ヤイヤイガ蚕化計画(4)

 ◆レンドウ◆


 はぁ、幼虫を軽く捕まえて帰るだけのはずが、まさか森の奥地で成虫の猛攻を躱しながら、卵を求めて特攻することになるとはな……。


 まァ、物語でもこの手の作戦に最後までトラブルが起きないことなんてないしな。今からムーンベアがこの場に乱入して来ても俺は驚かないね。もっとも、ムーンベアが昆虫の肉を求めるとはとても思えないので、姿を現すことはまずないだろうが。あ、これフラグか?


「レイス、じゃあ……お前は少し後ろを付いてくる感じで」

「分かった」


 了承しつつ、レイスは火を灯した予備の松明を小さく掲げた。

 レイスがそれを持ってから、成虫による時折の突進はこいつには向かわなくなったが……これ以上巣に近づけばどうなるか分からない。


 死に物狂いで成虫どもに特攻を掛けられて、成虫の多くが焼死する可能性がある。更にはそこから大木に延焼したり、山火事に発展したりするのが最悪のケースと言えるだろう。


 俺は早歩きで一番の大木へと向かう。出来るだけ足音を立てないように、成虫どもを刺激しないように……と思ったのだが、頭上の羽音はとんでもないことになっている。ブウィィィィン……と、夥しい数の個体から奏でられる羽音の輪唱が、本能に「早く逃げろ」と訴えさせる。ミツバチの巣に近づいた時も、こういう音で威嚇された覚えがあるな。今は、その時よりもずっと耳が痛いが……。


 正直、なんでここまで熱心に人間のために頑張っているのかは分かんねェ。まァ、終わったあとにアンナから「レンドウさんのおかげで全部上手く行きました!」と先輩方や≪ヴァリアー≫の連中に噂を広めて貰うしかないな。俺の献身的な行動が伝われば、ちっとは≪ヴァリアー≫内での扱いも変わってくるかもしれない。


 俺が「別に木には触んねェから! あと少しだけ我慢しやがれ!」と念じながら、根本に体積した緑の葉を両腕で抱きかかえた時……頭上で擦りあわされていた羽音の大部分が一気に掻き消えた。のだ、と瞬間的に察した。


 右腕を自由にして、葉っぱを左腕だけで抱えながら後ろへと飛び退る。それなりの葉がボロボロと地面に零れ落ちたが、贅沢は言ってられない。しゃがみ込んでいた場所の頭部を狙うように、ヤイヤイガが流星群のように通り過ぎるところだった。それで終わるはずがないよな。


 俺の頭の周りはすぐに成虫の嵐に囲まれ、まともに見えなくなった。

 右腕を大きく使って、両目を肘の反対側あたりで守る。その後少しずつ拳の側を持ち上げ、左目の下半分で様子を見る。


「~~~~ッ!!」


 声を出したくない。マスクをしているとはいえ、多少なりとも毒の鱗粉が既に空気中に舞っているだろう。いや、結構舞ってるかも。大量のヤイヤイガ同士が触れ合って、その羽から紫色の鱗粉がまき散らされている。毒の鱗粉が剥がれると、やつらの羽は深い緑色をしているらしい。視界は悪いが、そのまま百八十度反転すれば、仲間たちの元へ戻れるはずだ。


「――駄目だレンドウっ、炎を避けてる様子がないっ!!」


 恐らく、俺にまとわりついたヤイヤイガたちを追い払おうとしたのだろうレイスの嘆き。


「じゃあお前は先に下がってろ!!」


 息を吸いたくないが、吐き出すだけなら……必要なら仕方ないか。次の呼吸までどれだけ持つか……そんなことを考える前に、俺もレイスに追従するように走る。……追従できてるよな? 何も見えないんだ。


 巣から離れたことで多少は攻撃性が薄れて来たのか、大股で十歩ほど走ったところで視界を取り戻せた。背後では未だに大量の羽音がひしめき合っているが……とにかく、一度大きく息を吸い込んだ。


 前を見れば、皆はもう少し奥まで避難していたようだ。目の前にはクーラーボックスが蓋を開けた状態で置かれていて、その傍らでレイスが松明を消す作業をしていた。丁度松明にフィットする大きさの、壺のようなものを炎の上から被せることで酸素の供給を断つらしい。


「その葉っぱを箱に入れて蓋を閉じてくださいっ! それで、一回離れましょうっ!」


 遠くから響く、アンナの声。なるほど確かに、それはいい考えな気がする。

 左腕に抱えていた葉っぱを雑にクーラーボックスの上でブチ撒ける。そのまま右手で蓋を叩いて勢いよく閉じたら、ロックは掛けずに走り去る。


「あ、あ、めちゃくちゃ付いてきちゃってますっ!」

「ちっ……わーったよ!!」


 リバイアが騒ぐので、俺は皆がいる場所では立ち止まらず、その奥まで走り続けた。百メートル……は盛ったかもしれないが、かなり走り続けたと思ったあたりで振り返ると、俺を猛追していた成虫たちの姿は既になかった。


「ハァ……フーッ……」


 本能的な危機感は感じていたが、実際この程度で息が切れることはない。途中からはちゃんと呼吸できてたしな。すぐに息を整えて仲間の元へ歩き出そうとしたところで、アンナに止められる。


「あ、いいですいいです、休んでてください! こっちで持っていきます!」


 なるほど、俺にばかり働かせないぞという姿勢は立派だな。

 俺の周りへと集まった一行。


「いやー、とんでもない虫の嵐でしたねー」

「想像以上だったね」


 アンナとヒガサの声を聴きながらも、その内容は全然頭に入ってこなかった。現状俺の頭の中を席巻しているのは、この努力が報われるのかどうか、徒労に終わるのではないかという心配だった。


「……で、ちゃんと卵が取れてたのかどうかだろ……」

「ほんとそれですね~……」


 アンナがクーラーボックスの蓋を開け、中身を検分していく。その顔がパッと明るくなったことで、ようやく俺は肩の力を抜くことができた。


「――ありますあります、めっちゃ入ってますよ!」

「ハァ、良かったぜ……」


 その場にしゃがみ込んで頭を押さえる。あのひしめく羽音は二度と聴きたくない。今回こそ絶対に養殖を成功させろよな。失敗したら……次もまた手伝えるか分かんねェぞ。いや、嫌がらせとかじゃない。マジでずっと聴いてたら精神がおかしくなるってアレ。


 蝶や蛾の類は、成虫になると水の類を飲むくらいで、固形物を摂取するあぎとを失うらしい。だからまだ、マシだった。ああやって取り囲んで来たのが蜂だったとしたら、顎も鋭いし毒針もあるしで、恐らく生きて帰ることは難しかっただろう。……そんな案件だったらそもそも協力してないけどな。


 まァ、まだ鱗粉の毒性がどんなもんか分かってないから、油断はしないけど。めちゃくちゃ吸い込んでしまったとは思わないが、少しは体内に入っちまってるよな。後で体調を崩してしまう可能性もあるだろう。


「レンドウ君、本当にお疲れ様。じゃあ、少し休憩したら、帰ろうか」

「おう……」


 ヒガサは俺を労いながら、懐から出したボトルで……湿らせたハンカチを差し出してくれた。レイスは「替えのマスクを持っていたはず……ちょっと待ってね」と言いながらポケットをまさぐっている。


 ヒガサからハンカチを受け取ろうと思ったら、先にカーリーが受け取っていた。


「じっとしてて」


 何をするのかと思えば、わざわざ俺の顔を拭いてくれるらしい。

 そんなに見るに堪えないくらい、俺の顔って鱗粉塗れなのか。紫色に染め上げられて、死にそうな顔色に見えてるとか?


「あ、あァ……」


 いや、体までは疲れてないし、そんくらい自分で出来るが……とも思ったが、女子に世話を焼いてもらえるのは気分の悪い話じゃない。黙って身を任せることにした。


 ここまでで、俺に降りかかる災難はほぼ終わっていた。

 が、家に帰るまでがミッションだってよく言うだろ。


 ――ここから先は、別なやつに苦難が降りかかる番だった……。

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