ヤイヤイガ蚕化計画(3)

 ◆カーリー◆


 朝方に出発してきたこともあり、森の奥へと進んだ今もある程度の明るさは太陽光によって確保されている。手に虫よけの松明を持ってはいるけど、それによって周囲が照らされているとはあまり感じない。この森は湿度も高く、青々とした木々が生い茂っているので、そう簡単に山火事になるようなことはないらしい。火の取り扱いについてはそう心配することはなかった。


 それよりも本能に訴えかけてくる不快感は、時折頭上を飛び交う影。

 ――ヤイヤイガの成虫だ。


 私は松明を手にしている当人なので直接攻撃は受けていないが、前方を行くレンドウとレイスは時折、「あっちへ行け」とばかりに低空飛行してきた成虫によって頭部への体当たりを受けている。今のところレンドウは避けれているが、レイスは何度もそれによって髪の毛を乱されていた。


「別に痛くはないけど、羽音が怖いね。パサパサパサパサー……って音が急激に迫ってくる感じが」


 とはレイスの感想だ。


 毒性があるという鱗粉を吸い込んでしまうことを避けるため、一行は使い捨てのマスクを身に着けてこの場所へと臨んだ。

 既に獣道以外には足の踏み場がないと言っても過言ではない。棘のある低木に傷を負わされないように、必要な際はレイスとレンドウがマチェットを使ってそれらを切り落としている。


 人間が治める先進国だろうと、森に棲む魔人たちの間であろうと、そんな風に木々を剪定して環境を調整するのは当たり前なのだという。私は森で暮らしたことがないから分からないけど、それらもある意味、既に自然の一部になってきているのだろうか。


 十分ほど森の奥地に向けて進むと……選りすぐりの大木によって陽が遮られた結果、周辺には背の低い草しか残れなかった地帯に至る。


「あった……あれだろ、この辺で一番デカいクワってやつ……おお、いるわいるわ……きめェ~……」

「とんでもなくグロテスクなことになってるね……」


 思わずといった様子で、レイスと顔を見合わせたレンドウ。

 正面には、大の大人が二十人束になっても敵わないほどに太い幹をした、ある意味ではこの森のヌシと言えるのかもしれない大木が鎮座していた。


 その枝にはぎっしりとヤイヤイガの成虫が止まって羽を休めていて……全部で二千匹は下らないだろう。いや、ひょっとすると……五千匹くらいは超えているかもしれない。この角度からでは見えていない個体群もいるだろうし。


 私たちが近づいてきたことを察してか、カサカサと音を立てているのは……羽をすり合わせているのだろうか。


 時折枝から飛び立ち、別の大木の枝へと移動する個体もいる。周辺を哨戒する動きなのかもしれない。彼らが守っている大木には、当然小さなサイズの幼虫がびっしりと張り付いていて……あまり長時間見つめていると、私も吐き気を催してしまうかもしれない。


 ヒガサさんが興味深げに、マスクに手を当てる。


「ほう、これは……大体のクワは三十から四十年で枯れるという話だけど、稀に樹齢千年を超えるような大物が生まれるんだよね……いや、生まれるというよりは、育つ……かな。この光景を見れば、一部の木だけがこうして立派に育つ理由がわかる気がする」

「木だけにってことですか?」


 アンナがダジャレを挟むと、ヒガサさんはふふっと笑んだ。本当に面白いと思っているのか、アンナのノリに合わせてあげているだけなのかは分からない。


「この一番大きな木もそうだけど……周囲の他の大木たちも、妙に葉っぱが多く残っていると思わないかい? こんなにおびただしい数の幼虫がいるにも関わらず、だ」

「もしかして……幼虫たちは、この大木たちが元気を失わないように葉を食べる量を調整してるってことですか?」


 レイスの答えに、ヒガサさんは頷いた。

 アンナがぱちんと指を鳴らす。


「そっか! 最初に最も小さなサイズのヤイコちゃんたちがあの大木で生まれて……少し葉を食べて大きくなったら、周りの大木に移り住む……これを繰り返しているんですね! そう考えて見てみれば、実際周りの木に行くごとにヤイコちゃんが大きくなってるのが分かります!」


 ……なるほど。ちっぽけな虫(大きいけど)に複雑な事象を考える脳みそがあるとは思っていないけれど、たまたまその環境に相応しい生態をしていた個体と、その子孫だけが生き残ってこれたのではないか……という“適者生存”論は私もなんとなく聞いた覚えがある。


「大木は自分たちのメシであると同時に、身を隠してくれる傘でもある。だからこいつらは、一つの場所で食いすぎないように散らばっていくってワケか。でも、それじゃあそもそもこの周辺にだけ大木が多い理由にはなってなくないか?」


 レンドウの疑問にも、ヒガサさんはすぐに口を開く。マスクのせいで口が開くのは見えないのだが。


「そうだね……哺乳類にも、自分の排泄物を一か所に集めることで木々の成長を促進させる種がいるんだ。このヤイヤイガたち……特に成虫になってからの個体が、わざとこのエリアで最期を迎えることで、沢山の栄養が大木に集約されるようにしているんじゃないかな」


 この人、こんなに学者然とした人だったんだ。美人で気立てもよく、裁縫が出来て、学まであるなんて持ちすぎではないだろうか。その上、≪ヴァリアー≫において魔人の監視役を担当しているということは、相当に戦える人物でもあるはずだ。実際に戦っているところを見たことはないけれど。


「自分の子孫だけじゃなくて周りの命も守るし、最後まで後世のために努力する……社会性のある昆虫だったんですね、ヤイヤイガ」

「アリとかハチもそんな感じでしたよね……って、どうしたんですかレンドウさん」


 レイスとリバイアが会話しているのを邪魔したくなかったのか、レンドウが無言で手を挙げていた。発言を許可されたと判断したのか、彼は右手の人差し指を立て、それを手首からくるくる回しながら喋り出す。


「いや、今思ったんだが。……十分なサイズになった幼虫は、それぞれ別の場所に移動してから蛹になる。……卵から生まれた幼虫は、小さいうちは成虫に守ってもらってる……ってことはだ。成虫の方は、何年も生き続けて子孫を守り続けてるってことにならねェか? ヤバくね?」


 世紀の大発見をしてしまった、くらいのテンション感のレンドウだったが、


「いや、越冬できる虫は結構いるよ? テントウムシとか……。確かに、チョウやガの成虫が越冬するのはかなり珍しいとは思うけど。普通は蛹で冬を越すものだからね」


 レイスにすげなく否定されてしまった。


「え、お前も虫マニアだったの?」

「いや、別にそう言う訳じゃないけど……まぁ、本は何でも広く読むように意識してるからかな」


 レイスはどうやら、だったらしい。


「コホン……幼虫は生態系においてかなり弱い立場でも、成虫に成れれば何年も生きれる。そうなれば繰り返し子孫を残せるから、絶滅せずに種が存続できている、という訳だろうね」


 ヒガサさんのよく通るが低めの声は、聴き心地がいいし、言ってることの説得力が三割増しになる。羨ましい。私もあまり声を張らなくても相手に届く声で生まれたかった。


「もうすぐ蛹になるまで育った幼虫よりも更に、成虫の方が価値が高いと言えますね。あまり傷つけないようにしないと……」


 レイスの言葉に、急に心配になってきた。


「……松明を振り回したら、成虫を焼き殺してしまう危険性はない……?」

「うーん、どうなんだろう。そもそも松明を持っている一行には近づいて来ないとかだといいんだけど」


 そう甘くは行かない気がする。


「先ほどからの話を統合すると……どう考えてもあの巨木が幼虫の発生源で、卵もそこに産み付けられてると思うんですよね。で、ここら辺一帯がヤイヤイガの巣であると考えると。……社会性のある昆虫って、巣の近くだと攻撃性が一気に増すんですよね~……問答無用で、死ぬ気で特攻してくると思いますね……」


 やはりというか、アンナがそう結論付けた。

 リバイアが目を凝らしてもよく見えない、という風に唸った。


「んー……卵はどこに産み付けられるものなんでしょう? あの木にあるんですよね?」


 レンドウが深くため息をついた。リバイアに呆れている訳ではないだろう。


「考えたくないから目を逸らしてたんだがな……上のほうに残ってる葉っぱの裏だ。小さいツブツブがびっしりだよ……」


 視力が良すぎるせいで、気分が悪くなるようなものまでしっかり見えてしまうのであれば、ある意味災難かもしれない。


「結局、それを持ち帰るのが最高率で、一番の目的だからね。なんとか達成したいところだけど……」


 これにはヒガサさんもすぐには答えが出てこないのか、思案顔で考えを整理する。


「近づけば成虫がひっきりなしに襲い掛かってくる可能性が非常に高い。その上、幹を埋め尽くす幼虫を潰さないように大木を上って、卵が産み付けられた葉っぱを回収して帰る……帰り道でどこまで成虫が追いかけてくるかも不明……か。ふむ、これらを全て解決できる手は、何かないかな……」


 彼女にも導き出せない答えをすぐに出せる人材は、おそらくこのメンバーには存在しないだろう。彼女も把握していない能力を持つ者がいれば話は変わってくるかもしれないが……少なくとも、私の“他人を眠らせる魔法”が活躍する機会はなさそうだった。


 アンナがうーんと唸ってから口を開く。


「んーと……空を飛べる能力者……はいないでしょうし、もしいたとしても空中で成虫たちに群がられたらきついですよね。あとは……温度を下げることで活性を下げて無力化する……これもやっぱり氷を用意できないし。夜なら今よりは気温が下がるだろうけど、蛾の活性はあんまり下がらない……というか、むしろ夜行性なので攻撃性は更に上がるかも……」

「そもそも、夜に森に入るのはなしかな。ヤイヤイガよりもムーンベアが脅威になってしまうから」


 分かってると思うけど一応、とヒガサさんが注釈を付け加えた。


「――はっ、俺サマがいれば熊の一匹や二匹や三匹、同時に掛かってきても相手じゃねェけどな」

「はいはいそこ、すぐにイキらない。全員を守りながら戦える訳じゃないでしょ。皆は君と違って夜の森じゃ何も見えないんだよ?」


 いい恰好をしようとしたレンドウを、即座にレイスがたしなめた。


「……ん? あ……もしかしたら、いいことを思いついたかもしれません」


 アンナが皆の注目を集めた。

 彼女は大木の根元を指差すと、


「あそこにはまだ緑色の葉っぱが沢山残ってますよね。ヤイヤイガの成虫がどういう基準で卵を産み付ける葉っぱを選ぶのかは分かりませんが……彼らの見立てがどうだったとして、何かの拍子にまだ生えたばかりの葉っぱが抜け落ちることなんていくらでもあるでしょうし……」

「……あの降り積もった葉っぱの中に、まだ生まれてない卵が引っ付いたままのがあるかもってことか?」

「そうそう、そういうことです!」


 レンドウが先んじて結論を言うと、アンナは嬉しそうに首肯した。


「まぁ、抜け落ちて時間が経っちゃってると、もう腐ってダメになっちゃってるかもしれませんけど。……あの木を登る方法を考えるよりは、根本の葉っぱをガサっと一気に持ち帰ってきて、あとで中身を確認する方が簡単なんじゃないかな~と……」

「なるほど、いい方法だ」


 ヒガサさんは、黒の日傘を透明なビニール傘を手にしていた左手に纏めて右手を自由にすると、アンナの頭を撫でた。


「えへへっ!」


 それにしても……私が思うのもなんだが、アンナの妹らしいイオナは本当に喋らない。今回の計画にもあまり興味がないのか、ただ黙々とクーラーボックスを運ぶだけの役割に従事して、固く口を閉じている。姉とは正反対な性格なのか。


「ある程度大きくなった幼虫が別の木に移るとき、地面に溜まった葉っぱの上を歩きますよね? その時は、食べないんでしょうか」


 そのリバイアの疑問に答えるのはレイスだった。


「それも、ある意味では社会性故なのかな。まだ葉っぱには生まれていない同族の卵がくっ付いてるって……本能で分かってるから食べないのかも? それか、単純に無防備な時間を減らして、早く次の木に移りたい、とか……」


 うん、それに関しては後者な気がする。幼虫が別の木々に移るシーンを見た訳じゃないけど、おそらくその時期を狙って群がってくる鳥なんかもいるのでは、と思う。


「よし、それじゃあ……」


 ヒガサが一行をまとめるように声を発した。


「特攻班の二人がダッシュして、降り積もった葉っぱを抱えて退却。中身の確認は後にして、クーラーボックスにそれを入れたら速やかに撤退を開始する……これでいこう。ある程度の間は怒った成虫が追いかけてくることは……覚悟しようか」


 レイスとレンドウは、どちらもしかめっ面に近い表情を浮かべた後、覚悟を決めたように頷いた。


「はい。――もしもの時は、レンドウがをまき散らして、一時的に成虫の動きを止められないかな? 離れて無事が確保出来たら、解除する感じで」

緋翼ひよくな。まァ、なんとかなんだろ……この力で何とかならなかったこと、殆どねェし……」


 そう言いながら、レンドウはレイスを恨めし気に見た。お前にだけは効かなかったよな、という意味らしい。レイスは微妙な顔であはは……と笑みを浮かべた。


 私は自分で見た訳ではないのでよく知らないけど、≪ヴァリアー≫周辺で繰り返されたレイスとレンドウによる戦いは、中々に壮大なものだったらしい。もっとも、レンドウともう一人を無力化できたのは、レイス以外にも優秀な隊員たちが参加したからこそだという話だけど。


「たまには……虫相手にぐらい、無双させてもらわねェとな」


 そう言うと、レンドウは両の拳を打ち合わせた。


 どうやら、最近のレンドウは負け続きで自信を喪失しかけているところがあるらしい。今日こそは周囲にいいところを見せようと、気合を入れているのかもしれない。


 ……特に気合を入れたりしなくても、いつでもかっこいいと思うけれど。

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