第24話 グロニクル
◆レイス◆
今度こそ本当に、≪ヴァリアー≫への帰り道。
黄昏に染まる空を背にして隣を歩くレンドウは、未だに日傘を手放さない。
これ、本当に真っ暗になるまで差し続けちゃうやつだね。
今日は色々あったなぁ。
初めての外出、レンドウは楽しめただろうか。まだまだ紹介したい場所はあるし、今すぐには思いつかないようなことも沢山話して、お互いの人となりを知っていけたらいいな。
人間関係って、そういうものだよね。短い期間で急激に築けるものではないし、計画的に仲良くなるものでもない。僕の人生の時間をゆっくり使えば、きっと彼も、また彼を見る人間たちの意識も変えていける。きっと。
「……あのさァ」
レンドウがぼそっと会話の導入に入った。とりあえず返事をするべきだろう。
「うん」
「コードネーム、なんだが」
「うん。決めたの?」
「まァ……候補と言うか」
コードネーム。彼が≪ヴァリアー≫で使うことになる名前。それについては、彼自身が出した結論を、僕は尊重するつもりでいた。
色んなタイプの人がいる。
よく考えずに本名で登録する人。これは楽観的な人間が多い。人に弱みを見せることを厭わないタイプ。
考えたうえで、本名で登録する人。さっきのとは同じようで、違う。……思慮深い。危険性を考慮したうえで、それでも人に弱みを見せることで信頼されようというタイプ。
……なんか、頭の中で列挙してるけどさぁ、僕。別にこれが全部正しいとは限らないんだけど……纏めたくなったんだから仕方がない。続けよう。
では、偽名を使う人はどうだろう。自分のルーツ、身元が割れることを嫌って本名を隠すタイプ。
それにもう一つ、“私はちゃんと本名を晒す危険性を熟知しています”というアピールの為に、すぐに偽名と分かる名前を付けるタイプ。このタイプには、なんだかんだ仲良い人には本名を教え、それで呼ばれることを許しちゃうイメージがある。
こんなところかな。さあ、レンドウは僕の予想のどれを行くのか、はたまた僕のどの予想をも覆すのか。
「……聞かせて」
聴く側としての心の準備を終え、僕は待つ。その後、レンドウから聴かされたコードネームは、僕を半日前までトリップさせるのだった。
「……グロニクル」
赤い髪が、風になびく。
* * *
――僕は、ヒガサさんを探して廊下を走っていた。
いや、別に探し物(者)はヒガサさんに限らないんだけど。ヒガサさんに日傘を布教……じゃない、貸与されている人物でもそれ以外でも、日光を遮れる手段があるなら何でもいいんだけど。
あれ、でも日光を遮るものが日傘以外に思いつかないや。多分それは、その用途では日傘が群を抜いて効率がいいからだろうね。
ヴァリアーは地中に向けては深く発展しているけれど、空に向けてはそんなに高くない。最上階である三階を早歩きで進み、“ヒガサさんが所属している部屋”の前にたどり着いた。
ドアノブをそのまま回すことは無い。モラル的な意味もあるけど、本来この程度の用向きで入室できる部屋ではないだろうから。
それでも、現在治安維持組織預かりの身分である吸血鬼のもてなしの一環なんですとか、それは今後の≪ヴァリアー≫の発展に繋がることなんですとか屁理屈でも捏ねれば、多分ヒガサさんは了承してくれる。あの人は優しいから。
……他の人だったらちょっと怒られると思うけど。まあそこは頑張ってみよう。
――コンコン。
日傘貸してください。
頭を叩かれても文句を言えないようなくだらなさに満ちた用件で“やんごとなき部屋”の扉をノックした。が、扉の向こうからは一向に返事が無かった。
「……?」
おかしいな。この部屋の人間が全員出払っていることなんて、滅多にないはずなのに。
――運が悪かったと思って、諦めるしかないか。
それでも外出したいなら、他の方法を考えるしかない。そう思って再び駈け出そうとしたところで、目的の部屋の左隣の扉が開いた。それに応じて、声が聴こえてくる。
「いえ、この子は私が」
「分かりました。どうぞ」
厳格な雰囲気の声に含まれた力強さと、部屋から漂ってくるプレッシャー。
ああ、あの部屋に。会議室に“大物”が集まっていたのか。
部屋から出てきた人物の中で一番に見えたのは、車椅子の人物。フード付きの純白の洋服を着せられて、顔はよく見えない。着せられて、という表現は間違いではない。彼女は未だに意識が戻っていないのだから。
この時点で、それに続く人物が予想できるというものだ。
僕はその場から離れるでもなく、素早く壁に背をつけ、直立した。
短く揃えた黒い髪。年老いて尚、一切の白髪がみられない。吸血鬼と言うのは、皆がそうなのだろうか?
高い鼻に、真一文字に引き結ばれた唇。広くない額に深く刻まれたしわと、数々の古傷。左の眉の殆どが、傷によって生えてこないらしい。
あんまり長く見つめる訳にもいかないだろう。それ以上観察していられない、と僕は目を伏せた。
部屋から出てきたのは三人。まだ何人か部屋に残っているのかは分からないけど、どうやらお帰りになる“ヴァリアーの外の人物”は先頭の二人だけらしい。三人目は副局長だった。
「ご案内します」
副局長の声だ。
老人は「いえ、道は覚えております」と断り、しかし、立ち止まって続ける。
「気になったのですが、彼は……」
「彼、と申されますと?」
副局長は困惑したような様子を見せた。なんとなく、困惑したフリだな、と思った。分かってるでしょ。今この廊下には、僕しかいないんだ。そうして、それは僕自身にも言えることで。
目線を上げると、老人らしくない、若々しい老人と目があった。
吸血鬼の族長、シャラミド。
吸血鬼の里、領主の城館にて親を亡くした子供達を引き受け育てるという、皆のおじいちゃん。
「そこの角の生えた少年。彼はもしや?」
副局長は観念しました、という体でフゥと短く息をつき、メガネを抑えた。苦笑しながら答える。
「……ええ、彼がレンドウ君を捕らえた、うちの者です。お話しますか?」
「是非とも」
えっ。
これは……僕も観念しないといけない流れ?
「レイス君、こちらの方がお話ししたいそうだ。隊員として、門までのお見送りもお願いするよ」
「は……はい!」
ど、どうしよう。
返事だけは取り繕ってしっかりできたかもしれないけど、うう。この後が問題だ……。
* * *
「ここは、いいところだ」
「……はい、じ、自慢の施設です!」
彼が突然そんなことを言い出すものだから、僕はかねてからの緊張もあって、どもった。そんな僕を、老人は不思議そうな目で見つめた。
≪ヴァリアー≫の入口へと、車いすを押して歩く老人と並んで、僕は冷や汗を流している。
ふ、副局長……恨みますよ。この状況は本来、あなたが背負うべきものじゃないですか。
「あの……」
「うむ?」
どうにかこうにか、話題を絞り出す。そもそも、僕と話がしたいと仰られた、このお方からお話を振って下さると助かるんですけど!?
「吸血鬼の……族長さんなんですよね。王ではなく」
「いかにも」
族長さんは遠い目になると、
「王は長らく不在だ」と言った。
長らく不在。
つまり、王がいた時代もあった、ということ?
「今、移ろい行く時代の中、我らはあまりにも無力。王の統治を無くして以来、同族たちも一枚岩ではなくなってしまった」
口ぶりから察するに、里を出て行ってしまった同族もいそうだ。
僕は立ち止まる。族長さんが立ち止まったから。
「えっ!?」
思わず、声が漏れてしまう。
――吸血鬼の族長が、僕に頭を下げていたのだ!
「レイス君、といったかね」
「は、はひ」
面喰って固まる僕に、族長さんは優しい語り口で、
「二度にも渡ってレンドウを止めてくれたそうだね。ありがとう」
そう言った。
「え……っと……?」
感謝される意図が解らず、返答に窮する。
「もしあれの暴走で死人が出ていれば、吸血鬼と人間との確執は更に大きくなっていたことだろう」
「……!!」
しかし、その発言を聴くことができて……僕は嬉しくなったし、誇らしくなった。
族長さんも、吸血鬼と人間で友好関係を築けたらいいなって思ってくれてるんだ……!
「どういたしまして……!」
言いながら、僕も頭を下げた。同じことを想ってくれて。両種族の問題を憂いてくれて。
――ありがとう。
「レイス君。君は吸血鬼の真実について、どの程度知っているのかな?」
再び歩き始めた僕らは、ヴァリアー本館の玄関をくぐる。照りつける日差し。
「真実……ですか?」言いながら、今の状況がおかしいと気づく。
――だって、レンドウはあんなに。
ぽかん、と口を開けてしまう。
「思い違いか……どうやら知らなかったようだね。“他者の魔法を封じる力”を持つ君は、もしかすると……と思ったのだが。しかし、これも縁だ。君には話しておこう。我ら吸血鬼は、確かに暗い森の中で生活しているのだが――」
族長さんは、太陽の下に出ることを厭わないんだもの。
「――実のところ、太陽は平気なのだ。木の杭も、銀の剣も平気でね。勿論、どんなものでも斬られれば痛みは生じるのだが」
ほ、う…ほうほう。
「それと、今の人間は吸血鬼に血を吸われても、別に死にはせんのだ」
って。
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええーーーーー~~~~~~~~~~~~……………………」
大声を出すことだけは抑えた。それでも、僕を襲った驚愕の大きさはこのロングトーンで察してほしい。
「す、すみません。情報の洪水に混乱して」
「はっはっは。これは申し訳ない。実は、少し反応が楽しみでね」
ここで僕は、ようやく気付いた。緊張している場合じゃないってことに。
吸血鬼の長から直々に、その種族の秘密について聞ける機会など……人生で二度とないかもしれないのだということに。
「先ほど、“今の人間は”と仰いましたか?」
ここからはどんな些細なことも聞き漏らさないように、心して聴かなければ。
「うむ。はるか昔、確かに吸血鬼に血を吸われた人間が息絶える時代があった。しかしそれは――、」
族長さんはそこで言葉を切り、僕の頭の上を見た。
僕の角が気になるのだろうか。
「――人類の進化と共に、いつの間にか終わっていたのだ。吸血鬼もまた然り。いつまでたっても、自分たちは太陽が苦手なのだと信じている」
「それじゃあ皆、ただの思い込みで噛まれることだったり、太陽を恐れてるってことですか?」
族長さんは頷くと、
「たかが思い込み、されど思い込みということだな。“人は想いの力を以て、この世の理すらも曲げてしまう力を持っている”」
「賢者……アレインタークの言葉ですね」
かつてイェス大陸を旅し、各地の文化や魔人と交流して手記を残し続けた偉人の名前だ。旅路の果てに、彼は魔王が支配する暗黒大陸への冒険を決め、そして行方不明になったという。
「勤勉なようだ」
「いえ、彼の著書……≪レピアータの証明≫を読んだくらいです」
「レピアータ。実在すると思うかね?」
レピアータ。僕らが踏みしめている大地、イェス大陸の北東に存在する……と言われる大陸を、統べていると伝えられる大国。
科学的な力で栄えたと言われるが、“災害竜”の異名を持つ巨竜テンペストと、それに連なるものたちがイェス大陸と暗黒大陸を包むように≪嵐の海域≫を生成し続けるようになってからは、もう千年近く断絶されたままだという話だ。
そのような国は存在しないと、眉唾物だろうという人もいる。
「嵐の外の世界がどうなっているかは想像がつきませんが……今はどうあれ、昔あったというのは信じています。自分たちの国に戻ることが叶わないまま、この大陸に残った人々の末裔が今も文化保護区で暮らしているそうですし」
「当時のことを知る者は死に絶え、自らのルーツは親より語られることでしか探ることはできない。もはやそこで暮らしている末裔たちですらも、本国の存在を疑っているかもしれんがな」
「仰りたいことがよく……?」
「いや、すまないね。その思い込みで、被害を被った種族もいる、ということを言いたくてね」
……それ以降、族長さんは黙ってしまった。
思い込みで、被害を被った種族。
……それは、吸血鬼のことなのだろうか?
やがて、僕たちは正門へと到着した。
門を守る兵士たちは、吸血鬼の長が帰るという連絡は勿論受けていただろうが、大層怯えた様子だった。
存在するだけで凄まじい圧を発する老人の顔を見ることすらできない様子で、ただ門をあけ放ち、端に寄って俯いた。
「族長さん」
呼び止めると、ん? と族長さんはこちらを向いた。
僕らが出てきたヴァリアー本館の入口より、右を指差す。あっちには、ここからでは建物の陰になって見えないけれど、憩いの場がある。
だからそこには、彼がいる。
「あっちに、レン――、」
言いかけて、やめる。族長さんが手で制したからだ。
「いや、せっかく門を開けていただいたことだし、私はもう帰らせていただくよ。あれには……いや、誰にもだ。私と会ったことは伏せておいてくれ。先ほど話したことも、内密で頼むよ」
「……はい。それは勿論」
一応、レンドウを止めた僕だからってことで、一定の信用を得たからこそ話していただけた事柄なのだろうし。
「それから……」
そして最後に、族長さんは言う。
「次に私と会うことがあれば、その時は名前でいい」
「え、ええ? 名前でですか」
いいんですかそれ、不敬じゃないんですか。僕と族長さん、何歳差ですか?
あなたが良くても、周りの人怒りませんそれ?
「私は長らくグロニクルと呼ばれていてね。まぁ、本名ではないから気軽に呼んでほしい。吸血鬼の指導者を表す言葉で、敬称も込みだと思ってもらって構わない」
言いながら、族長シャラミドさん……改め、≪グロニクル≫は笑いだす。
称号のようなものだと思えば、確かに敬称は略してもいいのかもしれない。
「はっはっは。なぜか君を見ていると、懐かしい人を思い出してしまってね……」
そう言うと≪グロニクルは≫、≪ヴァリアー≫の本館の最上階……いや、もっと上だ……空を見上げた。
そ、空にいる方を思い出されているんでしょうか、もしや?
「では、これで失礼させてもらうよ。郊外に馬車を待たせていてね。奴らも不慣れな人間界に疲れている頃だろうから、早く顔を見せてやりたいんだ」
あ、お仲間さんが待ってるんだ。ってそりゃそうだよね! 車椅子の女の子を連れたまま、延々と吸血鬼の里まで歩いていく訳ないもんね!
「はい、分かりました。……貴重なお話、ありがとうございました!」
≪グロニクル≫は頷くと、車椅子の少女の頭を慈しむように撫で、歩き出した。
その背を見て、僕は考える。
――彼のもとで、レンドウは育ったんだなぁ。
族長さんがレンドウのことを信頼しているのは、雰囲気で分かった。“あれ”なんて呼び方はしていたけれど、あの少女を庇ってヴァリアーに残ることを決意したレンドウを、きっと誇らしく思っているはずだ。
レンドウのあの行動は、“男らしい”と称される行為だったと思うし、だからこそ族長さんは少女を守るためにみっともなく、なりふり構わず喚き始めたレンドウを止めなかった。
止めることができようもなかったんだ。レンドウがそういう子で、嬉しかったから。
……みんな、不器用なんだよ。愛情表現が。
族長さんの姿が完全に見えなくなるまで、僕は門の外を見つめ続けていた――――。
――ので、遅すぎだろ、とレンドウに呆れられることになったのだった。
* * *
「……グロニクル」
赤い髪が、風になびく。
レンドウの考えたコードネームを聴き、否応なしに半日前の出来事を思い出した僕は、プッと吹き出してしまった。
あははは!
あっはっは!
「な、なんかおかしいかよ……」
――おじいちゃん大好きっ子じゃん! レンドウ!!
「あは、あはははははは……」
目に涙が浮かぶほど笑った。
「いやー……ごめん、少しもおかしくないよ。ただ、レンドウにぴったりすぎて面白いなと。グロニクル。プッ」
「てってめェ! 何なんだよッ!!」
レンドウの方を見ながら≪グロニクル≫と呼ぶと。目の前の少年と、あの威厳ある老人の姿が重なったような錯覚をするのだ。
二人の外見が似てるとはちっとも思わないけれど、それでも何か感じるところがあるから、僕は笑っちゃうんだと思う。
面白くて、たまらない。
そのあとしばらく二人で取っ組み合って、埃まみれになってから、疲れた体を引きずって、僕らの家に帰った。
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