ヤイヤイガ蚕化計画(5)

「うぎゃああああああああっ!?」


 ――森の中に、アンナの絶叫が響き渡った。


 突如として木々の合間より粘着糸が飛来し、あいつのジャージの背中をベッタベタに染め上げたんだ。


「――止まって。下手に動かないで……かなり離れた場所から撃たれたみたいだね。行きにはこんなことはなかったのに……どういうことだろう」


 ヒガサが周囲を警戒しつつ、アンナの背中を守るようにビニール傘を構えながら言った。


 レイスには思い至るものがあったようで、


「多くの昆虫の生態と照らし合わせて考えると……警戒フェロモンのようなものが作用しているんでしょうか」


 フェロモン……同種の生物の本能に訴えかけ、特定の行動を誘発する物質……みたいなやつだよな。


 クーラーボックス自体が成虫たちによって何らかのフェロモンを振りかけられたのか、それとも卵になにか秘密があるのか。帰り道においては、行く先々で幼虫が親の仇のように粘着糸を吐きかけてくるようになった。こちらが幼虫の位置に気づくよりも前に、唐突に長距離狙撃が飛んでくるという感じなので、普通に怖い。


 仮にフェロモンを振りかけられたのだとすれば、先ほど成虫の嵐に揉みくちゃにされた俺が一番狙われそうな気がするので、恐らく違う。狙われているのは主にクーラーボックスを運んでいるアンナとイオナだ。となると、卵の方に何かがあると考えた方が自然だろう。それにしても、クーラーボックスの蓋はしっかり閉め切っているというのに、そこから何が漏れ出ているというのか。それに加え、そもそも意志を持っているワケでもない卵が自発的にフェロモン(?)を分泌するのも不思議な気がするが、まァそこは摩訶不思議な特性を持つモンスターってことで、今は納得するしかないか。


「うぎゃーっ!! このままじゃ「糸まみれの美少女がエロすぎるわら」って掲示板に書き込まれるー!!」


 森を出られるまであと半分といったところで、既にアンナのほぼ全身が粘着糸に染め上げられていた。イオナも同様だ。こちらは姉と違い、気味の悪い糸が命中しても叫んだりはしないが。


 ――いや、誰がなんでそんなことをわざわざ掲示板に書くんだよ。


 仮に百歩譲って糸まみれのアンナをエロいと思ったとして、だ。そんな自分の心情を赤裸々に皆が見るような場所に綴るワケねェだろ。変態アピールかよ。というか、どこにある掲示板の話?


 あと、「エロすぎるわら」の「わら」ってなんだ。デル人特有の語尾なのか……? などと考えながら、脱いだジャージの上着を盾のように広げてイオナに迫る粘着糸を防いでやる。上着の肩の部分をそれぞれ両手で握っているんだが、粘着糸の勢いが強いせいで……途中から下の方が捲れあがって、普通に喰らう。主に腹のあたりに何度も糸を受けてしまっているが……少女たちの顔面に当てさせてしまうよりはマシだろう。


 ううむ、デルは工業で発展した技術者たちの国だと聞いていたが、変態犯罪者予備群の巣窟でもあったのか。


「デルには、街中に自分の欲望を書き記す掲示板があんのか。そうやってストレスを発散することで、犯罪率が低下するみたいな話か……?」

「多分、レンドウ君はとんでもない勘違いをしているね。アンナが言っているのは、電脳掲示板……インターネットの話だと思うよ」

「インター……ネット……?」


 ヒガサに説明を受けても、全く理解できない。電脳掲示板? もいんたーねっとも分からん。


「蜘蛛の巣の話ですか?」


 リバイアも分かっていないらしい。俺だけが無知なワケじゃなくて良かったぜ。


 ヒガサは透明なビニール傘だけでは足りないと判断したのか、黒の日傘も広げて二刀流となってアンナとイオナを守る。四方八方から飛来する糸を防ぎきることは難しく、自分も少女たちも次々と被弾していくのだが……それでも、顔だけは全員無事だ。


「……はぁ……グロニクルさん」

「……お? おう、どうした」


 唐突にイオナに話しかけられ、反応が遅れてしまった。


「どうせもう全身糸まみれなんで……アンナを重点的に守ってやってください。私は糸が飛んできても、頭にだけは受けないように躱すくらいできるので」

「……マジ? あっオイ――」


 と、そこで丁度新たな粘着糸がイオナの後方より飛来する。

 そう言われた手前、守るために動くべきか判断に迷っていたら……イオナは首をグリンと左に傾け、本当に避けてしまった。糸は完全にまっすぐ飛んでくるわけではなく上下にたわみながら飛来するため、彼女の背中にはべったりと命中しているが……。


「……意外と動けるんだな」

「アンナと違って、丈夫で俊敏なので……」


 あと、陽気か陰気かも違うところだろ、と思ったが勿論口に出したりはしない。


「いや、ヒガサと俺が二人がかりでアンナだけを取り囲んだって、お互いが邪魔になるだけだろ。反対側からだって糸は飛んでくるワケだし、お前の方も外側からブロックした方が効率的なんだって」

「……そうかも、ですね」


 そこまで自己犠牲? の精神でいる必要もないと思うけどな。

 自分よりもアンナの無事の方が大切なんだろうなってのは伝わってきたけど。自分は体力的に秀でているが、技術者としての才能はアンナの方がずっと上だから……みたいな劣等感でもあるんだろうか。


 ――あァ、なんか里での生活を思い出すな。ゲイルとクレアは元気にしているだろうか。なァゲイル、俺は今、人間界で糸まみれになって頑張ってるぜ……。


 とまぁ、そんなこんなで全員が大なり小なり被害を受けながら、森の出口へと到着した。エイリアの住民による好奇の視線を受けながら、≪ヴァリアー≫へ続く大通りを糸まみれの一行は進む。


「は、はやく糸を。糸を落としたいです、先生……」


 先生ではないが、アンナの要望にヒガサが答える。


「着替えとシャワーだね」

「お願いします。この街って銭湯……大浴場みたいなのってあるんでしたっけ?」

「残念ながらないね。≪ヴァリアー≫の隊員の個室にあるシャワー室を貸すくらいしか……いや、そもそもデルの技術者たちに割り当てられた客室のシャワーの方が上等だったかも」

「あれで最高品質かぁ~……」

「じゃあ、特別に偉い人用の浴室を借りられるよう頼んでみようか。デル人のお客さんの為だって言えば、多分通るはず」

「本当ですか!? お願いしますっ!」


 どうやら、アンナは客室のシャワーに満足できていないらしい。デル人の衛生観念は高めなのか。工業の国と言うくらいだし、何十人も同時に入れるようなデカい風呂があるって話なんだろう、聴いてる限り。


 俺らの里はマグマ溜まりから生まれる地熱を利用できる位置にあったおかげで、簡単にお湯に入浴することが出来ていた。今思えば、あれも国によってはかなり贅沢な部類の生活だったんだろうな。その反面、シャワーは無かったが。


「先にお風呂に入るのは女子の特権! ――ってことでレンドウさんレイスさん、あとはお任せしたいところなんですがっ!」


≪ヴァリアー≫の門を通り抜け、本館の前でアンナがそう叫んだ。


 それは、クーラーボックスをお前らの客室に運んどけってことか……?


「うん、任せてよ」


 俺が何かを言う前に、レイスが安請け合いしてしまった。

 まァ、いいけど。女子が綺麗好きであることに文句はない。でも、んなこと言ったら俺だって綺麗好きだからな。早くこの汚れを落としたいって気持ちは同じようにあるんだ。


 大体、お前らの客室に届けるって……そこには他のデル人がいるんだろ?


 角つきの魔人レイスと吸血鬼の二人組で押しかけて、気絶されやしないだろうな。……まァ、一目で俺が人間じゃないと分かる奴はいないか。耳も髪で隠してるし。


「ごめん。あと、よろしく……」

「じゃあレイスさん、また後で!」


 カーリーとリバイア。あのリバイアすらも、今はレイスの傍にいることよりもシャワー室へ向かうことの方が先決らしい。いや、汚れた姿でレイスの前にいるのが嫌なのか。


「デル人の方々ならそれの扱いを間違えることはないだろうけど、一応クーラーボックスにヤイヤイガの卵が入っていることはきちんと説明しておいてくれるかな」

「分かりました」


 ヒガサにそう念押しされ、レイスが了承した。


 ――そうして、≪ヴァリアー≫の前には男二人だけが残された。


 いつもは魔人を恐る恐るといった様子で見てくる門番たちにも、今日は心なしか気の毒そうな目で見られている気がする。


「この糸まみれの姿で初対面のデル人に挨拶すんの……? 印象最悪だろ。森からやってきた化け物かよ。レイス、お前一人で……」

「それは心細すぎるって。うーん……案外、頑張った証として評価してもらえるかもしれないから、一緒に頑張って行こうよー……」

「――オイくっつくな! 糸のせいで……取れなくなるからッ、今はシャレになんねェ!!」


 ゾンビのように迫ってくるレイスに押し切られ、俺は客室が割り当てられたエリアへと向かうことになった……。

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