃないのか。百人乗っても大丈夫?


『準備はよろしいですか?』


 アドラスの声が聴こえる。少しこもったようなその音声は、肉声ではないことが容易に分かる。部屋の隅にあるいくつかある、スピーカーから聴こえてきたようだ。原理は分からないが、離れた場所に声を届けたり、元の声よりも大きくしたりすることができる、便利な機械らしい。


 観客席の方を見ると、手にマイク(で、いいんだっけ)を持ったアドラスが見える。が、そこでげんなりする。いや、副局長がここにいるのは当たり前だけどさ。


 ――その隣に、いや、


 ピーア。副局長の隣に腰掛けて、昨日言っていた通り俺の見物に来たらしい。誰かを手招きしていると思ったら、それはヒガサだった。凄く眠そうだ。昨日あれだけ飲めばなァ。まさか自分が自室までワープして帰ったとは思っちゃいないだろうが、どう思ってるんだろう、そこら辺。


 偉そう(素行が、ではなくヴァリアーの三階に部屋を持つ連中だから多分偉いのかなって思ってるだけだ)な三人から少し離れた後ろの席にまとまって座るは、リバイアにカーリー、それにあまり見覚えのない三人組。全員水色の髪をした子供だ。少年が二人に、少女が一人。とりあえずポピュラーお子様三人衆と呼ぼう。たまたま近くに座っているとかではなく、番外隊の面々とポピュラーお子様三人衆は談笑している。なんだ、俺以外とも多少は交流し始めてんのか、≪黒バニー≫。たぶん緊張してはいるんだろうけど。


 で、俺のげんなりの一番の理由は、それを遠巻きにして観客席の隅っこに腰掛けたり、いつでも退室できるポジション――入口周りだ――にたむろしている、見たことのない(気がする)その他大勢どもだ。


 お前ら昨日も似たようなイベントあったろ。てか自分たちも参加してたし、充分楽しんだだろう。何、そんなに吸血鬼が気になんの? 魔法が見たいの?


 だったら今日に限らず、いつでもいいから廊下で直接話しかけてこいよ。

 なんで集団心理に守られてる時だけ、そんな調子に乗っちゃうのよ。


 どうせ俺がなんかしらのミスをするシーンを笑いたいだけなんだろう……などと邪推してしまう己を戒めるため、軽く平手で頬を打つ。


「――俺は、準備いいけど」


 言って、向かいに立つ相手を見る。


「僕も大丈夫です」


 そう真剣な眼差しでアドラスの方を見上げ両手で丸を作ったのは、無統治王国アラロマフ・ドール……治安維持組織≪ヴァリアー≫所属……魔物対策班……番外隊A隊員の≪レイス≫。肩書きクソ長ェな。


 いつでも真面目に事に当たれるのは、まぁこいつの長所なんだろうが。俺はと言えば、「え、実戦でもないのに、そんないきなりテンション上がらんわ」ってのが正直なところだ。命のやり取りをするワケでもねェし。というか、こいつを殺せる方法が思いつかない現状、俺は相手を傷つけることが心配で逆に力が出せないよぅ……なんてこともない。ただひたすらに、虚無だ。


 ……さすが、俺サマの上司ってだけのことはあるか。無能上司よりはよっぽどいい。そう、こいつはいつも柔らかい雰囲気を浮かべ、女にも見紛うカワイイ面をしてやがるくせに、戦場に出れば毎回、謎の功績を上げやがる。


 魔人を口だけで説得することもあるし、上層部からの信頼も無駄に厚い、コミュニケーションマスターと言うべき存在なのだ。なんか納得いかないような気もするが、お手本にしなければならないところが多分あるんだろうな、とも最近思う。


 ちなみに、俺は番外隊C隊員である。いや、無能だからCって訳じゃなくて、入りたての者は皆そうなのだ。当然、カーリーもそうだ。


 A隊員は唯一無二のリーダーなので小隊に一人きり。B隊員はA隊員を補佐することができると評価された素行の良い隊員……だったかな。確か規約ではそんな感じだった。うちではリバイアがそれにあたる。場合によっては複数人がB隊員に昇格する、ということだ。人間たちの組織である傭兵ギルドや冒険者ギルドにもAだのBだのといったランク付けシステムがあるらしいが、それらは果たして似通っているのかどうか。


 とりあえず俺の印象としては、「Cランクってクソしょぼそうだよな……」なんだが。


 レイスがあてがわれたことから予想は付いていたが、どうやら副局長アドラスを始めとする≪ヴァリアー≫の連中は、俺の“魔法”をご所望らしい。逆に言えば、俺の身体能力の披露は大して期待されていないとも言えるか。


『それでは、始めとします』


 何をだよ、と言ってやってもいいんだけど、せっかくふわっとした具体性の無い指示でいてくれるなら、、責めてくれるなよ?


 ――地面を蹴って、瞬時に前へと跳びだしていく。


 どうしよっか? とでも言おうとしたのか、口を開けたレイスに肉迫する。俺の心の内を全て読めた訳ではないだろうが、「うげっ」といった様子でレイスは後退する。その顔に浮かぶは、呆れ。恐怖ではない。なら、大丈夫だろう。


 というか、こいつを恐れさせてみたいぜ、ったく。


 レイスの目の前まで到着した瞬間、ズダンッ!! とわざと音を立てるように跳躍。奴は俺の本気度合いが分からず、一応警戒してガードの姿勢を取る。


 違う違う、俺はお前をいたぶるのが目的じゃない。


 レイスの頭上を通り過ぎて、しかし空中で緩やかに横回転。背中を見据える形で着地する。そこから再度跳びかかり、レイスに後ろからしがみ付くように腕を回して、一瞬静止する。レイスは振り返ろうとするも、間に合わない。間に合わさせない。左手は奴の口をふさぎ、右手は腰を掴んだ。


「――ほらよ、一回」


 静かにそう宣言すると、観客席からどよめきが走る。まだまだ、俺を肯定する響きじゃない。こんなんじゃダメだ。レイスをやさしく突き飛ばして、開放してやる。


「ちょっ、レンドウ……きみ……」


 突き飛ばされた衝撃で転びそうになりながらも、なんとか立ち直ってこちらに向かい直るレイス。


 ……お前も、そんなもんじゃねェだろ。の真に集中したお前だったら、余裕で振り返って対処できていたハズだ。さっさと頭を覚醒させな。


 それ以上、考える時間はやらねェ。


「第二ラウンド、行くぜ?」


 レイスにだけ聴こえれば、それでいい。


 今度は早歩きで向かっていく。慌てた様子だったレイスだが、自分の右こぶしで後頭部をコツコツすると、先ほどより気合の入った目でこちらを見据えた。“魔法”をプレゼンするために力の引き出し役をすればいいや……なんて、そんな甘い考えだったんだろ。お前はマジメだが、には中々ならない。そういうことだ。


 俺にのが嫌なら……イライラするなら、自尊心を守るために戦え!


 軽く突き出された小手調べのようなパンチを躱したついでに、その右手を掴んで引き寄せる。「うおっとっとっと……ぐぇっ」目をぱちくりさせながらマヌケな声を上げるレイスをそのままに、俺は身を翻しながら腕を伸ばす。そうすると、華奢な体は仰向けに地面に突っ伏した。


「――これで二回だな」


 これが普通の戦いであれば……追い打ちを掛けさえすれば、もう二回は殺せている。相手が不死身でなければだが……。


 地面に倒れ伏すレイスだが、外傷はこれといってないだろう。そんなに力いっぱい投げつけてるワケじゃないし。バランスを崩して転ばせているだけだから、誰がやっても同じというか、俺の力と言うよりは、重力で攻撃しているつもりだ。


 その為か……がばっ、バッ……と、まずはうつ伏せ状態から四つんばいでしゃがんだ状態へ、そこから更に距離を取るように跳躍しながら姿勢を起こす、と僅か二つの工程で起き上がったレイスは、すぐさま俺に向けて猛攻を仕掛けてくる。


 ――いや、その程度じゃ猛攻とは呼べない。


 右から、左から。時には足から繰り出される攻撃は、どれも予備動作で感知できる程度のもの。腕の横で払ってやれば、どれも難なく無かったことにしてやれる。むしろ力んでおけば突っ立ってるだけでも無かったことにできるまである。その場合、無かったことにする努力すらしていないので、もう何も書くこと無かった、が正しい。文章で説明するとか言った割には白紙で提出、みたいな。


 攻撃の間隙を縫って左手を伸ばし、額にデコピンをくれてやる。「うばっ」と言いながら、レイスはくらくらしたように数歩後ずさる。


 ――ちょっとだけ中指が痛かった。


 デコピンなら手加減する必要もなかろうと、利き手ではないとはいえ容赦なく放った一撃こそが……情けない話だが、俺自身を痛める最初の一撃となった。


 ……つまり自滅した。


 左手の中指を擦りながら相手を眺める。ふーっ、ふーっ。指を息で冷やしてみる。どちらかと言えば、こんなものは“痛がってますアピール”に過ぎないのだが。


 なんとなく、レイスがぶっ倒れていないのに「はい、三回目」と宣言するのも気が引けた。いや、さっきふらついてる時に追撃すれば倒せただろうけど。


 何度目か、レイスとなんとなく距離が空いたのを機に、それとなく観客席を見渡してみると、あれよと言う間に観客は減っていた。


 元々、そんなに興味が無かった連中だろう。今まさに帰ろうとしている奴も見える。そいつらに対して、怒りも、ましてや好感なんて抱かない。ただ……ああ、飽きたなら帰ってどうぞ。……それだけだ。


 ククク、「なんだこいつ、真面目にやる気無いんじゃねーか、期待して損した……」と思わせて立ち去ってもらおう作戦……は大成功だ。


 ――そうして、元々対して興味も無かった奴らが去り、観客席にいるのが十数名程度の物好きに限られると。


 じゃあそろそろ、満を持してかな、と思うのだ。

 身体能力自慢もしたいけど、きちんと望まれた仕事もするさ。


 ただ、これを出そうとするとき、俺は珍しく緊張するんだよな。結構。その日初めて出そうとする場合は、特に。


 灰色の床を見つめる。そこに写る、自らの影を。


「フゥーーーーッ……」


 目を瞑って、集中。

 両手を胸の前で合わせて、気合を入れる。


 軽く打ち鳴らしたそれらを思いっきり広げ、胸も反らせながら、息とともに言わば“我らが魂”の気を両腕へと集めていく。


 目を見開いて、軽くそれらを目の前で振ると、それに付随するように黒いが現れた。


 これこそが緋翼ひよくだ。我らが吸血鬼に与えられた祝福。そう教わったものだ。誰でもこんな風に扱えるワケじゃない。里でも特に才能があると言われた者しか、自在に振るうことはできなかった。


「ここまで自由に出せるのは俺くらいなんだぜ……なんて」


 誰にも伝わらねェよな、言っても。


 それと鬼ごっこをしても仕方ないと思っているのか、自分に与えられた役割を果たそうとしているのか、レイスは逃げようとする様子を見せない。


 しかし、身体から白い光を生み出すわけでもない。どうやらレイスは、あの力を自在に生み出せるわけではないらしい。あの日、俺の緋翼を掻き消し、再生を封じたあの力を。


 そこら辺、緋翼を上手く扱えない多くの吸血鬼とレイスは似ているんだよな。能動的に力を使うことはできずとも、命の危機に立ち上る色つきの力が自らの傷を癒し、また害意を示すものを浸食し、己が糧にせんとする。


 歩み寄って右手を差し出すと、レイスは多少面喰ったようだが(そりゃ一方的に弄ばれた後じゃなァ……)、同じく右手を出して、握り返してきた。俺が何か罠を仕掛けているなんて、想像もしていないみたいに無防備だ。むかつくな。


 すると、俺の手を包む緋翼が膨張し、レイスの腕へと渡っていく。特にそれがレイスに苦痛を与えている訳ではないようだが、内心いい心地はしないだろう。黒いモヤモヤが身体を這ってくるのは、不気味だと思うのが人間社会の価値観だろうよ。


『レイスさん、大丈夫ですか!?』


 アドラスの声が聴こえるはずのスピーカーからリバイアの声がして、二人で苦笑いを浮かべる。


「愛されてんなァ」

「おかげさまで……」


 てへへ、とレイスは左手で頬を掻いた。


「――大丈夫だってよ!!」


 天井を向いて大声で叫び返してやる。あれ? これってどっちに向かってしゃべるのが、二階にいる奴に声を届けるのに一番効率がいいんだろう。


『なんでレンドウさんが言うん――』


 ぶすーっとした調子の声が再度聴こえてくるも、どうやらそれには続きがあったよう。途中で途切させられてしまったらしい。副局長とその囲いがリバイアを諌める場面が見えた。


「あっ、レンドウ」


 驚いたようなレイスの声に奴の方を向くと、状況は僅かに変化していた。

 レイスの右腕が白い光を放ち始めて、それが徐々にではあるが……俺の緋翼を飲み込み始めたのだ。


「うわー、でたよそれ……」


 忌々しいそれを見つめ、俺は否応無しにあの日を思い出す。そんな俺にまあまあ、と言ったレイスが、「大丈夫? 痛くない?」と尋ねてくる。


 そりゃ、お前がさっき痛くないって言ってた現象と同じに見えるしな。これで俺が大げさに痛がったりして見せたら、果たして何人がそれを信じるだろうか。


 レイスの腕を発祥の地としたそれは、最早俺の拳を包み始めていた。黒いオーラは押されて掻き消え、白いオーラが俺の腕を這う。


「痛みは全くないな。勿論……今は吸血鬼としての治癒能力が失われてるんだろうが」


 結局のところ、レイスのこの力だけでは俺に勝利することは不可能なのだ。吸血鬼の回復能力を阻止する力、そしてそれに加えて吸血鬼の身体能力を凌駕する物理的な力が無ければ、あの日の奇跡は起り得ない。


 そういう意味では、≪ヴァリアー≫はやはり凄い。レイスという再現不可能な謎の力の持ち主に加え、本代もとしろダクトという驚異の戦闘能力を持つ人間まで備えていやがる。


 勿論、俺が戦ったのはその二人だけではない。副局長アドラスもそうだし、俺の身体をまさぐった研究員、道中のモンスター、あのガキだってそうだ。少し前に浴びたリバイアのビリビリから、全ての怪我、後遺症を引きずっていたところで治癒の力を奪われた結果、俺は倒れたのだ。


「――す・ば・ら……しい!!」


 突如として、俺達の耳を貫かんと放たれたその悲鳴のような高さの声に、俺とレイスは同時に振りむく。仲良く手は繋いだまま。 


 それは、同じ階層から放たれた肉声だった。いつの間にか地下三階に降りてきていて、今まさに俺たちへ迫らんと……銀髪を猛然と振り乱して迫り来るのは、魔物研究班一番隊チーフ、ティス女史じょしだ。


 興奮しすぎて縁無しメガネが吹っ飛んで、後ろに控えていた助手がそれを割るまいと飛びついた。助手ってか……ダクトだった。


 結構頻繁にティスに小間使いを命じられてるっぽいけど、何か弱みでも握られてんのか?


 ティスはまくし立てるようにぶつぶつ言いながら、俺とレイスの力のぶつかり合い(両者突っ立ってるだけ)を興味深そうに眺める。


「ダクト、例のものを」


 小間使いにそう指示しながらも、ティスの鼻息は荒い。俺とレイスの腕に触れたくて仕方が無さそうだ。いやそんな、有名人じゃないんだから……いややっぱ有名人だったかも。


 直接手で触れれば危険だということは、なんとなく分かってくれているようだ。腐っても、さすがは研究者と言うことか。


「はいよ」


 そう言ってダクトが差し出すのは、二本の木刀。それを握手を解いた俺たちが掴むと、ダクトは素早く手を放した。ナイス判断。木刀までも、光が、または影が包み込み始めた。


「レイスが力を発現した時の目撃情報を聞いたのだがな」


 ティスが腕を振り回して熱弁する。


「お前たちの力は、どうも自らの背中や手元など、ある程度決まった場所に集中して固まる習性を持っているようでな。しかしそれも、何かを掴めば……それを支配しようとするかのようにそちらへと立ち上る。だからレイスは勿論、レンドウにも色々な物に干渉して欲しいと思っていてだな」


 確かに、この力が足を通して地面をフニャフニャにしてしまったことはないし、俺の全身が黒く染まって、自分で自分の視界を塞いじまった経験もない。


 脳裏に、≪黒の牢獄≫にて俺の脇腹を貫いた時、レイスが手に持っていたものを思う。確か、棒状のものを携えていたんだ。それが、白い光に包まれていた。


 どちらともなく、木刀だったものを……今は片や漆黒に、片や純白に染め上げられた木刀を、コツンと合わせる。いや、音は無かった。もやっと、もしくはずぶりと。


 木刀の表面をなでるような、霧状の物質が干渉する。


 そして、しばらく両者はせめぎ合うかと思われていたが……一瞬目を離した程度の隙に、純白が漆黒を染め上げてしまった。「オワッ――、」再び俺の手元まで伸びた光に驚いて、木刀を取り落す。


 音も立てずに床から跳ね返った木刀は半回転しながら跳躍し、しかし宙にいる間に白い光を霧散させて、今度ばかりは小さく音を立てて転がった。


「うーむ、この様子ではやはり……」


 ティスが考え込むような動作をした時だった。いや、解るよ大体。言わんとすることは。


 要するに、レイスの純白の光は、俺の緋翼よりも――、

 そこまで考えた時、俺の思考を塗りつぶすように……けたたましい音が鳴り響いた。


「こ――――――――っ――――――――!!」


 レイスが何事かを叫んでいるが、轟音にかき消されてよく聴こえなかった。


 ――聞き覚えのある音だ。


 ティスと言えども、この轟音を前にはさすがに思考とマシンガントークを止めざるを得ないか。


 ダクトがそんな彼女にメガネを渡す。今更か。まぁ、話を中断させて渡してたら、後でどんな嫌がらせをされるか分かったもんじゃないしな。


 俺は上を……アドラスの方を見る。しかし、そこには既にアドラスとピーアの姿は無かった。


 ……やがて轟音が鳴りやむと、レイスがいの一番に言った。


「だから無駄なんだって、会話できないほどの音量の警報はっ! あと長すぎだし!」


 ――それか。ずっとそれが言いたかったのか。てか、言ってたのか。聴こえなかっただけで。


「黒の牢獄の周りを、誰か踏んだな」


 とダクトが言った。


「どうして分かんだ?」

「警報のジリリンが違うんだよ。今のは二号警報。一号警報は本館に異変が起こった時に鳴る」

「……そうか、ジリリンが違うのか……」


 表現が稚拙で、思わずオウム返しにしてしまう。なに、ジリリンがシャラランにでもなんのかよ。それ表現の問題じゃね。バウバウ、ワンワン! コケコッコー、クックドゥードゥルドゥー!!


「とにかく、俺は様子を見てくる」

「まぁ、荒事なら文句なしに役に立つだろうな」


 ダクトの強さは俺も……俺だからこそよく知っている。ここは俺のような問題児よりも、勝手知ったるダクトの方が個人行動には向いているだろう。人間に首輪を付けられた魔人である俺に与えられた(許された)仕事の内容は……今日ここで、演習をすることだけなのだから。


 足早に駆けていくダクトを見送る。俺に命令できる権限を持っている野郎に目を向けると、しかし彼はまだ答えが出ない様子で、「放送が入るまで、僕らはここで待機しよう」と言った。その頬には冷や汗が流れている。


 自分の判断が正しかったのか、それは答えが出る時まで決して解らない。

 そうだよな。


 俺にできることと言えば、従うことだけ。


「……了解」


 壁に掛けられた時計を見れば、時刻は午前七時半を示していた。そろそろ、地下一階で市場が開く頃だが……。


 俺たちの不安な気持ちを一顧だにせず、血塗られた瞬間は刻一刻と迫っていた……。

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