第7話 絶対不利

 ――やるしかない。


 レイスは結局、そう結論付けた。


 ――それが正しい事かそうじゃないかなんて分からないけど。そんなことは、もう僕にとって重要じゃない。


 迷いを振り切って――あるいは今現在も悩み続けながらなのだろうが――レイスは覚悟を決めた。


 眼前の、血に濡れそぼった吸血鬼を正面から見据える。


 ――子供を守る為に、僕は戦う! その結果……僕が、相手が、どうなろうとだ!


 ロングソードを体の前で構えて、じり、と吸血鬼との間合いを詰める。この時、ようやくエレベーターから出たのだ。地下四階の床の感触からして、滑って転倒する心配はなさそうだった。上階の小奇麗なフローリングの床とは違って、ただゴツゴツしているだけ、荒いコンクリートだ。

 その床という滑り止めすら、今のレイスにはありがたい。支えとなるモノは少しでも多い方がいい。

 この状況のプレッシャーは、立っているだけでやっとなのだから。

 勝負は一瞬だろう。この間の邂逅の時もそうだった。あわよくば相手が油断してくれることにでも期待したいレイスだったが、何故かあの戦闘で勝利したのはこちら側だったため、残念ながらそれは望めないだろう。


「テメェ……は……」


 吸血鬼が小さく呟いた。それはレイスに向けてのものか、はたまた我慢し切れず漏れ出ただけの、意味の無い呟きか。恐らく後者だ。


 ――気を許すな、僕! 相手と自分では瞬発力が違う。会話しながら勝てる相手じゃない! 他の事を考えてちゃ並べない!


 普段ならば相手を説得したい、話術で収めたい、と一番に考えるレイスだが、今回は最初からその選択肢を捨てていた。


 その頬を汗が伝う。


 ――あの少年はちゃんと後ろで大人しくしているかな。……駄目だ、余計なことを気にするな!


 その汗が床に垂れる、その瞬間、相手が動くとレイスはなんとなく思った。


 本当にその通りだった。


 吸血鬼はゆっくりと踏み出し、小手調べ程度の動きで手を払ったが、レイスにとってそれは速すぎた。


 くそっ、とレイスは怖気づいて後ろに下がる。下がるしかない。


 しかし、エレベーターからほんの少し前に出ただけだったのだ。これ以上下がったらエレベーターの中へ逆戻り。そんな狭い空間でまともに戦えるはずもない。待つのは死だろう。追い詰められて。いや、そもそも最初から詰んでるって。いやいや、そんな考えは振り払うべきだ。


 駄目だ、これ以上は下がれない。とレイスは意を決して、いや、半ば命を投げ捨てるように前方へ駆けだした。


「はあっ!」


 右下から左上へ、ロングソードを力任せに振り上げたが、手ごたえは無い。するりとかわされた。ばかりか、吸血鬼はもう懐の中だ。


 取られる、と思ったレイスは直感的に両手の力を抜いた。


 つまり、ロングソードをその場に捨てた。


 ならばと、吸血鬼は間髪いれずにレイスの首に噛みついた。いや、噛みつこうとしたが、レイスの動きのせいで、首は外した。レイスの右肩に噛みついた格好になった。


 ――火事場の馬鹿力でもなんでもいいから! 秘められた力じゃなくていい! 少しでも僕に、一矢報いる力をくれ!


 レイスは何に目覚めるでもなく、ただ気合いで、噛みつかれたままで吸血鬼ごと壁にタックルした。


 吸血鬼は自分に噛みついた後、長時間その姿勢を維持しようとすることをからこそできた反撃だった。


 それは、生き物としての意地がなせる馬鹿力だったのかもしれない。自分より格上の相手に対する、生き物の矜持。


 ――まただ。自分の体内の血が、不気味にうごめく感触。それは自然の動きじゃない。


 レイスはそんな不快感を追い払うように、もう一度体重を掛けた。すると、吸血鬼を抑え込む形で、マウントポジションを取る事が出来た。自分の肩に相手の歯が食いこんでいて、自分はそのせいで床にキスする程上体をかがめざるを得ない状態を、マウントポジションだと言い張るならの話だが……。


 レイスはいっそ、いや、にでも縋りつきたい気分だった。


 ――もしかしたら、僕は吸血鬼に血を吸われても死なない、特異体質なんじゃないか?


 そんな冗談を考えられる余裕さえ生まれていた。どこか、頭のネジがトんでいるのかも知れない。


 何かを思いっきり噛みしめると全身に力が入りやすいと言うが、レイスは相手の吸血鬼の右肩に噛みついていた。自分も噛まれている仕返しだろうか。……単純に、丁度目の前にあったからだろう。


 ――そもそも、吸血鬼に噛まれた者がすぐに死ぬなんて、誰が決めたのさ。僕はまだ生きているんだ。死ぬまでが五十年だろうと五分だろうと、それまで精一杯生きるだけだ!


 いつの間にそこまで吹っ切れることが出来たのか、以前噛まれた時みっともなく喚くしかできなかったのは誰だ、等を問い詰めたいところではあるが、とにかくレイスは優勢だった。

 そして、周囲の状況もそれを後押ししていた。レイスが横目でロングソードのあった方向を見ると、思ったよりも近くにそれはあった。


 というか、近すぎだった。少年がロングソードを持って、こちらを見ている。


「うう、うぐ!」


 自分でも何を言いたいのか分からないまま、吸血鬼の右肩に噛みついたままレイスは唸っていた。


 ――このヒトを、床に……この場に縛り付けるだけで精いっぱいだ! 褒められてしかるべき功績だろう!?


 先ほどまでの厄介ばらいを申し訳ないと思う暇すらない。レイスは少年に一縷の望みを託した。


 少年は……ロングソードを吸血鬼の右腕に向けて振り下ろした。


 この少年は本当に人間か? とレイスは疑った。


 大の大人のために作られた剣を高々と振り上げることができるとは、並の筋力じゃない……どころじゃない。


 はっきり言って、異常だ。


「ガッ、がぁぁ!?」


 鋭い痛みに、吸血鬼が喘ぐ。その身を暴れさせる力が一段と強まり、レイスは振りほどかれた。


 否、吹き飛ばされた。


 両の足で思い切り上へ蹴りあげられたレイスは、天井に背中から激突する。


「かはッ……」


 そのまま落下するが、痛みのせいで頭が働かない。そんな状態で受け身をとれるはずもなく、さらなる衝撃、鈍痛。


「ぐっ……うっ……」


 やっとの思いで顔を上げたレイスは、離れた位置にいる吸血鬼をその目に捕える。


 ――はやく、起き上がらないと……ッ!


 吸血鬼は飛び退って、自分の右腕を見ていた。


 そこにはロングソードが突き刺さっていた。さすがの少年も骨を断ち切るまでの力は無かったようだが、刺さっているという状況が既に恐ろしいことだった。吸血鬼もそれに驚いたのか、自分の右腕に刺さった剣と少年とを見比べた。


「ガキ、お前がこれを……?」


「うん」


 この時になって、ようやくレイスは少年の様子がおかしいと気付いた。遅すぎるだろう。


 ――まさかこの子、感情が無いの!?


 いや、それはないだろうと即座に思い直す。


 ――だって、さっきまではあんなに無邪気に笑っていたじゃないか。


 ならば、恐怖という感情だけが欠落しているとでもいうのだろうか。


 ――怖く、ないのか。この状況が。


 レイスは困惑したが、とりあえず、怖かろうが怖くなかろうが状況は待ってくれない。

 吸血鬼は自らの右腕からロングソードを引き抜いた。その腕から、血液が大量に滴る。


「チッ……また飲まなきゃいけねェじゃねーかよ」


 そして、少年に向けて歩を進めながら、ロングソードを振り被る。


「駄目だっ!」


 幸い、少年と吸血鬼の間に入り込める位置にレイスはいた。


 ――させない。殺させない。


 足はまともに動かなかったが、もつれた足で転がるように二人の間に滑り込み、上体だけでなんとか吸血鬼の歩みを阻もうとする。


「黙れ!」


 怒鳴りながら振り下ろされたロングソード。


 真剣白刃取りよりは、まだ現実味があるよなぁ……と、レイスは両腕を交差させて、肉で受けとめようとした。


 が、駄目だった。


 レイスの腕は吸血鬼の様にはいかなかった。


 左腕が半ばから切断され、地に落ちた。右腕の骨まで抉って、そこで刃は止まった。


「……うううううううううううう!!」


 痛みなんて、感じる余裕も無かった。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

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