第一部 2章(吸血鬼登場編) -アンダーリバーの黒ウサギ-

第25話 ここはどこ?

 ◆レンドウ◆


「ここは何処だ?」


 サラサラ……サラサラ……。


 自然が奏でる音が、俺の尖った耳を撫でる。

 頭は存外、スッキリしている。


 ――わたしはだれ? とまではなってないのが不幸中の幸いだな。


 意味不明な状況において、俺はまず、それを知覚した。ゆーても俺、記憶喪失の経験者だからな?


 しかも、そうなって以降何も思い出せていない。現在進行形の記憶喪失者だ。


 こういう時は、焦ってはいけない。――そう自分に言い聞かせることができるのは、大抵、冷静なうちだけだ。この先どうなるかなんて分かったもんじゃない。


 それでも、実際にそういう状況に置かれた今、とりあえずこの瞬間だけでも冷静であった自分を褒めたいと思う。偉いぞ俺サマ〜。


 ……どうでもいい言葉遊びを延々と考えてしまうほどには混乱しているらしい。駄目じゃん。無駄に思考がラビリンスってるじゃん。


 ――じゃあ、状況を纏めんぞ。


 俺が今踏みしめているのは、草だ。辺り一面、背の高く固い草が生えている。


 風にそよいでいるそいつらは、一様に“出る杭”になることを避けているかのように、みーんな同じ背丈。立ち上がった俺の腰に達するか達しないかといったあたりだ。


 恐らく俺がいる場所は草原の中にある小さな窪みだ。そう、恐らくでしかない。


 背の高い草のせいもあって、いまいちこのあたりの地形が分からないんだよな。


 もしかしたら、ちょっと丘を登ってみたら草が生えてるのはここだけで、民家だったり城だったりが見えてくるかもしれない。城は無いだろうが。


 俺はこの草の中で、大の字に寝っころがってる状態で目覚めたんだ。だから最初は何も見えない状態に近くて、かなりの恐怖だった。


 だから、起き上がったそのままで色々考えてみるのもいいんだけど、まずはテキトーに丘を登ってみて、広がった景色を確認しながらの方が効率がいい気がする。


 草の中に何か危険な生物だとか罠だとかが潜んではいやしないだろうな?

 まぁ、俺さえ動かなければ生物が踏み荒らした後が一切ないような場所だから、それはないか。


 ……いや、おかしいだろ。


 周りに誰も通った痕跡がないっていうなら、当の俺はどうやってここに来たんだよ。


 何らかの要因により自分でここに来たことを忘れたにせよ、寝ているところを誰かに運ばれたにせよ、何の痕跡も残さずに原っぱの真ん中に出現することなんてできんのかよ? 未確認飛行物体に攫われて、空からここに優しく落とされたのか?


 ……なんて、質問を投げかける相手もいない訳で。


 わしゃわしゃと草をかき分けて進む。

 土壌はしっかりしているから、雨が降ったばかりでは無いっぽい。雨。……そういえば空模様は?


 ここまで気にも留めていなかったのだから、太陽が覗いていないことは当然と言える。というか昼間だったら本当に危ねェよ。場合によっては目覚めと共に失明してたかもな。


 薄暗い空は朝方なのか暮れ方なのか、どう判断すりゃいいんだ。


 空を見上げていると、微かに聴こえる水音に気付く。これは……水が流れているのか。

 答え合わせは直ぐだ。ここを登れば……っと。

 小高い丘の上に立つと、見えなかった世界が眼下に広がった。


「……………………綺麗じゃん」


 思わず、そう呟いてしまった。物語を読んでる時とかだと、いちいち主人公が独り言を言うのってどうなんだよ? とか思っちゃってた俺だけど、こんな状況なんだから主人公気取らせてくれ。「俺が俺の人生の主人公だ」とか、素敵な台詞を言って酔わせてくれ。……誰が見てる訳でもないし、いいよな? まぁ口には出さないんだが。


 で、そこには川があった。結構幅は広いし、深そう。対岸まで二十メートル以上あるんじゃないか?


 広いせいか、流れは大分緩やかに見える。


 川の向こうの景色まで見て、俺は疑問を覚える。川の向こうにはこちら側と同じように原っぱが広がっているが、その中に一本、巨大なモミの木が生えている。


「どっかで見たような景色だ」


 里の近くに、こんな景色があった。いや、別に里が見える訳じゃないし、ここが里の近くだとも思わないが。


 モミの木以外は、こちら側と――振り返って背後を確認する――変わらない。四方八方を山に囲まれて、自分が今どこにいるのか分からない。だが、その四方を山に囲まれた景色も、なんとなくどこかで目にした覚えのあるものだ。


 しかし……これだけ自然に溢れた場所となると、もしや吸血鬼の里よりも奥、飛竜の丘に近いのだろうか。でもそうだとしたらどうしようか。俺は飛竜と格付けチェックなんてしたことないぞ。


 ぶっちゃけた話、吸血鬼と飛竜ってどっちが生物学的に上なんだ?


 幸い、あの不吉な羽音も聴こえないし、ゆっくり周囲を探索できるか……と思いきや、向かいの山々の向こうの空が、段々と明度を上げていることに気付いた。


「これから昇るのかよ……」


 あっちが東だったか。しかし、まずいぞ。とりあえず早急に、太陽から逃れられる場所を探さなくては。


 川の下流を見れば、そう遠くない場所で海と繋がっていることが察せられる。なら論外だ。


 成人を迎えていない吸血鬼は、海水に触れるべからずと教えられた。実際、個体差はあるだろうし、もしかすると十八を回った今の俺なら平気なのかもしれないが、だからといって自らに毒に触れに行くこともあるまい。


 上流の方を見れば、鬱蒼うっそうと茂る森へと続いている。進むならこっちに決まってるよな。


 最後に辺りをもう一度見渡してから、俺は急ぎ森の中へ向かった……。

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