化けの皮

≪ヴァリアー≫本館を壁伝いに、こそこそと移動している。そうとしか表現しようがない怪しい人物を、全身真っ黒の装束の、こちらも同等以上の怪しさを誇る人物が呼び止める……。


「――こんな時間にどこへ行くんだい?」

「――ッ!?」


 呼び止められた人物は最初こそ驚き固まりかけたものの、しばらくすると平静を取り戻した。


「……いやぁ~、散歩ですよ散歩。そういうあなたこそ……って」


 呼び止められた人物の瞳が見開かれる。安心したように被っていたフードを脱ぐと、その赤毛が露わになった。


「あれっ、ヒガサさんだったんですか! もうっ、びっくりさせないでくださいよ~」


 アンナは砕けた口調で以前のように話しかけるが、一方の闇に紛れていた人物……ヒガサは静かな態度を崩さない。


 その眼が言っている。――安心するのはまだ早いよ、アンナ。


「こんな時間に散歩なんて、皆さんに心配かけるんじゃない?」

「てへへ。大丈夫ですよ、こっそり抜けだしてきて、こっそり戻りますから」


 フゥ。ヒガサはため息をアンナにも聴こえるようについて、わざと相手にプレッシャーを与えようとしているかのようだ。アンナは一歩後退あとずさった。


「キミは国の名前を背負ってここに来ているんでしょう? 見習いだとしても、いや、見習いだからこそ。振る舞いはちゃんとするべきじゃないかな」


 反論を許さない正論に、アンナは俯く。


「……そう、ですね」

「私もキミを見つけた以上、≪ヴァリアー≫の隊員として責任が生まれてしまうんだ。キミを皆さんの元まで送り届けないと」


 その言葉に、アンナは取り乱す。


「いやっ、それは……!」


 ヒガサは黙って次の言葉を待つ。それは、何が来ても、それを打ち壊す準備をしてきているが故だ。


「…………ダメです」

「どうして?」

「……………………」

「部屋に戻っても、お仲間さんは誰もいないから?」

「……!?」


 雷に打たれたように、アンナは顔を上げて、ヒガサの顔を見つめた。


 ――なぜ、それを。


 頭の中が混乱でいっぱいになる。――もし。もし、このヒガサという女が私の事情に精通しているとすれば、今まで自分が取ってきた行動にどれだけの不備があっただろうか。


「デルから来た技術者たちは皆、体調を崩しているんだよね」

「……どうしてそれを」


 ――どうにかそれだけを絞り出す。完全にこの女にペースを握られている。


 ――まるで蛇に睨まれた蛙だ。笑えない状況だ。


「十人全員がってことらしいけど。アンナ……どうしてキミは、その“全員”から漏れているのかな?」

「……………………」

「単刀直入に言うけど、キミはデルの人間じゃないね?」

「…………」


 ――全然単刀直入じゃないよアンタ。散々こっちの逃げ道潰しておいて、よくもまぁ。


「キミは今回外から入ってきた人間じゃない。元からこの壁の中にいたんだ」

「…………」


 何もせず無言でいる訳じゃない。アンナは覚悟を決める。ブーツの安全装置を解除する。目の前の女を倒すための準備を。


「≪ヴァリアー≫の中に不穏分子がいることは分かっていたけど、まさかキミみたいな子が……とはね。今までの反応を見るに、キミはもしかすると帝国の……」

「――いやぁ、こっちこそ夢にも思いませんでしたよ」


 覚悟を決めると、心に余裕が出てきて、アンナは反撃を始める。


「アンタがまさか、そんな高い地位の人だったなんて……」


 ――初めて会った時、第一印象から本当は気に食わなかった。余裕ぶりやがって。大人ぶりやがって。今にして思えば、その情報通、ヴァリアーの特権階級のものだったということじゃないか。けっ。


 ヒガサは、綺麗さをかなぐり捨てたアンナの声に、意外そうな顔をした。先ほどまでの消沈していた少女が、今や爛々と瞳を輝かせているのだから。スパイとしての育成を受けているなら、必要な際には即座に訓練を積んでいるのかもしれない。


「ん、まあね……」

「でも、あなたが貴族だろうと王族だろうと……」


 ――命がかかっている以上、止まれないんですよ。


 最後まで言う必要は無い。言葉をそこで切って、アンナ……のふりをした少女は行動に移る。袖に仕込んでいた短刀を逆手に持ち、ヒガサに斬りかか……ろうとしたはずだったのだが。


 ――いつの間に、地面に転がされたというのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る