第8話 異質

「うう……ううううううううううううう!!」


 白髪はくはつのお兄ちゃんの、唸り声。


 傍から見ても……この僕から見てもだよ? 白髪のお兄ちゃんの様子はおかしかった。


 普通の人間だったら、いや、ヒトだとしても。左腕が半ばで吹っ飛んでいるのに、まだ動けるだろうか。それとも僕も訓練を受けてるうちにのかな?


 なんだか怖いな。


 僕は、とにかくロングソードも手放しちゃったし、状況的に死を待つだけだったんだけど。お兄ちゃんが僕を庇ったりするから、余計に絶望的な状況になっちゃったね。さっきまでなら、まだお兄ちゃんだけは生き残るかもしれなかったのに。


 そう考えたのは、早とちりだったのだろう。


 お兄ちゃんは冷静に、もしくはとても情熱的に(両方か)行動した。左腕から溢れだす鮮血を、吸血鬼の眼つぶしに使った。勢いよく飛び出る血液とともに勢いよく飛び出したお兄ちゃんは、吸血鬼の顔面に殆どぶつけるように左腕を突きだしたんだ。


 それが当たった時に、自分にどれほどの痛みが帰ってくるかも顧みずに。


 結果的にその痛みは発生しなかったけど。


 吸血鬼はそれを腕で防げなかった。ロングソードをしっかりと握った手には力が入っていて、今もお兄ちゃんの右腕に刺さった剣を抜こうとしていたことが窺える。突きだされたお兄ちゃんの腕を反射的に「食ってしまえばいい。攻撃は最大の防御になるだろう」と考えでもしたのか、むしろ迎え入れようとした吸血鬼だったけど。


 お兄ちゃんの狙いが眼つぶしだと気がつかなかったみたいだね。戦闘力だけはあっても、知識はからきしってことなのかな? 分かんないや。さすがの僕でもこれが限界かな。


 とにかく、吸血鬼はそれに怯んで、後退した。ついでに、その目が見えなくなってることにも期待したい、かな。


 ――これが今の状況。


 実際に戦闘が開始されてから、まだ二分と経っていないんだろうね。僕としては三十分くらい経ったような気分だけど、こう言う時は得てして時の流れが緩やかに感じられるものだよね。


 さあ、お兄ちゃんは次にどんな面白い事をしでかして……見せてくれるのか。


 不思議だ。


 こんなに危険な状況なのに、僕はワクワクしている。内心が表に出ない僕だけど、この胸の内に広がる、圧倒的な高揚感。間違いない。僕は今、ワクワクしている。それはきっと、吸血鬼への戦果に僕の功績も多少なりとも入っていることに起因しているんだろうね。


 僕が! 僕がやったんだよ! あの吸血鬼の右腕の裂傷は! ワクワクが止まらないね! ……みたいな。


「おにいちゃん、やったね。これからどーするのー?」


 僕の声だ。いつも思うけど、なんでこんな幼稚な喋り方をするんだろう、僕は。


 こんなにも気分が高揚していて、言葉にしたいことは沢山あるはずなのに。アレか。言葉が僕においついていないのか。僕の考えていること、僕の頭の中にあるこれは、言葉なんぞで表現できるものじゃないんだ、きっと。


 いたって平常通りな僕の声に、いよいよ不気味さを感じたのだろうね、こっちを振り返ったお兄ちゃんの顔は蒼白だった。あ、凄く鈍そうな人だけど、この蒼白さは、単純に腕を斬られたからかな。これも両方かな。


 確かに、僕がおかしいのは認めるけど。


 ……でも、とりあえずお兄ちゃんも十分不気味だよ。険しい顔で血まみれのお兄ちゃん。


 険しい顔で血まみれのお兄ちゃんは、僕の予想とは反対に、そう、反対を向いた。


「逃げるよ!」


 え?


 お兄ちゃんは僕の腕を取って走り始めた。あれ、腕。右腕だ。ある方の腕だ。それでも、出血しているよね、さっきまで剣が刺さっていたんだもん。それより、剣を引き抜くところを見過ごしたなぁ。


 見たかったな。きっとそのシーンもカッコ良かっただろうにね。


 ってオイ。待ってよ。


 えっちょっと待ってマジ無理なんだけどほんとしんどい。……僕の推しはどうやらこのお兄ちゃんらしい。


「……逃げちゃうのー?」

「逃げるの!!」


 とても辛そうだ。その声には苦しみが見てとれる。これ以上推しのお兄ちゃんに無駄に喋らせるのは命の危険が伴うか。仕方ない、控えよう。


 それにしても、逃げちゃうのか。残念だ。もっと見たかった。


 しかし、あの眼潰しはちゃんと効いているの? こんなんで吸血鬼から逃げられるの?


 名残惜しさからか心配からかは自分でもよく分からないけど――やっぱり両方か……どんだけ両方だよ――僕は後ろが気になってチラチラせざるを得ない。


 吸血鬼は一時的にこそ眼潰しが効果を発揮していたみたいだけど、既に涙と、それを拭ったことにより殆ど持ち直しているように見えた。


「あれ……?」


 でも、追ってこなかった。


 吸血鬼は、良く見ると後ろをチラチラを気にしているようだった。僕と同じだ。

 そこには、折り重なるように倒れた人間達と、モンスター達。

 吸血鬼が気にしているのは、どうやらその横で壁に寄り掛かっている人物の様だ。


 あの中に、一緒に脱獄を果たしたお仲間さんが混じってたのかな? まだ≪黒の牢獄≫の内部なのだから、脱獄を果たしたとは言えないか。


 もう少し長くその光景を見ていたかったけど、曲がり道だ。エレベーターは使えないから、エレベーターの横道にそれて、階段で進むしかない。

 お兄ちゃんはここの道を知らないはずだから、テキトーに走っているだけだったんだろうけど。


「こっちだよ!」


 僕が先導する。推しのお兄ちゃんを死なせたくない。あんなに僕の心を躍らせる戦いを見せてくれる魔人が、こんなところで死んでいいはずが無い。


「う……ん……」


 了解したお兄ちゃんの声は、しかし先ほどまでの覇気が無かった。炭酸が抜けたのかな。違うか。気だ。


 階段にたどり着いて、それを駆け上がり始めた。そこで僕もようやく安心して、思考を再開する。


 吸血鬼が一緒に脱出しようとする仲間。どんな人だろう。……どんな魔人だろう。きっと、吸血鬼だ。吸血鬼が多種族と仲がいいなんて、なんだかイメージにそぐわないもの。


 吸血鬼が二人で襲ってきてたら、さすがのお兄ちゃんもなすすべも無かっただろうなぁ……そこまで考えて、血の気が引いた。


 この、僕が。恐怖をここまで感じるなんて。


 吸血鬼という種族。そして、地下四階の惨状。大量に伏したモンスター。そして、隊員。……人間達。


 それらが織りなす最悪の答えは……。


 ぶる、と体が震える。寒い。


 階段を駆け上がるからだは、こんなに熱を持って発汗しているというのに。

 足が地下一階を踏みしめた時、僕の最悪の仮説は確信となった。


 それは放送だった。


『――鬼が――喰って――回復してやがる……!! ――体! 二体もいやがるんだ――助――ッ』


 ブツッ、と。


 最後まで流れること無く、一階に響いていたと思われる通話は途切れた。


 鬼。二体。これ以上ない、最悪のワードだ。


 現実から目をそらすわけにもいかないだろうけど、ね。


 放送にノイズが混ざっていたことを考えると、綺麗な音質の普段の放送とは違う、隊員個人の携帯端末からの発信だったんだね。じゃあ放送場所を兼ねた情報室に押し入られた訳ではないか。

 ありふれた、とは言い難い携帯端末を与えられている≪ヴァリアー≫隊員は、総じて高い地位……もしくは、副局長アドラスの信頼を得ている人物のはずだ。


 放送で流れた恐怖に濡れた声が示すのは、吸血鬼というものは人間の強者程度が張り合える相手じゃない、ということだ。


「おにいちゃん、今のって」

「分かってるよ……っ……!!」


 あれ? 意外と頭が回るタイプなのかな、このお兄ちゃんは。なんだかよく分からなくなってきた。


 お兄ちゃんは受付の方に駆け寄ると、お兄ちゃんの怪我に目を丸くするおじさんに説明を始めた。


 ……そう言えば、あの馬鹿。


 メアはどこにいったんだ? と今更ながらに思う。僕も少しは混乱していたのかもしれない。あいつの存在を忘れられるなんて。


「もうすぐここに吸血鬼が来ます! 一対一で、僕じゃとても敵わない様な相手が!」

「放送を聴いてたよ! しかも、相手は二体なんだって!?」

「……ええ、僕は一人としか戦っていませんが……あれが二人になったとしたら、もう手がつけられません!」


 ふと、おじさんとお兄ちゃんでは吸血鬼の数え方に差異があることに気づいた。


 だなんて。あの怪物をまるで人間のように数えるのは、とても不釣り合いなことだと僕は思うけど。


「ああ……もう、足止めして死ぬよりは、任務なんか忘れて逃げた方が賢明なんじゃないかって思えてくるね」


 おじさんは吸血鬼との戦闘経験があるのか、あんな可愛い顔して。だとしたら頼りになるが、期待するのは野暮だろう。


 大方、紙面の上の数のやり取りで、吸血鬼の強さを実感している程度だろうね。


「管理人さん! とりあえず、武器をもらえませんか!? 僕、今手持ちが無くて……」


「逆に、何も無しでその怪我だけで帰って来れたってのが凄いよ……って、あ、!!」


 そこでおじさんは、僕を見て叫んだ。


「キアだけど、どうかしたー?」

「オマエ、また勝手に出歩いて……いや、ふむ。そうか、オマエだな? レイス君はそれで助かった、と……」


 ……なら、そんなに責めるわけにもいくまいな。そう、おじさんの声は段々と小さくなっていった。僕の功績に気付いたのだろうね。


 くくっ。僕がいなければ、今頃お兄ちゃんはここにいないだろうから。


 ああ、そうか。お兄ちゃんはレイスって名前だったね。

 やきもきしてるレイスお兄ちゃんに気付いたのか、おじさんがはっとする。


「いや、今はそんな話はどうでもいい! 武器か……ここにはないな、マズイね、どうするべきか……」


 そのおじさんの台詞を聴き終わるか終わらないかのうちに、レイスは見渡していた景色の中に、あるものを発見していた。


「これ……」


 そう言ってレイスが手に取ったのは、装飾用のスピアだった。


「そんな……オモチャで戦う気かい」


 驚き、呆れよりも純粋に尊敬が見て取れる声だった。おじさん的には、「そんな武器で戦うのかい」というより「そんな武器しかなくても戦うつもりかい」ということだろう。伝わりにくそうな言葉選びだったけどね。


 それより僕は、レイスの持ち上げたスピアから目が離せなくなっていた。


 ただの装飾用のオモチャにそんな機能が付いている訳もなし。十中八九、レイスの人外の力のなす技なのだろうが……。


 レイスの切断された左腕から真っ白な光の線が――渦を巻いて出現し――スピアのおもちゃを包んで――伸びて――見る見るうちに、元の形状とかけ離れて行くではないか。


 物質……変換……!?


 どう考えても、レイスお兄ちゃんがそれを振るって戦うつもりであることは明白だった。


 だけど、僕はさらにそれより優先して驚くべき事項を見つけた。見つけてしまった。いや、見つけざるを得なかった。見逃したらおかしいレベルだ。


 元々考えていることほど喋る方じゃないけど、言葉を失った。


 光輝くレイスの左腕。


 止血した訳でもないのに、既に血は止まっていた。

 人間の身体とは違うんだね……。


 何で今日は僕のキャパシティを超えて、驚くべきことばかり起こるのか。


 皆して僕をショック死させようと賭けごとでもしているのか? そう思うほどの衝撃だった。


 くだらないことを考えすぎる悪癖のせいで、気付くのが遅れた。

 大体、疲れてたからって階段のすぐそばにいつまでもいるのが不味かったんだ。


 後ろに気配を感じた時、僕は思った。


 ――ああ、死んだ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る