第20話 背もたれの方から

 いや、まぁ、見られてるからなんだってカンジなんだけども。平常心、平常心。


 俺はこっちを見ている(ような気がする)黒いヤツのことを極力気にしないようにしつつ歩き出そうとした。


 が、


 ――ダンッ!


 という激しい音に、再びそちらへ注目せざるを得なくなった。

 おま、そんな大きな音を出して。ここをどこだと思ってんだ。マナー違反だぞ。


 先ほどまでは謎の存在感の無さを誇っていた黒いヤツだが、どうやら床を強く蹴ったらしいその音には、さすがに周りの利用者も眉を顰めたりそちらを睨んだりと、間違いなく反応を見せているようだ。


 ――いやいや、待ってくれ。床を強く蹴ったって、なんのために。


 悠長にそんなことを考えている暇は無かった。その答えが今、明かされようとしている。いや、明かされてからじゃ間に合わない。


 柵を飛び越えて、今にも俺の上に落ちてくるんだ!


 確信があった訳ではないが。しかし、その可能性に思い至るや否や、身体は独りでに動いた。吸血鬼流バックステップ。流派を気取ってはみたが、人間のそれと違うところは特にないだろう。


 黒いヤツは、別に先ほど俺がいた場所に丁度着地した訳ではなかった。それより少し手前だ。


 そいつはゆっくりと立ち上がる。しゃがみ込むように着地していたんだ。


 大丈夫なのかお前。足の裏に激痛走ってんじゃないのか。クジキマシターとか言わない?


 そんな黒いヤツに興味を引かれたのか、二階の柵から顔を出して下を見物する利用者が何人かいる。


「なんだ、あれ?」


 どうやら、俺だけじゃなく、この黒いヤツが“変な存在”だってことは世界の共通認識だと思ってよさそうだ。


 近くで見てみると、マジで異様だ。光を浴びて尚漆黒のその衣は、まるで吸血鬼が生み出す緋翼ひよくを縫ったかのようだ。光を吸い、まるで生きているような波打ち模様は当然浮かばないものの、単なる繊維というもも……納得しかねる。そんな物質を簡単に用意できるとは思えないし。


 もっと一般的に考えるなら……。


 魔法、か?


 ……魔法を一般的と言うのもどうかと思うが、聞いたことが無いわけじゃない。俺がいま漆黒の人影だと思っているものは実際はもっと違う色・形をしているのに、俺の脳が誤認している……させられてる可能性。


 幻惑魔法、とでも言えばいいのか。


 もしそれが正しいとしたら、こいつにはよっぽど後ろめたい事象があるってことなんだろう。


 ……で、それがどうしたって感じなんだけどな?


「なんなんだ、お前……」


 質問してみたが、答えが返ってくるとは思っちゃいない。


 大体、俺はただの図書館の一利用者であって(まだ利用したことないけど)、眼前のこの黒いヤツがどんな悪者だろうと、こいつが俺に向かって凶器を振り回してきたりしなければ関係ないって言っても差支えないワケで。


「…………」


 案の定、黒いヤツは無言を貫く。そりゃア……そうだよな。


 わざわざ認識妨害の魔法工作をしてるんだったら、無駄にお喋りしたり、正体に繋がる証拠を残すとは思えない。

 ぼけっと突っ立っているようだが、相変わらず俺を見つめ続けている黒いヤツ。

 もしかして、俺を警戒しているのか?


 ……は~ん。


 もしかして、分かっちゃう? この俺サマの実力が? そこらにいる有象無象とは比べ物にならない、留意するべき存在だってことが分かっちゃう感じ?


 見る目あるじゃん。


 とかなんとか自らを過大評価して悦に入っていると、背後より響く大声が、俺の背中を押した。


「そいつを逃がすなぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」


 ――というよりも、前に倒れそうになった。


「その人、資料泥棒なんです!」


 ちょっとどころじゃなくビックリした。割れたような声に、質量が宿っていたかのようだった。思わず前に傾いた身体を、右足に力を込めることでなんとか縫い留める。


 振り返れば、“あ、いかにもそういう大声出しそうだわコイツ”という屈強な大男が走ってきていた。百九十センチほどあるだろうか。俺より高いぞ。


 肥大した筋肉の塊といった風体で、喧嘩と略奪で食ってそう……という粗暴なイメージを見る者に与える。や、まぁ、決めつけは良くないよな。切れ長の目とかがいかついけど、怪しい黒いヤツを捕らえようとしているんだったら、まぁ真っ当な職業の方なんじゃないのか。警備員とか? オールバックに固めた金色の長髪が、後ろでめんどくさそうに結ばれ、揺れている。


 ついでにその脇に、ともすれば見過ごしそうなサイズの女性がいた。いや、大男と比べてそう見えただけで、普通に平均身長かも。資料泥棒なんです、そう言ったのは彼女だろう。ここの職員だろうか。こっちは戦いには向いてなさそう。


「おいッ、よそ見すんじゃねえ!」


 もしかして、そんな悠長に確認してる場合じゃなかったか?


 ――振り返れば死、とかはやめてくれよ。


 金髪の巨漢の警告に鳥肌が立った。正面に向き直りつつ、とりあえず腕をクロスさせ――、


 衝撃。


「ぐッ」


 相手を確認する前に、腹に鈍い痛みが。


 混乱を収めろ。状況を確認しろ。攻撃されたんだ。誰に? そりゃ勿論、怪しいヤツにだろうが。


 どうやら身体ごとぶつかってきたそいつの膝が、俺のガードの下に刺さったらしい。相変わらず“真っ黒い人の形をした何か”にしか見えないそいつを、両腕で押し出す。人間に比べ圧倒的とも言える俺の腕力だ。そいつは飛び退るように後退させられた。バランスを崩しながらの後退だった。そのまま壁に背中からぶつかる。


 ……ふう。一瞬ヒヤッとしたが、こいつは常識の範囲内の相手だ。そう思った。壁に後ろ手をついて、肩を上下させている――今の攻防だけで、息を荒げているのだろう――黒いヤツは、とても俺の生命を脅かす存在じゃない。弱い部類だ。


 そう簡単に吸血鬼を傷つけられる連中がゴロゴロしてる町なんかある訳ねェよな。当たり前だ。


 それを悟ると、心に余裕と慢心が生まれる。


 戒めた方がイイ感情だってのはなんとなく解るんだが。そういう教育受けてきたし。


 でも、中々直んねェよ。


「おい……おま…………黒いヤツ! 俺はお前の事情なんて知らないし、興味もねェ! 俺に危害を加えてこなけりゃ、こっちだって何もしねェよ!」


 諸手を上げて友好を表現(?)し、対話を試みてみる。


 しかし、それに対する黒いヤツの反応を伺う前に、


「それは駄目だあ! そいつは図書館の重要な資料を奪い続けている窃盗団の一味! 我らの、勿論君も含めた全市民の財産だぞ!?」


 後ろの巨漢が叫ぶ。速攻の否定だ。うるせぇ。確かにうるさいが、何かが変だ。音に違和感を感じた。その違和感の正体は解けぬまま、


「俺に事情を説明するんじゃねェ!! なにどさくさに紛れて俺を関係者にしようとしてんだオッサン!!」


 後ろへ叫んだ。それに対し、再びの怒鳴り声。


「オッサン言うなあ! 俺はまだ二十代だ!」


 その顔で二十代だと……!? 驚きだ。……驚いたけどさ、それはまた別の話であって。


 というか。


「なんでオッサンがこいつ捕まえにいかねェんだよ!?」


 次にヤツが仕掛けてきても十分対処できる距離だ。そう判断(もしかすると過信)した俺は後ろのオッサン達をもう一度見やる。と、


 ――遠い! さっきより遠く行ってる!!


 声の違和感はそれだったのかよ。


「おま……ッ」


 普通は囲んで捕らえるとかじゃないのか。


 呆れて言葉も出てこない、といった俺の様子にいたたまれなくなったか、巨漢が弁解の為に口を開く。


「そいつはすばしっこいし、妙な魔法を使うんだ! だから俺は、こうやって」


 巨漢は丸太のような腕でこの空間への唯一の入り口の扉を閉じると、それをがっちり押さえる。


「この部屋からそいつを出さないために尽力しているというわけだ」

「確かに一見すると理に適ってるっぽく聴こえるけど、だったらもう一人捕縛係を用意しとけよ……」


 俺の返しに開き直ったのか、巨漢が舌を出して笑みを見せた。可愛くねェんだよオッサン(オッサンではないらしい)。


 扉だけは死守する、という構えの巨漢の隣で、女性は携帯端末をその手で操作していた。不慣れな手つきで、時折入力間違いをしつつ簡潔な文章を作っていく。他の部屋にいる職員、周辺区域にいる警備員へ連絡しているとか?


 携帯端末と言っても、ヴァリアーを初めとする、様々な分野の研究・開発を進める巨大組織でも無ければ、最新技術を手にすることはできない。


 図書館の備品として扱われている連絡用の携帯端末は、そうした先進組織からの民間へのお零れである。しょぼい機能しかついてない、型落ち品だ。


「後でなんとでも謝ろう。だが、今はどうか協力してくれ!」


 オッサンの熱烈な期待に、応えざるを得ない……のか。


 苦い顔で正面に向き直ると、どうやら漆黒の人影は、もうすでに俺のことを障害として認識しているようだ。


 俺は無関係だって大声で主張したはずなんだけどな。相手のこの反応はもしかすると……俺ってば意外と、人の頼みを断らない好青年に見えてるとか?


 しばらくの間、こちらの様子を窺うように呼吸を整えていた漆黒の人影が、ついに動いた。

 誰でもいいから助けてくれ。頼むから俺を疲れさせないでくれ、と祈った。


 ――レイスでもいいからさァ、さっさと駆けつけろよな……!


 黒いヤツが、一直線に俺に向けて飛び込んでくる。ヴァリアーの金髪野郎ダクトに比べると、見劣りするというか、見劣りしかしないというか、随分と単調な動きだ。


 言ってしまえば、凶器足り得るものも所持していないようだし、何よりこの図書館から盗んだ大事な“資料”とやらを懐に潜ませながら戦うなんて、どんだけハンデついてるんだよって感じだ。


 普通だったら俺の相手になりようもない。


 だが唯一、今までの戦闘と違う点があるとすれば……吸血鬼としての固有能力が使えないという点だろう。ここは人の目が多すぎる。


 ここで緋翼を出そうものなら……たちまち人間でないということがバレ、泥棒を捕まえるどころではなくなってしまう。人間たちからすれば、緋翼も原理不明の現象、すなわち魔法の類にしか見えないのだ。


 吸血鬼としてのスキルを封印して、なんとか“細いわりにめっちゃ怪力の男”程度の印象で抑える必要があるんだよな。


 さっき受けた膝蹴りがもう一度くるかと咄嗟に考え、前方に手を突き出す。


 ――膝を抱えて、拘束してやる。


 その考えを読まれていたかは定かではないが、人影は跳んだ。


 俺を飛び越えるほどの跳躍だった。空中で半回転、一瞬、逆立ちのような体勢になった。だが、その両手は俺の肩の上に添えられていて。そのまま強く押し出し、俺を台座に、結果的に一回転して着地しやがった……のか!


 ――随分とアクロバティックな動きしてくれるじゃねェか。


 膝蹴りを予想して無為なカウンター姿勢を取ってしまっていた訳だが、決して反応できないような速度では無かった、ちゃんと頭でも、眼でも追える動きだった。


 それなのに、空中の人影を捕えられなかったのは……。


「チッ……!」


 金髪野郎との戦いで負傷した、右肩が響いたからだ。


 運がいい奴だ。まさか俺の怪我部分を知っててやったアクロバティックじゃあるまいし、全くの偶然なんだろうけど。

 ……今の俺は、全く怪我をしていない部分の方が珍しいってのもあるかもしれないな。


 それでも、こいつに負ける気はしない。

 しないのだが……確かにオッサンの言う通り、すばしっこい奴だ。


 俺がもしこいつだったら、どうするだろう。……当然、この最強のレンドウ様に恐れをなして逃げようとするだろう。どうやって。……きっとそれを今も必死に考えているはずだ。


 包囲網に穴はないか? 唯一の入り口は、当然巨漢が塞いでいるから脱出は不可能だ……と思いたい。あのオッサンが見た目よりメチャ弱で、瞬殺されてしまうならその限りではないが。


 黒いヤツの視線の先は推察し辛いが、首の向いている方向ならなんとか。斜め上……か。斜め上には何がある? よく観察する時間を与えちゃくれなかった。


 黒いヤツは壁際に置いてあった四段ほどの踏み台を持ちあげた。高い場所にある本に手が届かない時に使うものだ。それを持って、走り出す。


 その方向は、俺に向けてじゃない。


 俺のことはやっぱりスルーか! どこに向かっている? 踏み台を手にしたんだ、それは高いところを目指すためで……そうか。


 ――窓だ。


 図書室の壁の高く、三メートルほどの位置に四角くくり抜いたような窓がある。換気の為に開け放たれたその窓から脱出しようと考えたのか。勿論、最初は素直に入口のドアを潜ろうとしたに違いない。しかし、連日の窃盗によって図書館側の警戒が強化されていて、隠蔽の魔法を以てしても発見されてしまった。そのため苦肉の策として、窓からの脱出を試みている。そういうことぁ。


 その四段の踏み台だけで、一メートルにも満たないようなサポートで、あの高さに到達する自信があるらしい。確かに、身体能力は悪くなさそうだ。どれほどの緊張状態にあるか知らないが、火事場の馬鹿力とやらも発揮しているかもしれない。


 奴はいけると思っているだろうし、実際、俺も奴なら届いてしまう気がする。

 数秒遅れに走り出した俺だが、窓から照りつける日差しを見て考える。


 ――そんなに頑張って窃盗団とやらを捕まえる義務が、果たして俺にあるのか?


 全力も出せず、太陽に苦しみながら、どこの誰とも知れない人間の手助けをする。


 めんどくさ。


 大体、ヤツが俺に攻撃してこなければ、返り討ちにする必要もないわけで。

 金輪際関わらなければさ。いいじゃん。俺の生に関係ないじゃん?


 ……なんて、な。


 図書館の職員達の言いなりに動くことがなんとなく癪にさわったため、二人の益になる行動をとることを躊躇していた訳だが……いつの間にか、それらを超えて余りある原動力が生まれていた。


 ……一度も反撃できないってのも腹立つんだわ。


 ――少なくとも、膝蹴りの分は返させろ。


 むかむかしてんだよ。


 踏み台を勢いよく設置し、いざ飛び上がらんとした漆黒の人影に向けて。

 俺はそれを深く確認しようとはしなかった。てっとり早く、近くにあった質量のあるものをふん掴んだだけだ。木製の椅子。テーブルの中に格納されていた椅子の背もたれに手をかけると、それを引き出すことなく、から振り抜いた。結果、テーブルは勢いよく転倒する。弾き飛ばされたと言った方が的確かもしれない。


 その折、椅子の座る部分と背もたれをつなぐ柱の部分がバキ、と音を立てて割れた。


「逃がすかよ」


 結果、背もたれは恐ろしい速度で飛んでいく。


 狙い通り、窓枠の中へ一直線。人影にとっては運の悪いことに、丁度跳びあがって窓枠に手をかけ、身体を持ち上げた瞬間だった。


 悪夢のようなそれが飛来したのは。


 やり遂げた。これで逃げ切れた。――そう安心し、一瞬後ろを振り返って呪詛の言葉でも残そうかという時に……背中に、椅子の背もたれが激突したのだ。


 奇しくも、背もたれの方から背中にもたれ掛かられにきた形となった。


「ギャッ!?」


 存外に高い悲鳴と不吉な音を残して、人影は窓の向こう側に落下していく。


「……けっ、本当は腹に返してやりたかったんだがな」


 斜め下を向きながら小さく呟いた俺だが、内心では滅茶滅茶すっきりしていた。

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