第9話 オーラ

 ――吸血鬼に蹴り飛ばされた少年が吹っ飛んだ。即座におじさんがそれを受け止め、もろとも吹っ飛んだ。


 死人は無し。端的に言えばそういう状況だ。


「うぐッ……あああああああああ!!」


 おじさんの痛みに耐える怒声。


「……おっ……じさん!?」


 少年の声。


 レイスは少年とおじさんに向けて駆け寄りたい……駆け寄ろうとしたが、やめた。きっと、多分、恐らく命に別条は無いと判断(希望的観測だが)すると、そちらには駆け寄らずに、吸血鬼に向き合った。


 どちらを優先するべきかなんて、考えるまでもない。


 レイスの頬を、冷や汗が伝う。


 ――まだ僕は、一度もこの吸血鬼に勝ててないんだ。


 そう、先ほどの邂逅でも、先日の戦闘でも実際に体験して解ったが、やはりレイスは吸血鬼に勝てない。


 頼みの綱の仲間たちも、最高火力のリバイアもいない。おじさんは多少なりとも戦える人間なのかもしれないが、ダウン中だ。直接吸血鬼に蹴られたのだ、仕方ないだろう。


 無論、これ以上少年に戦わせていい筈がない。


 絶体絶命だ。今までの手持ちでは勝ち目はない。はず、だが……レイスの左腕から伸びる光の渦、その光が包む、白き槍。


 この力があれば、もしかしたら。


 現に、吸血鬼もこちらの様子を窺っている。バリバリ絶賛警戒増量キャンペーン中だ。

 階段よりホールへと侵入してきたものの、レイスに対して攻撃を仕掛けることなく、壁際から回り込むように動く。


 あれは、相当レイスを不気味に思っているに違いない。それも当然か。ゴキブリ並にしぶとく、しつこく感じられているはずだ。怪我は負っているものの、レイスに死の予兆はいまだに無いし、まさに不気味としか言いようがないのだろう。

 吸血鬼からすれば、最早恐怖の対象であってもおかしくない。噛まれても死ななかったということも、吸血鬼相手に善戦したということも、そもそもが普通ではないのだから。


 そう、もしかすると。


 レイスが吸血鬼を恐れている以上に、吸血鬼もまたレイスを恐れている可能性が充分にある。


 吸血鬼は回り込むように動き……そうか、地上へのエレベーターを目指しているんだ。確かに、戦って勝利する事が目的ではない。吸血鬼はここから脱獄する事が目的なんだ。レイスはそう考え、


 ――させない……!


 地上へ繋がるエレベーター。それへと続く一本道に突入しようとする吸血鬼を止めようと、槍を構えて突進するレイス。


 だが、吸血鬼の目的は脱出するだけではなかった。正確には、一人で脱出するだけでは無かった。レイスは吸血鬼一人に集中するので精いっぱいだったらしい。視野が極端に狭くなっていた。


 遅れて階段より現れた二人目の吸血鬼に後ろをとられた。挟み撃ちに遭う格好になってしまった。


 ――まずい! けど、止まったらもっとまずい!


 レイスは遅ればせながら後ろから迫りくる二人目に気付いたが、足を止めて挟み撃ちにされるより、状況を少しでも好転させる為にと一人目に向かって全力で突き進んで行く。


 対する吸血鬼は、右手を前にかざす。するとそこにゆらり、と影の様なものが現れ、見る見るうちに固形化して剣の形をとった。それが武器なのは明白だ。それを手に、レイスを迎え撃つ。


 黒と白の交錯は、一瞬。


 結果。


 吸血鬼の武器は空気に溶ける様に霧散し、レイスの槍がその脇腹を貫いた。


「なンッ……!?」


 槍の威力は凄まじかった。今はレイスが痛みによってリミッターを失っているのか、その一撃には容赦がない。吸血鬼の脇腹を貫いた槍はその勢いを殺さぬまま、床へ深く突き刺さった。


「ガッ……てめェ……」


 吸血鬼は自身が床に釘付けにされた事実、攻撃が打ち消された事実によるショックか、茫然としている。


 だが、まだだ。後ろだ。


 この様子なら、心配は無用だろうか。後ろから飛びかかってきた二人目の吸血鬼。その手には何の得物の存在も無かったが、その拳自体が彼女の武器だった。


 そう、彼女。二人目の吸血鬼は女性だ。、ダクトとガンザに倒されていた方の吸血鬼だ。その性別に今回相対して初めて気付いたか、それとも気付いていたのか。それは分からないが、レイスは手心を加えなかった。真っ黒なオーラを纏った吸血鬼の右拳を、こちらは真っ白なオーラの右拳で受け止める。


 衝撃。


 当事者である二人は揺るがないが、それよりも周りの者達が影響を受けた。二人を中心に強風が発生し、飛び散り、おじさんは壁際で今一度少年を強く抱えた。

 一人目の吸血鬼は、苦しげに呻いたがそれだけではなかった。衝撃を利用し、脇腹の肉を裂くことで槍から身を剥がした。


 まずい。これでは二対一のままだ。そう焦るも、一人目の吸血鬼は壁にもたれて蹲った。


 ……相当な大怪我だし、当然か。拳を重ね合わせていた二人だったが、一見レイスのオーラ……白が押しているようで、違った。彼女が両手でレイスの右腕を握りつぶしにかかると、レイスの顔色が変わった。真っ青を通り越し、紫色になっていく。


「いたたたたたたたちょっそれやめっ……!!」


 苦しむレイスの左腕半ばから、まるでレイスを守る様に(レイスの身体だから当然……と言っていいのか)光が飛び出した。それに高熱でも伴っているのか、今度は彼女が堪らずという様子で飛び退いた。飛び退いた先は、一人目の吸血鬼の傍だった。


……あいつ、やばいよ」


 初めて発せられた鋭い声。彼女の声は、女性にしては低く、クールなイメージを与えた。


 レンと呼ばれた一人目はそれに頷いたが、先ほどまでの覇気が無い。もしや、血を失いすぎたからだろうか。


「逃げる、ぞ……」


 最早どちらがどちらを助けようとしていたのか分からない有様だが、吸血鬼達はお互いを支え合いながら仲睦まじく脱出しようとしていた。エレベーターのボタンを押す。ドアはすぐに開いた。それを許すか、人間が。否。


「待って!」


 そこは「待て!」の方がいいと思うが。レイスのは最早折り紙つきだ。


 だが。


 ――このまま……追うべきなのか!?


 レイスも愚鈍ではなかった。さすがに吸血鬼二人が乗り込んだ狭いエレベーターの中に自分が策も無く入り込めば、無残な結果に終わるだろうことは理解していた。


 単純に殺されるとか、エレベーターが落ちるとか。様々な“終わり”の予感がレイスの足を射抜きにかかる。


 が、


「レイスさん、伏せて!!」


 この声は。


 来てくれた、最大火力。


 ――分かってるよ、リバイアちゃん。


 リバイアは、長い髪を吹かないはずの風に揺らしていた。その両肩に後ろから手を置いて、砲台として支えているのは……副局長、アドラス。


 レンと呼ばれた吸血鬼は、リバイアが長い髪を水色に発光させるその予備動作を見て、何を感じたか……いや、そもそも、レンはリバイアにやられたのだったか。一度目の戦いで。状況を理解できないという様子の吸血鬼の女性を抱くように庇った。


 レイスは、迫りくるレーザーをかわすために体勢を低くした。


 ……のではなく。


 それはいわば、全力で走りだすための予備動作だったのだ。


 リバイアの髪から光は既に失われている。彼女は最近力の大部分を使い果たしたばかりであり、まだあの日のような圧倒的な破壊力を生み出すことは出来ないのだ。


 そんなことにレンが気付けるはずもなく、レイスの一太刀を浴びる。


 どこに剣なんてあったのか。そんなことはもはや問題ではない。もっと大きな違和感がその場にはあった。


 どこに左腕などあっただろうか、という。


 レイスが右手に持っている虹色の剣――白い光の中に、角度によって見える色とりどりの光がある――などどうでもいいと思えるほどに、奇怪だった。


 先ほど斬り飛ばされたはずの左腕が、何の欠損もなくそこにあったのだ。

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