第一部 3章(吸血鬼登場編) -こんな日々が続くと思っていた-

第32話 それはありふれた朝だった

 ◆レンドウ◆


 ――おかしいぞ!


 目を開けるまでもなく、意識が覚醒した瞬間そう思った。だってここは俺の部屋で、俺が昨日きちんと戸締りをしてから布団に潜り込んだはずだからだ。


 ――だったらなんで、こんなにも俺は眩しさを感じてんだよ!?


≪ヴァリアー≫の地上部分の二階は、主に単身で暮らす戦闘員の個人部屋として割り当てられている。親を初めとして、配偶者など存在するワケもない俺は、二階の奥も奥、角部屋をあてがわれていた。


 六畳の城を手に入れた俺がまずしたことと言えば、窓に漆黒のカーテンを取り付けることだった。陽光を遮る、絶対の壁。心身の健康を保つため、必要不可欠だろ?


 それが開け放たれているのだ。そうでなければ、俺の瞼をこれほどの明るさがノックするはずがない。いいんだよ、そんなにせっついて俺を目覚めさせようとしなくても。


 最近、どんどん気温が高くなっていく。七月十三日。暦では晩夏と表現するらしいが……いや、まだまだ上がるんだろ、気温。じゃあ今が初夏なんじゃないの……? と思わなくもない。湿っぽい季節はあっという間に過ぎ去り、俺の苦手なむし暑さが万人を平等に襲っていく。いや、完全に平等ではないか。地下暮らしの一部の科学者どもは“最新鋭の科学”とやらの恩恵で、部屋に涼しい空気を送り込むことができているんだとか。なんだそれ羨ましい。俺にもよこせ。


 だが、その苦しい暑さも、今日ばかりはそれほどでもないのか……? 最近にしては珍しく、過ごしやすい気温と言うか。部屋に入ってくるもぬるまっこいというよりは、かろうじてギリ涼しいと言えるほど。


 って、部屋に入ってくるそよ風だって?


「どうして窓が開け放たれてんだッ!」


 ――思わず、叫びながらの起床となった。備え付けだった白い布団を跳ねのけながら目を開けると、やはり窓は空いていたし、カーテンは揺れていた。こんちくしょう。しかし、窓を開け放った犯人はおろか、この部屋には俺の他に誰もいなかった。完全犯罪かよ。罪状は窓開けっぱなし罪。判決は……動機による。


 立ち上がって、身の回りのものを確認。と言っても、俺に盗られて困るような貴重品の類は一切ない。ものとか買い集める趣味はないし、そもそも金がないし。


 いや、待てよ。隊員証。あの首から下げる四角いカードだけは、無くしたらちょっと面倒かもしれない。一部の部屋を開けたり、手錠にかざしたり、俺の≪ヴァリアー≫においての身分を証明するものだという、あれだけは。


 無くしたらどうやてって再申請すればいいんだったかな……確か、最初に説明されたと思うんだが……いっけね、全く思い出せない。


 まあ、問題なくあったんですけどね。枕元に投げ捨てられていたそれを拾うと、首にかける。……じゃあ、この窓を開け放った犯人の目的は本格的になんなんだよ。


 疑問を深めていると、俺の部屋の扉が豪快に開かれる。

 なあおい、プライバシーってなんだっけ?


「あ、おはようございます、レンドウさん」


 そいつは起きていた俺を見てあっ、と一瞬予想外という表情を浮かべ、はたと止まったが、すぐに笑顔になって朝の挨拶をした。こいつは初めて会話した時から基本、笑顔だな。一定時間と機嫌が悪くはなるが。水色の髪がまぶしい少女に俺も挨拶し返そう。色々、問いただしたいこともあるけど。


「あー、うん。おはよう、リバイア」


 こいつの髪の色は、アラロマフ・ドール地方に古くから土着していた奴ら……水の英雄の末裔連中に多く見られる水色と、なんか少し違うような気がするんだよな。気のせいかも知れんけど。魔人の髪の色なんて特に、千差万別だろうし。


「んで、この状況はどういうことだよ?」


 半目になってリバイアをねめつけると、彼女は弁解するように首を横にブンブンと振った。


「私じゃないです! ……窓が開いてることですよね!?」


 ああ、と俺は頷いた。


「私はただ、カーリーさんに言われて……レンドウさんが起きたかどうか確認してきてくれ、って」


 ほう。あの黒ウサギ、新参者め。さっそくこの俺に、先輩に牙を剥きはじめたというのか。先輩って言ってもほんのちょっとだけどさ。いや、それでも先輩は先輩。なんか偉ぶらせてくれよ。えっへん。


 まぁ、とにかくこの責は黒ウサギに問えばいい訳だな。あの野郎(女だ)。黒いってだけで無条件に、この俺サマから好印象を頂けると思うなよ。


 リバイアは俺の部屋の前に立っている。俺からは見えないが、横目に誰かを発見したらしい。「レンドウさん、起きましたよー!」その誰かに向けて呼びかけた。


 カーテン締めようかな……と思い右手で払った俺が、突然のイタズラな風によって煽られたカーテンに顔面を襲われて「うわっぷ」とか言ってる間に、リバイアが呼びかけた人物は到着していた。


「あ、おはよう……」


 小さくそう言ってきたのは件の黒ウサギ、カーリー。リバイアと並ぶと、二十センチ以上も身長が高いな。まぁ、リバイアが小さめではあるが。


 朝の挨拶も抜きにして、振り返って早々に問いただす。


「カーリーてめえ、この窓はお前の仕業か」


 少ししゅんとした様子で、カーリーは「違う、私じゃない」と言う。そうなのか、違ったのか。ん? 違うなら、なんでしょげ返る必要があるんだ。


「レンドウさんがおはようをちゃんと返さないから……」リバイアがじとーっと見つめてくる。


 え? そんな理由で?

 めんどくさ。


 …………いや、まぁ、確かに無視されたに近い、のか。


 そりゃ、うん。無視されたら誰でも傷つくよな。俺も嫌だよ。


「えっと、おはよう……?」


 そう返すと、心なしか下を向いているカーリーの顔が明るくなったような気がする。


「……ん」


 何そのリアクション。短い返事。萌えキャラかよ。そんなに嬉しかったのか?

 ああ、分かった、ウサギだからか。寂しがり屋なキャラクターだったのか。寂しいと死んじゃうんですね。いや、そんな安直な……。


「女性はそういう細かいところを気にするものなんです!」


 いっぱしに女性を気取り始めたお子様リバイアはほっといて、俺は布団を素早く三つ折りに畳み、壁に備え付けられた押入れのドアをスライドさせると、それをそこに突っ込んだ。


 そうして、二人の元へ……というより二人の間に手刀を切りながら割り行って、部屋の外……他社と共有する空間へと足を踏み入れる。


 部屋から出た俺を待ち受けるのは廊下ではなく、更なる大きな部屋。最初のうちは、慣れずに戸惑ったりしたっけ。ここから先は俺だけの空間じゃない。


≪ヴァリアー≫の大きな建物の中に、沢山の共同生活用の住宅があると思えば、それほどおかしくもない構造なのだろうか。大きな机が真ん中にあるその部屋。振り返って俺の部屋の隣のドアを見ると、そちらはきちんと閉まっている。俺たちは互いにプライバシーを尊重し合って、個室には鍵を掛けられるようにしてあるのだが……どうして俺の部屋のドアは侵入を許してしまったのだろうか。もしかしてピッキングとかいう技術? その道のプロがいらっしゃるのかよ。あれって鍵穴をぶっ壊しちまうこともあるんじゃなかったか。勘弁してくれ。


 そんなことを考えながら、隣の――レイスの――部屋のドアノブをガチャガチャして、しっかりと施錠されていることを確認、舌打ちをしてから洗面所に向かう。


 その途中、共有空間の中でも主役と言えるこの空間……リビングに唯一かかっている時計を見やる。その針が示すは、午前十一時。はぁ。確かに寝過ぎだ。もっとも、里で暮らしていた時代は当然、夜型魔人だったわけだし。


 この“遅すぎる起床”という表現は、人間社会の尺度に合わせたものでしかない。


 ――やっぱ長年の生活リズムは抜けないだろ、そう簡単にはさァ。


 この時間帯なら、ノックも必要なかろう。俺が起きるのを今か今かと皆で待っていたというのなら、尚更。脱衣所兼洗面所の扉をスライドさせて足を踏み入れる。寝ぼけ眼をかっ開こうと蛇口を捻り、冷水を桶に溜めはじめる。


 水を粗末に扱うと怒られる。主にレイスに。だから万が一にも桶から溢れさせることはないようにしないと。俺は目を離さない。洗面台の裏で、タンクが『グオーッ』と異音を立てた。二階まで水を引っ張って来るのに、なんか色々複雑な機構が裏に仕込まれているらしい。


 トイレとかも、一回大量の水を流すと、しばらくの間水が流れなくなったりする。二階って不便だよな。水の使い過ぎには、そういう意味でも注意が必要だ。


 桶七分目くらいまで水が溜まったので、蛇口を反対に捻って止める。シャツを脱いで、洗濯カゴにブチ込む。その上に一旦隊員証も放ると、俺は冷水の中にゆっくりと顔を漬け込んだ。


 くぅーっ!

 効くゥ。目が覚める……。


 あんまりバシャバシャやるとズボンまで濡れてしまう。それは避けたいところだ。顔を上げると、できるだけ避けたつもりだったけどやっぱり前髪はずぶ濡れ、横の方も少し濡れてしまっていた。耳で支えられる毛量じゃなかった。


 うーん、これ。

 この髪。さすがに長すぎるか……?


 五年ほど伸ばしてきて、髪が長いことがポリシーになってるところもあるんだけど、ぶっちゃけると寝る時も顔洗う時も乾かすときもうとましい。


 しかし……ああ、悩む。それでも切らずにいた今までの日々を思えばこそ、どんどん伸びていくばかりのこの髪を切る勇気が追いやられていくのだ。今この瞬間も感じられなくとも、ほんの少しずつ伸びてる訳だし? そういう意味では今も少しずつ価値が上がっていってるワケで。こういうの、損切りが下手って言うんだっけか。


 向かいに設置された鏡を見て唸っていると、「本格的に夏になる前に切ったら?」と言うカーリーの声。いや、俺今上半身ハダカなんですケド……なんとなく振り返れずに、タオルで顔をゴシゴシしていると、「どうぞ」リバイアの声とともに、俺の視界の右端に何かが差し出される。ドライヤーだ。甲斐甲斐しいなオイ!

 どんだけ少しでも早く俺に朝の準備を終えて欲しいんだよお母さんかよこれから何用だよ。


 つか、切れとか気軽に言ってくれちゃってるけどさァ。俺のこのクッソ長い髪が広がって背中を覆い隠しているおかげで、お前らは俺の肌が殆ど見えないで済んでるワケ。たぶん、だからこそそうやって平然としていられるんだぜ?

 恐らく、真後ろから見るとあんまり上半身裸に見えないはず。


 ドライヤーのスイッチをオンにすると、里にいたときは文献でしか知らなかった温風が、俺の髪を包む。何もしないより数十倍、下手をすればそれ以上に素早く髪を乾燥させることができるそれは、この俺をして人類の技術に羨望を覚えさせる。


 というか、この生活空間に溢れているもののどれもが、俺にとって魔法に近かったものばかりで、人間が魔人を押しのけて台頭している理由の一端を充分に味わわされる日々だ。


 ブオーッ。


 しばらく無心でドライヤーを掛けていると、背後の二人の気配は消えていた。

 少しほっとしながら、今日はどの服着るかなァ……なーんて考えていた、晩夏の物語。

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